リバプールFCの歴代No.7まとめ

The following two tabs change content below.
26lover

26lover

ロバートソンが好きな人です。SBが好きです。 ロボの影響でスコットランド代表も追ってます。
26lover

最新記事 by 26lover (全て見る)

この記事では、リバプールの各背番号を背負ってきた選手を掘り下げ、簡単に解説、説明をまとめていく。

第3回となる今回取り上げるのは背番号7だ。リバプールでは著名なレジェンドが背負ってきた特別な番号でもある。それでは、一体どんな選手たちが7番を受け継いできたのか、遡りつつ紹介していこう。

目次

  1. ジェイムズ・ミルナー
  2. ルイス・スアレス
  3. ロビー・キーン
  4. ハリー・キューウェル
  5. ウラディーミル・シュミツェル
  6. スティーブ・マクマナマン
  7. スタン・コリモア
  8. ナイジェル・クラフ
  9. ケニー・ダルグリッシュ
  10. ケビン・キーガン

ジェイムズ・ミルナー

引用元:LFC公式Twitter

  • 名前:James Milner
  • 生年月日:1986年1月4日
  • 身長:175cm
  • 国籍:イングランド
  • キャリア:リーズ・ユナイテッド/ENG(02-03~),スウィンドン・タウン/ENG(03-04~),ニューカッスル・ユナイテッド/ENG(04-05~),アストン・ヴィラ/ENG(05-06~),ニューカッスル・ユナイテッド/ENG(06-07~),アストン・ヴィラ/ENG(08-09~),マンチェスター・シティ/ENG(10-11~),リバプール/ENG(15-16~)

「鉄人」の異名を持つミルナーは、高いユーティリティと献身的なプレーで便利屋としてリバプールを支えてきた。近年は主にサイドバック、インサイドハーフとして活躍。コンスタンティノス・ツィミカスのフィット以前は、人材が不足していたアンドリュー・ロバートソンの控えとして左サイドバックでの出場機会も多かった。彼が様々なポジションをそつなくこなす事ができるのは高い戦術理解力を持つクレバーな選手だからだろう。さらに便利屋として使われることについて「クロップがチームにとっての最善を考えたなら僕はそれをするだけだ」と語る姿からも伺えるように、非常に利他的なメンタリティの持ち主である。テクニックやキックに優れたタイプではないが、圧倒的な走行距離や体を投げ出すことを厭わないプレー、そしてベテランらしい冷静さが彼の良さだ。PKキッカーとしても定評があり、重要な場面で冷静に逆をつく技術は度々チームを救ってきた。

タフさが強調されがちな彼だが、最近は寄る年波には勝てないといった印象を与えるプレーが増えているのも確かだ。中盤での起用で攻守ともに物足りなさを感じる事が増えたように思う。試合終盤に所謂「締め」として投入された際にもピッチに立つ他の選手に比べてクオリティが不足しているように見えることが多い。

先日、彼の契約延長が発表された。出場機会は減っていくことが予想されるが、試合に出場せずともメンター的な役割で大きな貢献をしてくれるだろう。1年の契約延長という事もあり来年以降の去就は不透明だ。しかし、彼がクラブを去ったとしても、彼が年下の選手たちに与えた素晴らしい財産、そして7番を背負ってリバプールに数々の栄光をもたらした事実は歴史に残り続けるに違いない。

ルイス・スアレス

引用元:LFC公式Twitter

  • 名前:Luiz Suarez
  • 生年月日:1987年1月24日
  • 身長:182cm
  • 国籍:ウルグアイ
  • キャリア:クラブ・ナシオナル/URY(04-05~),フローニンヘン/NLD(06-07~),アヤックス/NLD(07-08~),リバプール/ENG(10-11~),バルセロナ/ESP(14-15~),アトレティコ・マドリード/ENG(20-21~)

世界屈指のストライカーにして悪童として知られる彼は、ウルグアイ西部に位置する首都に次ぐ2番目の都市、サルトに生まれた。少年時代はガブリエル・バティストゥータに憧れていたという。並外れた得点力や常人離れしたボディバランス、インテリジェンスを感じさせる裏への抜け出しなどを武器にワールドクラスの選手として長らく活躍してきた。

