ジョーダン・ヘンダーソン~リバプールでのdecadeとその先~

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MAKOTO
関東在住。頭の中の6割がフットボール(リブァプール)、3割がWWEです。

おはようございます。こんにちは。こんばんわ。MAKOTOです。

年末年始のお休みで少し暇だったのでやってみた記事第2弾。

今回は現地2021年1月1日にガーディアンに掲載されたヘンダーソンのインタビュー記事です。2011年6月にリバプールに移籍しておよそ9年半の様々なことを話してくれています。

そこそこ長いのでお時間のある時にでもどうぞ。

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The Guardianより。

URL : https://www.theguardian.com/football/2021/jan/01/jordan-henderson-liverpool-i-was-in-a-very-dark-place-it-made-me-a-lot-stronger

他に類を見ない暗い1年の終わり、そしてリバプールで過ごす節目の10年の締めくくりとなる新年の始まりに、ジョーダン・ヘンダーソンは一旦立ち止まって自分と向かい合おうという気分になっている。リバプールのキャプテンにはCovid-19の最前線でNHSに勤務する家族や友人がいる。彼らは時として、愛する人たちに別れを告げたいと思う人々に唯一の術として提供される電話やタブレットを手に取る。

癌との長きにわたる戦いでNHSに助けられた彼の父は保護されていて、ヘンダーソンは昨年父とあまり会うことはなかった。このことは彼がNHSの為にプレミア・リーグのフットボーラーたちから数百万ポンドを調達した基金を始めて、運用した理由を説明するのに役立つだろう。

朝のトレーニングを終えて帰宅したばかりで、年末の試合の結果がぼやけ、2020年の残酷な影響に対処する時でさえも、ヘンダーソンは人を惹きつける存在だ。「それはあったと思うね。」とこの1年が彼を変えたか尋ねられてそう言う。「それは確かに見通しの中に入っているよ。当たり前のことだと思っている訳じゃないけど、大事なことだとは何度だって言う-つまり家族と健康だね。それが大切なものすべてさ。できる限り人生を楽しんで、気落ちし過ぎないようにしないといけない。だけど、ウィルスのせいで誰にとっても困難だったね。すぐにでも好転してくれることを願っているけど、多くの人が苦しんで、多くの人が亡くなっていて、それは僕たち皆に影響を与えている。僕や他の仲間(共に基金に取り組んだクラブキャプテンたち)全員がやろうとしたのは、違いを生み出す手助けだったんだ。」

ピッチレベルでは、ファンが不在なのにもかかわらず、ヘンダーソンはリバプールを30年ぶりのリーグ・タイトルに導いた。彼はチャンピオンの誇り高い自己信念と熱心に走り続ける情熱を象徴している。フットボール記者による投票でプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、BBCスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーの投票ではルイス・ハミルトンに次ぐ2位となった。

その称賛は、かつてヘンダーソンを悩ませた批判や疑念に取って代わった。それでも彼は、改善への渇望は薄まっていないと主張している。リバプールは月曜日の夜にサウサンプトンと対戦するが、2019年4月の同じ試合がターニングポイントになったと彼は指摘する。リバプールが序盤の失点から3-1で逆転勝利した試合でヘンダーソンはベンチから途中出場すると堂々たるパフォーマンスを見せた。彼らのキャプテンは、さらなる攻撃的な存在としての地位を確立しようと努力し、自身が切望していた高度な中盤での役割でプレーできることを証明してみせた。

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もちろん、個人的な危機の場面はそれを乗り越えられなかった我々にとってはより魅力的なものに思える。だが、ヘンダーソンは自身が克服してきた逆境に関する質問には、自身の感情がまだ鮮明であることを示唆する形で答える。2011年6月、サンダーランドからリバプールに2000万ポンドで加入したが、フェンウェイ・グループ買収後の最初の主要な獲得選手の1人だった。それから14ヵ月後、クラブにおけるヘンダーソンの重要性を考えると今では想像もできないほどに厳しいことだが、リバプールはクリント・デンプシーとの交換取引で彼をフラムに売却したいと考えていた。

「ハッキリと憶えているくらい難しい時期だったよ。」とヘンダーソンは涙を流したその時のことを語る。「僕たちはアンフィールドでの(ヨーロッパ・リーグ予選の)ハーツ戦の準備をしていたんだ。いつものように(ホープ・ストリート)ホテルで合流したんだけど、監督はドアをノックして僕たちと話がしたいって言ってきてね。ブレンダン・ロジャーズの為にフェアに言うけど、本当にただの会話だったんだ。それが(フラムに去る)機会だったけど、僕は望んじゃいなかったし、好ましいことにも思えなかった。僕にはまだまだできることが沢山あるって感じていたんだ。」

