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リバプールFCはなぜ名門クラブと呼ばれるのか?その歴史をリバプール・サポーターズクラブ日本支部代表の田丸さんと一緒に振り返る。
主なテーマは以下のとおり。
・クラブ設立の経緯
・アンフィールド
・ビル・シャクリーと黄金時代
・獲得タイトル
・2つの悲劇
・レジェンド
・ライバル関係
・YNWA
※本記事は、リバプール雑談ラジオ「#014 リバプールFCはなぜ名門クラブと呼ばれるのか?その歴史を振り返る」を書き起こして編集したものです。
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元々はエバートン?クラブ設立の経緯
タクヤ:今回は、スペシャルゲストとしてリバプール・サポーターズクラブ日本支部代表の田丸さんにお越しいただきました。
番組へ頂いてるレター(質問)で「昨シーズンからリバプールを見始めたので、全くリバプールの歴史を知らないので教えてほしいのですが、何か面白い歴史だったり、印象的な歴史とかありますか?」というのがありまして、今回は田丸さんと一緒にリバプールFCの歴史について語る会をやりたいと思います。
最近、この質問者さんと同じように、昨シーズンあたりからリバプールを見始めたという人は結構多いですよね。
田丸さん:多いですね。
タクヤ:なので、そういった方にとっても、「あ、そうなんだ」っていろいろリバプールについて深く興味を持ってもらえるように話をしていければと思います。
リバプールの歴史といっても、ご存じの通り相当広いので、ある程度テーマを絞っていきたいなと思ってます。まずはリバプールは「歴史あるクラブ」「名門クラブ」ってよく言われてると思うんですけど、まずクラブ設立の経緯みたいなところから振り返っていきましょう。設立は1892年ですね。
田丸さん:はい。リバプールの設立というのはすごく面白くて、長くファンの方はご存じだと思いますけど、元々はリバプールFCってエバートンFCだったんです。誕生からしてすごく面白いクラブだなって思うんですよね。
タクヤ:確かに。これは知らない人も多そうですね。
田丸さん:そうなんですよ。アンフィールドに行くと、敷地内に創設者のジョン・ホールディングの銅像があるんですけど、じゃあジョン・ホールディングという人は何者なのかというと、19世紀後半ぐらいにリバプールに住んでいた地元のビジネスマンなんです。アンフィールドの近くにサンドンというパブがあるんですけど、当時はパブ付きホテルだったようなんですが、そのサンドンというホテルを建てた人なんです。メインの仕事はブリュワリー、ビール醸造業をやっていました。
そういうビジネスマンだったんですが、この人はサッカーに興味があったんですよね。それで1879年にエバートンの初代会長になって、彼が建てたサンドンというホテルがエバートンFCの本部として使われていて、選手たちのドレッシングルームになったりもしていたんです。
それでホールディングは、エバートンのホームグラウンドとして使用するためにアンフィールドの土地を買って、そこにスタジアムを造りました。スタジアムといってもたぶん今とは姿形は全然違って、フィールドの四方にちょっとしたスタンドを造ったぐらいのものだったんだと思いますけどね。
そこで、アンフィールドでエバートンFCはプレーしてたんです。つまりホールディングの土地をエバートンに貸してお金をエバートンに払ってもらっていたわけなんですけど、ある日その土地の代金を値上げしたところ、エバートンの他の運営委員と選手たちから「ちょっと家賃が高すぎる」って言われて。総スカンでみんなもうこんなクラブ辞めてやるってアンフィールドからみんな出て行ってしまって、ホールディングだけがアンフィールドとともに残されたんです。
それで一人になっちゃったけど、スタジアムあるからどうしようということで、じゃあここでプレーするクラブを作ればいいじゃないか、と作ったのがリバプールFCなんですね。
作った当初の名前はリバプールFCじゃなくて、最初はエバートン・アスレチックという名前を付けて創設したんですが、一つの町にエバートンという名前のクラブが二つあるのは駄目だってFAから言われて、それで創設元年とされてる1892年にリバプール・フットボール・クラブに改名したわけです。なので、その改名した時がリバプールFCの誕生といわれています。