アヤックスで名を挙げ、世界から注目される選手となったスアレスは2011年1月28日にリバプールにやって来た。後に紹介する、同じ7番を背負ったケニー・ダルグリッシュは指揮官に復帰したばかりだった。偉大なレジェンドの期待に応え、スアレスは加入から順調に活躍。調子を上げた彼は翌年度から退団までの3シーズン全てでチーム内最多得点をマーク。通算133試合出場82ゴールと圧倒的な決定力を見せつけた。また、13-14シーズンにはリーグ戦だけでPK無しの31ゴール12アシストという成績を残し、ヨーロッパゴールデンシューを受賞。絶対的な個の能力を持つ選手としてリバプールに欠かせない存在となった彼だったが、2014年夏にバルセロナへと旅立ってしまった。悲劇的な形でリーグ優勝を逃したリバプールにとっては泣きっ面に蜂の出来事である。

バルセロナでは「MSN」の最強スリートップを形成。リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウド以外で7年ぶりにリーガ・エスパニョーラ得点王となり2度目のゴールデンシューに輝くなどクラブの一時代を作り上げた。

噛みつきなど多くの問題行動で知られる彼だが、悪い面ばかりではない。それはプレーにも表れており、利己的なプレーにばかり走ることなく、多くのアシストを供給。本人もアシストを記録することは好きなのだと語っている。また、14歳で交際を開始した女性と結婚するなど一途な一面もあり、妻と娘を愛する良き父でもある。

余談だが、彼の本名はルイス・アルベルト・スアレス・ディアスである。昨シーズン加入し圧倒的な速さでフィット、大活躍を見せたルイス・ディアスと捉え方によっては同姓同名となる。この名前はリバプールと相性が良いのかもしれない。

ロビー・キーン

引用元:Liverpool公式サイト

  • 名前:Robbie Keane
  • 生年月日:1980年7月8日
  • 身長:175cm
  • 国籍:アイルランド
  • キャリア:インテル/ITA(00-01~),リーズ・ユナイテッド/ENG(00-01~),トッテナム・ホットスパー/ENG(02-03~),リバプール/ENG(08-09~),トッテナム・ホットスパー/ENG(08-09~),ウェストハム・ユナイテッド/ENG(10-11~),ロサンゼルス・ギャラクシー/USA(10-11~),アストン・ヴィラ/ENG(11-12~),ロサンゼルス・ギャラクシー/USA(12-13~),ATK/IN(17-18)

アイルランド生まれのキーンはウルヴァーハンプトン・ワンダラーズの下部組織で育った。全盛期のリーズでストライカーの頭角を現すと、トッテナムに移籍し副キャプテンとして活躍。2008年にリバプールに加入した。彼はリバプールが少年時代からの憧れのクラブで、移籍は生涯の夢であったと語っている。しかし、夢のクラブでのプレーはわずか半年余りで終わりを告げることとなる。キーンは結局目立った活躍を残すことはできず、2009年2月にトッテナムへと帰っていった。

余談だが、彼は日本と縁のある選手である。3得点を挙げ、アイルランドのベスト16入りに貢献した日韓W杯で訪日。宿泊先の出雲ロイヤルホテルでボールを蹴り、ロビーのシャンデリアを破損してしまう騒動を起こしている。彼はすぐに謝罪して弁償を申し出た。しかし大きく損傷した訳ではなかったため、シャンデリアにサインをしてくれたら良いということになったそうだ。「Sorry」の文言とサインが書かれたシャンデリアはしばらく展示されていたが、現在は撤去されてしまっている。なお、現在もサイン入りの記念写真は飾られているとのことである。

ハリー・キューウェル

引用元:This is Anfield

  • 名前:Harry Kewell
  • 生年月日:1978年10月22日
  • 身長:180cm
  • 国籍:オーストラリア
  • キャリア:リーズ・ユナイテッド/ENG(95-96~),リバプール/ENG(03-04~),ガラタサライ/TUR(08-09~),メルボルン・ビクトリー/AUS(11-12~),メルボルン・シティ/AUS(13-14)