「その頃の僕は真っ暗闇の中にいたね。でも、それが僕たちをもっと強くしてくれたし、もっと賢くもしてくれた。それがなかったら、今みたいになれたかどうかは分からないね。だから、挫折は必要だし、逆境も必要で、そうした時期を本当に大切にしている。皆が間違っていることを証明したいからこそ、立ち上がって、もっと強くなれるのさ。その日から、自分の中に何かが芽生えたんだ。僕は監督に証明する必要があった。最終的には僕は彼のチームに入るんだってことをね。僕は彼のチーム、このフットボールクラブに入り込む為に何だってやって、彼らが間違っていたことを証明する。それで遂に僕はやってのけたのさ。」

ヘンダーソンは、彼と妻のレベッカは激動の時期にも相変わらず親密な関係を保ってはいたが「家族とフットボールを一緒にしてしまうのは好きじゃなかったから難しかった。」と説明してくれた。彼はこう語っている。「家に帰っても、あの頃はあまり素晴らしい気分って訳ではなかったね。僕はまだとても若かったし、そういう状況に対処する術を学んでいるところだったんだ。でも、自分がやらなきゃならないことにはとても集中していた。ただチャンスを掴む為に、トレーニングを続けて、成長し続けて、ジムで強くなり続けて、24時間取り組んで、他の人がやっていないことをやる必要があった。だから、僕にとって集中すべきことは、自分が好きなこと-つまりフットボールをすること、そして自分ができる限りベストであることだったんだ。レベッカはいつも僕の為に側にいてくれたけど、そうだね。難しい時期だったよ。」

スティーブン・ジェラードは、我々が彼の自伝の仕事をした際、ヘンダーソンの母親が自身の懸念を共有しようと彼に相談していたことを私に語ってくれた。「彼女は息子のことを心配していたよ。」とジェラードは語っている。「彼はどうしていいのかちょっと分からなくなっていたんだ。あの移籍は最初は彼にとって大きすぎるものだったのさ。」彼がとても歳を取ったと冗談を言ったのはヘンダーソンがかつて寝室の壁に彼のポスターを貼っていたからだが、ジェラードはクラブが自分の後継者を見つけ出したと確信していた。ヘンダーソンは“自分が一番気にかけている”リバプールの選手の1人だと強調して、ジェラードはチームメイトのことを心配する母親を安心させた。

彼はリズ・ヘンダーソンに対して彼女の息子の面倒を見ることを約束し、ジョーダンのことを注意深く見守っていた。「彼が良い選手になることは分かっている。」とジェラードはヘンダーソンが“クラブにとって不可欠な選手”になると強調する前に語った。

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ヘンダーソンは8年前にその確信を共有していたのだろうか?「何が起こるかなんて分からないと思うね。最初に契約した時、僕はとても若かったし、タフなことになるのは分かっていたさ。でも、いつも自分を試したいって思っていたし、リバプールに行くことで、自分がもっと成長できるって思っていたんだ。ちょっと時間がかかってしまったけどね。」

チームの重要な存在としても、2014年にリバプールがリーグ優勝に近づいた際にヘンダーソンは試されることとなった。彼の父のブライアンはその数ヵ月前に喉頭癌と診断されていた。「ショックだったよ。」とヘンダーソンは回想する。「少なくとも彼とは5ヵ月間は会わなかった。彼が治療を受けている時期に僕たちは会いたくなかったからね。彼が観ていることは分かっていたから、目の前のことに集中してプレーし続けたよ。僕たちの勝利は彼の助けにもなるだろうしね。だから、自分のエネルギーをそこに向けたんだし、6ヵ月間でどれほど回復が早く進んだか驚くと思うよ。父さんは1月の終わり頃に診断されたんだけど、僕がプレーしていた時でね。僕は自由にやるだけだったけど、彼の気分を上げる為にできる限りのことをやったよ。」

その頃、ヘンダーソンが直面していることを知る者はほとんどいなかったが、スポーツ精神科医のスティーブ・ピーターズと頻繁に話をしたことを明かしてくれた。「父さんが病気で、リーグ優勝に近づいていた頃、スティーブとは定期的に話をしたよ。彼がイングランド代表にいた時もそうだったし、スティーブとは数年間話をしてきた。これは大きな力になってくれたね。」

「大勢の人がこういったことに対処していて、そのことで僕たちはさらに早く成長したし、多くのことを学んだよ。ある意味では父さんを強くしたし、彼を良い方向に変えてくれたと感じてもいる。彼はそれまで以上に人生を楽しんでいるよ。それを乗り越えられれば、ポジティブな見通しを持つことができる。でも、人によっては、残念ながらハッピーエンドじゃない場合だってあるけど。」

2019年6月にヘンダーソンがチャンピオンズ・リーグのトロフィーを掲げた夜、彼は父親とピッチで涙を流しながら抱擁を交わして、感動的なお祝いを完成させた。癌から生き延びた父親は別として、ヘンダーソンは遂にフットボールの頂点に受け入れられたと感じた。だが、そのわずか7週間前、彼はサウサンプトン戦で途中出場して、より深い位置の6番というよりも8番としてプレーすることで、批評家や疑う者を乗り越える為に戦い続けていた。