タクヤ:なるほど。
田丸さん:それで、改名する書類にサインしたのがそのサンドンというホテル(今はパブ)だったので、そこがリバプールFC誕生の地と呼ばれてます。
タクヤ:最初はエバートンFCだったとはすごい面白いですね。
田丸さん:はい。すごく面白いですよね。
タクヤ:当時はユニフォームも、一番最初はブルーと白の(笑)。
田丸さん:そうですよね。もともとエバートンだったからね(笑)。
タクヤ:(笑)。その辺も面白いですよね。
田丸さん:面白いですよね、本当に。いつから赤に変わったとか、そこまでは詳しくは知らないですけど。
タクヤ:確か前に記事書くときに調べたら、1896年に赤いシャツと白いパンツになったというのがありました。
田丸さん:じゃあ、割とすぐ赤に変えたんですね。
アンフィールドと「The Kop」
タクヤ:あとはやっぱり、リバプールというとアンフィールドで、今も話にあったように、そもそもアンフィールド自体がクラブ発足の元になってるというのは面白いですね。
田丸さん:そうですね。アンフィールドがあったからリバプールFCが誕生したということだからね。
タクヤ:それで、アンフィールドといえばやはり「The Kop」で、そもそもKOPというものが、Spion Kop/スピオンコップという南アフリカの丘のことですかね?
田丸さん:そうですね。
タクヤ:リバプール市民も結構その戦争に行っていて、その戦地の急斜面の丘から取って、アンフィールドのスタンドをThe Kopと呼んだというところが名前の由来ですよね。
田丸さん:はい。なので、The Kopとかそういう名前のスタンドはアンフィールドだけじゃなくて他にもたくさんあるんです。一層式の構造のスタンドのことを”Spion Kop Stand”って呼ぶんです。なので、当然他のクラブのスタジアムにもあって。
タクヤ:ドルトムントとか。
田丸さん:ああ、そうですね。イングランド国内にもたくさんありますね。
コーク:スパーズの新スタジアムもそうですよね?
田丸さん:そうそう。スパーズは一番大きい一層式のスタンドを最近造りましたよね。ヒルズボロのスタジアムも一層式のスタンドがあって、やっぱりThe Kop、Spion Kopって言うんですよ。事故があったスタンドの向かい側のスタンドです。
ビル・シャクリーと黄金時代
タクヤ:時代が飛んで、やっぱりリバプールFCっていうと黄金時代で、そこに向けてビル・シャンクリーが就任した1959年辺りが、クラブにとってかなりターニングポイントだったと思います。シャンクリーはいろいろ改革をやったと思いますが、一番の改革とか功績というとどんなところが挙げられますか。僕は、1964年に全身赤のユニフォームにしたというのは大きいかなって思います。コークはどうですか?
コーク:個人的な一番だと、やっぱり「THIS IS ANFIELD」というプレートですね。ユニフォームを全身赤にしたのもそうだけど、「ここはアンフィールドだ。自分たちはリバプールというクラブなんだ」という意識をクラブに植え付けたのがやっぱり大きいのかなと思います。
タクヤ:シャンクリーの影響って今もすごく残ってますよね。
田丸さん:クロップはすごくシャンクリーを思わせるってみんな言いますよね。当然、私たちはシャンクリーのことはリアルタイムで見てないわけですけど、シャクリーがファンとか町の人に対して何か言うときに、すごくカリスマ的な雰囲気で、話すのがうまくて、みんなを虜(とりこ)にするようなキャラクターだったというふうに聞いてるじゃないですか。それってまさしくクロップですよね。
タクヤ:確かに。
田丸さん:クロップが来た時、多くのファン、特に地元のファンはシャンクリーの再来というふうに思ったでしょうね。実際、やってることが本当にそっくりなんですよね。
シャンクリーが監督に就任した時は2部だったリバプールFCを、就任3年目で1部リーグに昇格させたんです。少し低迷気味だったチームを再生させたのがシャンクリーだったわけですが、クロップも4年経ったところで初タイトルを獲得したりとか、本当に生き写しのように全く同じですよね。だから「クロップの銅像も建てたほうがいい」なんて話が出るぐらいなんでしょうね。