キューウェルはシドニーのスミスフィールド出身。オーストラリア史上最高の選手との声もある名手だ。ウイングを主戦場とし、他の攻撃的ポジションも器用にこなした。リーズのトライアルで才能を見出された彼はメキメキと力を付け、将来有望な若手の一人になった。00-01シーズンにはリーズのチャンピオンズリーグ準決勝進出に貢献したが、クラブの財政難が理由で主力が流出。クラブは低迷するクラブから抜け出すような形でリバプールに移籍した。

リバプールでは138試合に出場。グロインペイン症候群(キックやダッシュの繰り返しによって鼠蹊部や下腹部などに痛みが伴う)を患っていたようで、怪我に苦しむことが多かった。ビッグイヤーを獲得した2005年のチャンピオンズリーグ決勝でも前半途中で怪我による交代を余儀なくされている。なお、彼はこの優勝でオーストラリア人として初めてビッグイヤーを掲げた選手になった。リバプールを去った後はガラタサライに所属。その後、故郷のクラブで過ごしキャリアに幕を下ろした。

ちなみにリバプールに在籍したオーストラリア人選手は過去に3人存在する。キューウェルとクレイグ・ジョンストン、ブラッド・スミスである。スミスは14歳でイギリスに移住しており、リバプールの下部組織出身の選手だ。

ヴラディミール・シュミツェル

引用元:Liverpool公式サイト

  • 名前:Vladimir Smicer
  • 生年月日:1973年5月24日
  • 身長:180cm
  • 国籍:チェコ
  • キャリア:スラヴィア・プラハ/チェコ(93-94~),RCランス/FRA(98-99~),リバプール/ENG(99-00~),ジロンダン・ボルドー/FRA(05-06~),スラヴィア・プラハ/チェコ(07-08~08-09)

チェコ出身のシュミツェルはフランスで才能が開花。ランス史上初となるリーグ優勝の立役者となる。チェコ代表としても1996年のEUROで準優勝に貢献し、注目を浴びた。

前述の活躍を受け、1999年にレアル・マドリードに移籍したスティーブ・マクマナマンと入れ替わる形でアンフィールドにやって来た。怪我に悩まされることも多かったが、リバプールで184試合19G30Aを記録。00-01シーズンの三冠達成にも重要な役割を果たした。04-05シーズンのチャンピオンズリーグ決勝では2点目となるミドルシュートを決め、リバプールは逆転優勝。イスタンブールの奇跡として語り継がれることになるこの試合がシュミツェルのリバプールでのラストマッチとなった。これからもファンの記憶に残り続けるであろう選手だ。

ちなみに、同郷でリバプールでも同じ時間を過ごしたパトリック・ベルガーとはプライベート含め大変仲が良い。

スティーブ・マクマナマン

引用元:Liverpool Echo

  • 名前:Steve McManaman
  • 生年月日:1972年2月11日
  • 身長:185cm
  • 国籍:イングランド
  • キャリア:リバプール/ENG(90-91~),レアル・マドリード/ESP(99-00~),マンチェスター・シティ/ENG(03-04~04-05)

「マッカ」の愛称で親しまれたマクマナマンはリバプールのアカデミー出身。生まれもリバプールの所謂「スカウサー」である。なお、少年時代にはエバートンファンだったという。

順調に頭角を現した彼は1990年にトップチームデビュー。91-92シーズンの飛躍をきっかけに中心選手としてプレーするようになった。1995年のコカコーラカップ(現在のカラバオカップ)では2ゴールを挙げ優勝の立役者となった。現地のファンはこの決勝をThe McManaman finalと呼ぶそうだ。95-96シーズンにはリーグ戦だけで25アシストをマークし、アシスト王に輝いている。ロビー・ファウラーやジョン・バーンズらと共にコンスタントな活躍を見せたが、98-99シーズンから負傷に悩まされ出場機会を減らすと、翌シーズンにはレアル・マドリードに移籍。アカデミーから所属したチームに別れを告げた。レアルでプレーした後はマンチェスター・シティに移籍し、ファウラーと再会。04-05シーズンで現役を退いた。

現在は評論家としてテレビなどに出演。最近では、ルカ・モドリッチに『何歳までプレーするんだい』との質問を問いかけ、モドリッチが『50歳さ。日本の三浦のようにね。』と答えると、陽気に笑うマクマナマンの姿が見られた。彼も三浦和良のことは認知しているようだ。