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「あの試合はちょっとしたターニングポイントだったね。」とヘンダーソンは語る。「それ以前も良いパフォーマンスはできていたけど、あれが少し違うポジションでのプレーの始まりだって感じさ。チームに何か違うものをもたらすことができたし、あの時からもっと自信を持つことができたんだ。はるかに成長して、さらに一貫したパフォーマンスを発揮できたね。」

「監督(ユルゲン・クロップ)が最初に来た時(2015年10月)、僕にとっては難しかったんだ。怪我をしていたからね。つまらないことに悩み続けていたから、本当の自分と自分のリズムを取り戻すのに時間がかかってしまったんだ。それから、より深い位置での役割でプレーし始めたんだけど、それはユルゲンのおかげさ。その役割を僕がどういう風にできるのかは多くの人は見ていないと思うからね。上手くいかなかった時もあった。そうしたら自分が十分に良い選手だったならって疑問に思うだろうね。でも、僕は監督に自信を持たせてもらって、取り組み続けた。そうして成熟していけたのさ。チャンスを与えてもらったことを本当に感謝している。オールラウンドなプレーで守備的にも攻撃的にも改善できたんだからね。」

ヘンダーソンがより攻撃的なポジションでプレーさせてほしいと頼んだ時、クロップは簡単に確信を持てたのだろうか?

「ナチュラルに守備的な中盤の選手であるファビーニョと契約を交わした時、それが僕にとって良いことだって感じたんだ。もう少し上のポジションでプレーすることができたからね。それで監督と話をしたんだけど、彼はとてもオープンだったよ。だけど、すぐにプレーさせるつもりはなかったと思う。その後まもなくして、サウサンプトン戦ではアタッカーとして出場してゴールを決める前に僕はベンチに座っていたんだ。それ以降はさらに成熟することができたね。昨シーズンの終わりまで僕は8番としてプレーしたけど、今シーズンは怪我をしていたから、もう少し深い位置でプレーすることになったんだ。両方のポジションで貢献できると感じているよ。」

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リバプールは、順位表のトップに立ち、優勝候補であり続ける為にセントメリーズに戻る。「過去数年間、僕たちは自分たちがどれほど優れているかを証明してきたし、今は改善し、できる限りハードワークして、足りないものをさらに欲して、100%全力を尽くしているんだ。僕たちは良い位置につけてはいるけど、プレミア・リーグはすぐに変わってしまう可能性があるからね。でも、僕とチームはハングリーさや強く願う思いを常に持っていくつもりさ。」

感染率や死亡者数の上昇というパンデミックの厳しい背景に対して、ヘンダーソンは彼のいとこや他の友人たちがNHSで行っている仕事のことでずっと頭がいっぱいだと強調する。「彼らがやっていることや経験していることの話をいつも聞いているんだけど本当に辛いよ。彼らは最前線でがんばってくれているけど、その結果を感じられる時がいつか来ると思っている。今はすぐさま計画を立てて、できる限りの支援をすることが大切なんだ。彼らがやってきたことは信じられないほど凄いことなんだからね。」

「大勢の人が死に瀕していたのにその家族は病院に入れなかったんだ。だから、患者が家族に別れを告げる為にiPadやiPhoneを持っておきたいと彼らは思っている。そうした話を聞くのは本当に辛いものさ。最前線にいる人たちは恐ろしい光景を何度も目にしているから、僕たちにできることは彼らをサポートして、すべてがストップしてしまった時に起こるかもしれないことに備える手助けをすることなんだ。」

パンデミックはヘンダーソンが2020年に父親と数多く会えなかったことも意味していた。「彼はとてもリスクが高いし、注意を払う必要があるんだ。最初のロックダウンが少し緩和された時に彼と会う機会があって、その後で多分1度か2度かな。それほど多くはないけど、父さんは元気だよ。」

ヘンダーソンは、ノン・アルコール・ビールのバドワイザーゼロが支援するチームによって作成されたDry Januaryキャンペーンの広告塔を務めている。「僕はあまりアルコールを飲まないから、僕にピッタリの本当に良いキャンペーンだね。」とヘンダーソンは語る。「2020年は多くの人が、特にロックダウン中は、慰めを求めてアルコールに手を出して、物事に気を配らなかったね。飲み過ぎた人たちの話も聞いたことがあるよ。だから、みんなでDry Januaryを完成させて、集中して健康を維持して、新年の良いスタートを切ろう。」

リバプールでの過去9年半はヘンダーソンにとって“あっという間のこと”だったが、30歳になってフットボールのない生活を考え始めたか尋ねた時にのみふたたび立ち止まる。「考えないようにしているよ。僕はとても長い間プレーできることを願っている。ゲームに対するハングリーさや欲求、愛情はまだ残っているからね。心身ともに良い感じさ。だから、そんなに先のことは考えていないんだ。クラブとイングランド代表の為に今後何年もできる限りのことをしようと集中しているだけさ。そうしたことが僕をどこへ連れて行ってくれるのか見ていくよ。」

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