Suchmosの『GAGA』を考察してみた ~ガリレオ・ガリレイ説~

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こんにちは、コークです。今回は久しぶりに、日本のロックバンド・Suchmosについての記事を書きたいと思います。

この記事、というかこのサイトをご覧になっている方の大半はリバプールFCのファンだと思いますが、そもそもSuchmosというバンドをご存知でしょうか?

Suchmosを知らなければ「なぜこのサイトでバンドの記事を?」と疑問に思う方もいるかもしれませんが、実はSuchmosのボーカルである“YONCE”こと河西洋介は、かなり熱烈なリバプールのファンなんです。逆にSuchmosのファンであれば、YONCEが大のサッカーファンで、彼が応援しているチームがリバプールであることを把握している方も多いはず。

YONCEのリバプール好きが現れたエピソードとしては、例えば曲の中に“You’ll Never Walk Alone”や“リバプール”という歌詞を入れたり、ライブでリバプールのユニフォームを着たり、ラジオで試合や選手について語ったりと様々。

個人的な思い出になってしまって申し訳ないのですが、私も寄稿させていただいたフットボリスタの『リバプール 2018-19 UEFAチャンピオンズリーグ優勝記念号』と『リバプール 2019-20プレミアリーグ優勝記念号』には、前者にYONCEのインタビュー記事、後者に直筆メッセージが載っています。リバプールの優勝記念特集に携わることが出来ただけでも嬉しいのに、同じ誌面にYONCEがいる。とても不思議な感覚で誇らしい気持ちに今でもなります。

そんなこんなで、このサイトでも定期的にSuchmosやYONCEに関する記事を書いていたのですが、最後が2021年7月ということでかなり間が空いてしまいました。この記事で改めて紹介すると長くなってしまうので、そこは過去の記事に任せようと思います。特に『SuchmosのYONCEとは何者か?そのリバプール愛に迫ってみる』を読めば、リバプールファンとしてのYONCEについて凡その把握はできると思うので是非。

SuchmosのYONCEとは何者か?そのリバプール愛に迫ってみる

2020.08.05

Suchmos「リバプール愛」溢れるW杯テーマソングを作る

2018.05.12

GAGAについて語りたい

本題なんですけど、今回は私がSuchmos(というかこの世に存在する全ての曲の中)で一番好きな楽曲『GAGA』の歌詞について考察していきたいと思います。サッカーの話はもうしません。これはリバプールのファンというよりもむしろSuchmosのファンに向けた記事になります、申し訳ない。ここから先はGAGAの歌詞について興味がある人だけ読んでいただければと思います。Let’s Show Me Your Groove!

(これは過去に書いた記事を大幅に加筆修正し再投稿したものなので、一度ご覧になられている方もいらっしゃるかもしれませんが、是非お付き合いいただけると嬉しいです)

歌詞の考察に入る前に、GAGAという楽曲について軽くおさらいしておきましょう。Suchmosが2015年7月8日にリリースした1stアルバム『THE BAY』に収録されており、作詞・作曲はベース担当の“HSU”こと小杉隼太。シニカルなリリックとそれを包み込む心地良いサウンドが特徴のナンバーで、ライブでも定番と一曲となっています(間奏のまま完奏するアレンジがこれまた定番と化していますが…)。

1番

では、1番の歌詞から見ていきましょう。下記の動画を再生すると、その歌詞のタイミングで再生が始まります。

甘い円盤を探して

並ぶためにパンケーキ食べて

排水溝屈んで

中を覗けDirtyなMouseが

モノレールで向かって

蟻のような行進が習性

Chigasakiなら五分で

もっと長いジェットに乗れるよ

〈甘い円盤を探して 並ぶためにパンケーキ食べて〉とは、初手から皮肉たっぷりですね。「君は本当にそのお店のパンケーキが食べたいの?行列のできるようなお店だから、周りの評価だけを見て行ってるんじゃない?」と私は解釈しています。並ぶことが目的になっているような「周りに流されてしまう人間」の様はこの曲のキーであると考えているため、この曲は何を歌っているのか/何を伝えたいのかが初手から明確になっていると思います。

〈排水溝屈んで 中を覗けDirtyなMouseが モノレールで向かって 蟻のような行進が習性〉。これはもう、十中八九ディ〇ニーランドのことでしょう。ディ〇ニーへ行くためにモノレールに乗っていく人たちの様子はまるで蟻のようだと。神の視点ですね。ここだけ見ると痛烈なディ〇ニーやそのファンへの皮肉に思えますが、続く〈Chigasakiなら五分で もっと長いジェットに乗れるよ〉という歌詞で彼らが伝えたいことがわかるような気がします。

“Chigasaki”、つまり茅ヶ崎市は、神奈川県の湘南エリア中央部に位置し、ボーカルであるYONCEが生まれ育った場所。加山雄三や桑田佳祐などの出身地でもありますね。茅ヶ崎といえばやはり海なので、歌詞に登場する“ジェット”とはジェットスキー(水上オートバイ)のことでしょう。「パンケーキを食べるために何時間も並んだり、わざわざディ〇ニーまで行って一瞬で終わってしまうアトラクションに乗ったりしているなら、茅ヶ崎ですぐ楽しめるジェットスキーの方がよっぽど有意義な時間を過ごせるよ」と、まぁこんなところでしょうか。