スタン・コリモア

引用元:Liverpool Echo

  • 名前:Stan Collymore
  • 生年月日:1971年1月22日
  • 身長:188cm
  • 国籍:イングランド
  • キャリア:クリスタル・パレス/ENG(91-92~),ノッティンガム・フォレスト/ENG(94-95~),リバプール/ENG(95-96~),アストン・ヴィラ/ENG(97-98~),フルハムFC/ENG(99-00~),レスター・シティ/ENG(99-00~),ブラッドフォード・シティ/ENG(00-01~),レアル・オビエド/ESP(00-01)

コリモアはウルブズのアカデミー出身。ノッティンガム・フォレストで94-95シーズンに22ゴールを決めチームの3位フィニッシュに貢献。活躍が評価されリバプールに移籍した。加入当初はイアン・ラッシュ、ロビー・ファウラーらと共に活躍した。特にファウラーとのコンビネーションには目を見張るものがあったといい、95-96シーズンには2人で55得点をマークしている。1995年4月3日のニューカッスル戦では、リーグ優勝がかかった大一番でロスタイムに逆転弾を決めた。この試合はリバプールの公式Twitterでも度々プレイバックされている。なお、このシーズンは最終的にマンチェスター・ユナイテッドに優勝を奪われ苦汁を嘗める結果となっている。この後、リバプールのリーグ優勝は記憶に新しい19-20シーズンまでお預けとなる。

初年度は活躍を見せたコリモアだったが、次の年からはマイケル・オーウェンの台頭に取って変わられ、徐々に出場機会を失って退団した。その後イングランド国内を渡り歩き、スペインでキャリアに幕を下ろした。彼は1999年からうつ病を患っていることを公表しており、自身のTwitterでしばしば病への認識を高める発信をしている。

余談だが、2000年2月にスペインでの休暇で酔って消火器を作動させ、チーム全体がリゾート地から追放されたことがある。

ナイジェル・クラフ

引用元:Liverpool Echo

  • 名前:Nigel Clough
  • 生年月日:1966年4月19日
  • 身長:175cm
  • 国籍:イングランド
  • キャリア:ノッティンガム・フォレスト/ENG(85-86~),リバプール/ENG(93-94~),マンチェスター・シティ/ENG(95-96~),シェフィールド・ウェンズデイ/ENG(97-98)

彼の生まれはジョーダン・ヘンダーソンと同じサンダーランド。父親はノッティンガム・フォレストをチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)2連覇に導いたことで知られるブライアン・クラフである。

クラフは父が監督を務めるノッティンガムでデビューした。主力選手として活躍したが、チームが降格し父親が辞任するとリバプールに移籍。アンフィールドでの開幕戦で2ゴールを決め、鮮烈なデビューを果たした。滑り出しこそ順調だったもののグレアム・スーネス監督が解任されると出場機会を失い、3年間で39試合出場7ゴールの成績にとどまった。

引退後は監督業に従事しており、ダービー・カウンティやシェフィールド・ユナイテッドを率いた。現在はマンスフィールド・タウンを指揮している。

背番号固定制について

ここまで紹介してきたのは、1993-94シーズンに背番号固定制が導入されて以降に7番を背負った選手たちである。この制度が導入される以前は1~11番を付けた選手が試合に出場するシステムだった。そのため、本来の7番の選手が何らかの理由で欠場する際には、リザーブメンバーもしくはコンバートされた代役の選手が7番を付けて出場した。

背番号固定制導入前の選手を全員紹介すると前述の制度の都合上、膨大な数になってしまうので、ここからは7番として名を馳せた、特に有名なレジェンドを紹介するに留めたいと思う。

ケニー・ダルグリッシュ

引用元:LFC公式Twitter

  • 名前:Kenny Dalglish
  • 生年月日:1951年3月4日
  • 身長:173cm
  • 国籍:スコットランド
  • キャリア:セルティック/SCO(69-70~),リバプール/ENG(77-78~89-90)