タクヤ:シャンクリーが就任して4年目に17年ぶりのリーグ優勝をして、次の年に初のFAカップ優勝、翌年またリーグ優勝と、この辺からリバプールの黄金時代の基礎が出来上がってる感じですよね。
田丸さん:シャンクリーが基礎を築いたといわれてますね。本格的な黄金時代で毎年のように優勝するようになったのは、シャンクリーが監督を辞任して、当時アシスタントコーチだったボブ・ペイズリーがその後を引き継いだ1974年からですよね。そこから1980年代までは本当に強くて、優勝するのが当たり前というような感じだったようですね。
タクヤ:過去のタイトル獲得したシーズンのリストを見たんですけど、70年代と80年代のリーグタイトル獲得数が本当にすごくて。これは確かにタイトル慣れしてしまいますね。
田丸さん:地元のファンに聞くと、当時は毎年優勝してたから、優勝してもそんなに祝うほどのこともないし、当然というような感じだったみたいです。最終節近くの試合で優勝が決まっても、その後みんなで祝ったりは別にしなかったと言っていました。パレードも、何しろ毎年のようにやってたから、「何回かは行ったけど、毎回行ってたわけじゃないよ」って地元のファンは言うんです。本当に優勝するのが当たり前のクラブだったんですよね。
世界中にファンがいるクラブへ
タクヤ:チャンピオンズリーグも1976-77シーズンに初めて優勝、77-78シーズンでいきなり連覇して、80-81シーズンと83-84シーズンでも優勝してますよね。この辺りは、ヨーロッパも含めて相当勢いがあったなと思います。
田丸さん:要するに10年とか15年ぐらいの期間、いつも優勝するクラブだったわけですよね。そういう一時代を築いたことが、世界中にファンがいる理由なんです。一回優勝したけどその後はずっと駄目とかだと、世界規模でファンは付かないですよね。やっぱり長い期間強くてインパクトを残すことが、世界的にみんながリバプールというクラブに注目して応援したくなるファンが増えていく理由なんです。
マンチェスター・ユナイテッドのファンが世界中に多い理由も同じで、リバプールがちょっと勝てなくなった90年代に彼らは強くなって、黄金時代を築いたからです。なので、世界的にファンが多いイングランドのクラブはそれぞれ黄金時代があったリバプールFCとマンチェスター・ユナイテッドなんです。
タクヤ:なるほど。リバプールの獲得タイトルは、リーグタイトルが今年1つ増えて19回、FAカップが7回、リーグカップが8回、チャンピオンズリーグが6回ですもんね。やっぱり、長い期間強くあり続けた黄金時代含めてタイトルの数が多いところが、名門クラブと呼ばれる大きな要素になってるんですかね。
田丸さん:そうでしょうね。
絶頂期に訪れた「2つの悲劇」
タクヤ:そんな感じで強かった80年代の中で、1985年の「ヘイゼルの悲劇」、1989年4月15日に「ヒルズボロの悲劇」という二つの悲劇が訪れるところが、リバプールを語る上では外せないかなと思います。この辺はいろいろ話すと長くなるかなと思いますが…。
田丸さん:これについて話すには別途時間を取らないといけないですね。でも、絶頂期にありながらそういう悲劇も経験してるという辺りが、すごくリバプールっぽいですよね。天国と地獄の両方を経験してるクラブというのがね。昔からそうなんですよね。
タクヤ:光と影みたいなところがありますよね。
田丸さん:ただ、もちろん悲劇が起こらなかったほうがよかったんですけれども、ファンとクラブ、そして町の人たちみんなが一体になったきっかけが、やっぱりこのヒルズボロの悲劇なんですよね。クラブとファンと町中が一体になって、亡くなった96人の家族を支えていこうと一致団結したんです。今ではリバプールはよく「ファミリーなクラブ」だと言われますけど、その理由の一つはそういうところにあったりします。
タクヤ:当時はケニー・ダルグリッシュが監督をやってたんですよね。
田丸さん:はい。ダルグリッシュはその時のショックをだいぶ引きずってしまったんです。その後も鬱(うつ)っぽい感じになったりして、結局監督を辞任することになりましたから。
タクヤ:相当、遺族に寄り添っていろいろやられてたみたいですからね。
田丸さん:ほとんど全ての人のお葬式に参列してたっていいますよね。
タクヤ:最後にリーグタイトルを取った1989-90シーズンも、ダルグリッシュが監督だったんですよね。そして、この間の2019-20シーズン優勝のトロフィーリフトの時に、ダルグリッシュがヘンダーソンとハグしてメダルを渡してたのもまた、30年分の歴史を感じて感動しましたよね。
田丸さん:30年前に優勝した時の監督から手渡されましたよね。
ジェラードの光と影
タクヤ:そういうレジェンドがいるというのも、歴史あるクラブの魅力だと思います。クラブのレジェンドというと、やっぱり僕ら的には生で見てたというところで、スティーブン・ジェラードですかね。
田丸さん:もちろん、それまでにもリバプールには数々のレジェンドがいるわけですけど、たぶん日本のリバプールファンの多くはオーウェンとかジェラードあたりから見てる人が多いと思うので、そうするとジェラードでしょうね。しかも、地元出身というところが大きいですよね。クラブも町も代表するような存在が地元から出たという、この幸せと奇跡はなかなかあることじゃないですよね。
タクヤ:最後は移籍しちゃいましたけど、あそこまでワン・クラブ・マンでキャプテンでというのは、そうそう他のクラブでもある例ではないですもんね。
田丸さん:あの当時、ジェラードの世代では何人かいましたよね。トッティとか、最後は移籍したけどラウル・ゴンサレスとか、昔はどこのクラブにも地元出身の偉大なキャプテンが結構いました。今はそういうことはほとんどないですけどね。ジェラードという地元出身の偉大なキャプテンがいたこと自体が、本当に奇跡のようなことですよね。それが故に、当時のジェラードがリーグタイトルを取れなかったというのは、本当に残念で悔やまれます。
タクヤ:そうですね。
田丸さん:それでも、間違いなくフットボールファンの記憶に残る選手ですから。
タクヤ:イスタンブールの奇跡での輝きと、その後にリーグタイトルを取れなかったという光と影みたいなところも、やっぱりジェラードもリバプールっぽいなというところがありますね。
田丸さん:リバプールの光と影を体現してますよね。
タクヤ:でも、いつかは監督として戻ってプレミアリーグを獲るというのが、やっぱりファンとしては次に見たいジェラードの姿ですよね。
田丸さん:ロマンですよね。
一番のライバル関係は?
タクヤ:田丸さん的には、ライバル関係みたいなところでいくと、リバプールFCの一番のライバルといって思い浮かぶのはどのクラブですか。
田丸さん:やっぱりマンチェスター・ユナイテッドですよね。今はマンチェスター・シティがとても強くて、リーグ1位と2位でフィニッシュする間柄なので実力的にはシティが最大のライバルだと思いますが、伝統的にビッグライバルはマンチェスター・ユナイテッドです。というのも、お互い黄金時代を築いて、獲得してきたタイトルもほぼほぼ同じぐらいなので、やっぱりユナイテッド戦の時は盛り上がるし、我々も興奮しますよね。
コーク:やっぱりエバートンよりはマンチェスター・ユナイテッドのほうが、ライバル意識というか、勝った時にうれしいと思います。
タクヤ:僕もそうです。同時に、負けたら一番悔しい。
田丸さん:でも、もしかしたら地元の人だと違うのかもね。
タクヤ:そこはやっぱり、エバートンになるんですかね。ジェラードも昔リバプールにいた時に、日程が発表されて真っ先に見るのがエバートン戦で、次に見るのがマンチェスター・ユナイテッド戦って言ってましたよね。それがやっぱり地元の人の感覚なのかもしれないですね。
田丸さん:恐らくそうなんでしょうね。
タクヤ:ちなみに、マンチェスター・ユナイテッドとのライバル関係には、やっぱりリバプールとマンチェスターという町同士のライバル関係みたいなところも結構影響してたりするんですかね。
田丸さん:そういう説もありますけど、実際のところどうなんですかね。
コーク:確かに町同士のライバル意識は強いと思いますけど、マンチェスター・ユナイテッドとリバプールのライバル関係がいつごろから今と同じぐらい激しくなったんですかね。例えばリバプールが黄金期を築いてたころは、タイトル数を見てもまだリバプールが抜けていて、マンチェスター・ユナイテッドってそれほど強くなかったじゃないですか。
その後マンチェスター・ユナイテッドが追い付いてきたから、今イングランドを代表する二つの名門クラブみたいな感じになってますけど、もしその時ユナイテッドとそこまでライバル関係じゃなかったとしたらどうでしょうか。やっぱり町の関係というよりは、お互いのタイトル数からのライバル関係なのかなという気がしないですかね?
田丸さん:やっぱり、そうだと思いますよ。
タクヤ:であれば、早くリーグタイトルの数で追い越したいですね。
田丸さん:追い付き、追い越したいですよね。
重要な役割をもつ『YNWA』
タクヤ:リバプールというと、やっぱり「You’ll Never Walk Alone」があるというのがより一層特別なクラブにしてますよね。
田丸さん:ありますね。
タクヤ:この歌がスタジアムで歌われだしたのが、シャンクリー時代の1963年ですかね。「You’ll Never Walk Alone」は、チャントという範囲を超えた存在ですよね。
田丸さん:そうですね。
コーク:チャントというよりアンセムとかのほうがふさわしいですよね。
タクヤ:そうですね。よく「YNWA」って略して表現しますが、この4文字があるのも、歌というよりは標語としてもすごい大きいなと思っていて。ファン同士でもSNSで使ったりして、ある種コミュニケーションツールみたいな感じになっていて、そういう便利な共通のワードがあるのも、リバプールファンの連帯感を高めてるのかなというのも個人的には感じているんですよね。
田丸さん:そうですね。他のクラブも何かしらあるんでしょうけども、別にリバプールファン、サッカーファンじゃなくても「You’ll Never Walk Alone」ってどんな場合でも普遍的に使える言葉なので、その言葉をクラブの歌として持っているというのはすごくいいですよね。
タクヤ:意味合いとして、試合を応援するフレーズだけではないというのがやっぱり大きいですよね。
田丸さん:いろんな場面で使えますよね。私がよく海外の人にされて困るのが「You’ll Never Walk Aloneって日本語で何て言うの?」って質問です。これが結構困っちゃって。困るじゃないですか(苦笑)。
タクヤ:確かに。でも、それに何て答えてるのかすごく興味深いです(笑)。
田丸さん:文字通りに言うとすごく変な響きになっちゃうから、我々日本人もあんまり日本語にはしないんですよって言ってます。どうしても日本語を知りたいって言うんであれば「君は一人では歩かない」となりますけど、これだと文字通りの意味過ぎて変なので、日本語にはしないほうがいいんですと答えます。
タクヤ:確かジェラードの自伝には「君は一人じゃない」って書いてありますよね。フレーズに訳すとしたらそんな感じですかね。
田丸さん:ちょっと訳せないですよね。私は、選手たちがプレーしてる時にスタンドのファンが「You’ll Never Walk Alone」と言うのは、「俺たちが付いてるぜ」っていうことでしょと思ってます。なので、「一人じゃない」というよりはそう訳したいですけども、使うのがその場面だけでもないので、そうするとその時々で違う日本語を付けるしかないですよね。
タクヤ:確かに、場面によってだいぶ変わってきますね。試合中なのかそれ以外なのか。
田丸さん:そうなんです。だから、本当にこれは日本語にしにくいです。
タクヤ:日本人の中で、あえて置き換えて使ってる人もいないですけどね(笑)。
田丸さん:たぶん全然いない(笑)。
タクヤ:ということで、今回は頂いていた「リバプールの面白い歴史だったり、印象的な歴史とかありますか」という質問に答える形でいろいろお話してきましたが、結構内容濃くいろいろ話せたのではないかなと思います。質問者さんがこの放送を聞いて、よりリバプールに興味を持って、沼にはまっていってくれたらうれしいと思います。
※本記事は、リバプール雑談ラジオ「#014 リバプールFCはなぜ名門クラブと呼ばれるのか?その歴史を振り返る」を書き起こして編集したものです。
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