画像出典:cinra.net

1番は全体的に、主体性がなく、長い物に巻かれている人間を皮肉っているような感じです。自分が本当にしたいことではなく、大多数の人間がやっているから/人気だから、という理由でそれに流されている。もちろん、本当にパンケーキが大好き、あるいはディ〇ニーの大ファンという人もいるでしょう。でも、みんながみんなそういう人たちではないし、むしろそれだけ愛を持ってパンケーキ屋やディ〇ニーに行っている人は全体から見れば少数派ではないでしょうか。

2番

続いて2番の歌詞を見ていきましょう。

乗り換えには無心で

轢かれそうになるほどのソルジャー

配給の現れ

所詮拭うことはない敗戦

週明けには決まって

止まる列車そう、それがAnswer

乗り換えには無心で

轢かれそうになるほどのソルジャー

いかがでしょうか。1番よりもちょっと暗い雰囲気がします。〈乗り換えには無心で 轢かれそうになるほどのソルジャー〉とは、電車に乗って仕事へ向かうサラリーマンのことでしょう。ここで登場する“無心”という単語が持つ意味は「意思・感情などがないこと」だと思われます。少し1番の歌詞との繋がりを感じますね。続く〈轢かれそうになるほどのソルジャー〉は、一体何に轢かれそうになっているのでしょうか?曲の雰囲気から読み取れる様子は満員電車なので人の波かもしれませんし、もしかしたら電車そのものかもしれません。

〈配給の現れ 所詮拭うことはない敗戦〉と〈週明けには決まって 止まる列車そう、それがAnswer〉は続けて見て行こうと思います。ではまずここで登場する“配給”がなにを意味するのか考えてみましょう。1番と2番は基本的には同じ文脈であると思われるので、ここでいう配給は無心のソルジャーたち、つまりサラリーマンを指しているのではないでしょうか。基本的に配給は物資やサービスに対して使われる言葉なので、会社(や社会そのもの)から“モノ”のように扱われているという皮肉だと捉えています。この曲をすでにご存知の方ならおわかりいただけると思いますが、サビの部分で映画に関する歌詞が登場するので、そこと掛けている可能性も十分にあります。では、その配給の“現れ”とはなにか?

一旦〈所詮拭うことはない敗戦〉を飛ばして、〈週明けには決まって 止まる列車そう、それがAnswer〉から考えたいと思います。まず“週明け”は基本的に月曜日を指しますよね。土日の休みが終わり、また仕事へと向かう月曜日。ブルー・マンデー。そんな週明けの月曜日に“止まる列車”。かなりダークな雰囲気ですが、やはりこれは“人身事故”を指していると考えていいでしょう。実際に、月曜日の朝は人身事故が起きやすいというデータもあります。

では、続く〈そう、それがAnswer〉とは、一体どういう意味なのか。素直に受け取れば「人間を意思や感情のない兵士(=モノ)のように扱うとどうなるのか?いつか限界が来て、人身事故によって列車が止まるよ」といったところでしょう。つまり、〈配給の現れ〉の“現れ”が指すものは、前述の「モノのように扱われた人間の末路=人身事故」であり、〈そう、それがAnswer〉は「人間をモノ扱いしているといつかこうなるよ」というある種の警告だと解釈しています。

さて、一旦飛ばした〈所詮拭うことはない敗戦〉について。まず、ここでいう“敗戦”が指すものは、“ソルジャー”目線での人身事故のことではないでしょうか。日々の戦いに疲弊し、負けて命を絶ってしまった人。そして、その“敗戦”を〈所詮拭うことはない〉と言っていますね。“拭う”という言葉には物理的な汚れだけでなく、汚点などを消し去る際にも使われる言葉です。そう考えると、この“拭う”とは“ソルジャー”を雇っていた側の目線だと思われます。自分たちがモノのように扱い働かせた結果、人身事故に繋がってしまったのであれば会社の汚点になりますもんね。しかし、今回は〈所詮拭うことはない〉。“所詮”という単語からは、諦めの感情が入り混じったシニカルな印象を受けます。つまり、「このような結果になっても、結局なにも変わることはない」と言ったところでしょうか。

そして、〈止まる列車そう、それがAnswer〉の後にもう一度〈乗り換えには無心で 轢かれそうになるほどのソルジャー〉と歌われます。最初は人の波の可能性もありましたが、こうなってくると電車である可能性が限りなく高いように思えます。あえてこのパートを繰り返す(あるいは、前に戻る)ことによって、「なにも変わることがなかった」ということを表現しているのかもしれません。

2番は全体的に、1番と比較するとかなりダークですね。ただ両方に共通して、現代社会の在り方への批判的な姿勢が感じられます。1番は個々人に対して(ミクロな視点)で、2番はその個人を支配する現代社会の構造に対して(マクロな視点)、と言ったところでしょうか。

次ページでは、サビの歌詞を考察していきたいと思います。

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