キング・ケニーの愛称で親しまれたダルグリッシュは、1977年にハンブルガーSVに移籍したケビン・キーガンの後釜としてやって来た。移籍金は当時の最高額である44万ポンド。なお、ダルグリッシュは15歳の時にリバプールのトライアルを受けたことがあるようだ。その際には縁が無く、彼のキャリアは母国スコットランドのセルティックからスタートしている。

ミドルズブラ戦でデビューしたダルグリッシュは初出場でゴールをマークし、初年度からチーム内得点王に輝くなど、名将ボブ・ペイズリーの率いるリバプールにすぐにフィットした。彼は在籍した期間で2度の得点王、7回のリーグ優勝、3回のチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)優勝を達成し、リバプールの黄金期を支えた。1985年にはジョー・フェイガン監督に代わって選手兼任監督に就任し、リバプールをリーグとFAカップの2冠に導く。最終的にリバプールでは通算515試合に出場し、172ゴールをマーク。アンフィールドでキャリアに幕を下ろした。

引退後はブラックバーンやニューカッスルの監督を歴任し、2011年には下位に低迷したリバプールの監督に就任。最終的に6位まで順位を押し上げる。次のシーズンにはカーリングカップ(現在のカラバオカップ)優勝、FAカップ準優勝と結果を残しながらもリーグ戦では8位に低迷し、シーズン終了後に解任されてしまった。リバプールでは残念な形で終わってしまったものの、指揮官としてキャリア合計12のタイトルを獲得しているダルグリッシュは優秀な監督だったと言えるだろう。2013年10年には非常執行取締役としてリバプールに復帰。2017年にはクラブへの多大な貢献を称してアンフィールドの「センタナリースタンド」が「サー・ケニー・ダルグリッシュスタンド」に改名された。クラブ史に残る彼の活躍は永遠に語り継がれていくことだろう。なお、現在でも時折アンフィールドの観客席で試合を観戦するダルグリッシュの姿を見ることができる。

ケビン・キーガン

引用元:LFC公式Twitter

  • 名前:Kevin Keegan
  • 生年月日:1951年2月14日
  • 身長:172cm
  • 国籍:イングランド
  • キャリア:スカンソープユナイテッド/ENG(68-69~),リバプール/ENG(71-72~),ハンブルガーSV/GER(77-78~),サウサンプトン/ENG(80-81~),ニューカッスル・ユナイテッド/ENG(82-83~83-84)

特徴的な髪型をトレードマークに70年代のリバプールを支えたキーガンは、ドンカスター出身。1971年にイアン・キャラハンの代役としてアンフィールドにやって来た。当初は中盤の選手として計算されていたが得点力が評価され、たちまちFWとして起用されるようになった。172センチの身長にも関わらず、空中戦にも優れた選手だったという。

彼の在籍した期間でリバプールはチャンピオンズカップ1回、UEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)2回、FAカップ1回、リーグ優勝3回の計7つのタイトルを獲得。キーガンはリーグと欧州カップ戦の2冠を達成した72-73シーズンと75-76シーズン、共にUEFAカップ決勝で得点を決めるなど、その圧倒的な得点力でタイトル獲得に貢献した。彼は最終的に323試合出場100ゴールの成績を残し、1977年にハンブルガーSVに旅立った。76-77シーズンに移籍が取り立たされた際には現地のファンから批判を受け、FAカップ決勝でマンチェスター・ユナイテッドに敗れた際にはスケープゴートにされてしまったという。しかしシーズン最後のチャンピオンズカップ決勝でPKを獲得する活躍を見せ、チームを初の優勝に導いたことで最後には惜しまれながら送り出されたそうだ。

なお、移籍先のハンブルガーSVではバロンドールを2回受賞している。個人としても世界最高レベルの選手だったと言えるだろう。しかし、代表には縁がない。唯一の出場となった1982年のW杯では入浴中に背中を怪我してしまい、1試合の出場に留まっている。引退後はニューカッスル、フラム、マンチェスター・シティやイングランド代表監督などを歴任し、監督としても名を馳せた。

余談だが、キーガンは1984年にプレシーズンマッチの特別出演という形で全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス、現在の横浜・F・マリノスの前身にあたる)の試合に出場したことがある。

参考サイト

https://www.liverpoolfc.com/history/past-players/forwards

LFC公式オンラインストア


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA