リバプールFCの歴史上、選手が1人だけ在籍していた主な国は?

The following two tabs change content below.
かぴばろ
2018頃からの新参者です。池袋エリアのサウナに割と出没しがちです。体重だけならマティプとファンダイクに肩を並べられるおデブです。

コロ・トゥーレ/コートジボワール

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 出場試合数:71試合
  • 生年月日:1981年3月19日
  • ポジション:DF
  • 在籍期間:2013~16年

国の特徴

西アフリカ沿岸部に位置する国。

「Côte d’Ivoire」とは「象牙の海岸」という意味であり、かつて日本では「象牙海岸共和国」とも呼ばれていた。ちなみに、サッカー・コートジボワール代表の愛称は「Les Éléphants」である。

フランスとの直行便が毎日就航しており、交通アクセスの良さからアフリカ仏語圏へのゲートウェイとされている。北部はサバンナ気候、南部は熱帯雨林気候と分かれているが基本的にどの区域も年間を通して高い気温を保つ。

農業が盛んで、天然ゴムやコーヒー、綿花等様々な農産物の生産が主流。特にカシューナッツやチョコレートの原料となるカカオ豆は世界トップの生産量を誇っている。

一方で「西アフリカのニューヨーク」と謳われる姿も持ち合わせており、1960~70年代にかけて奇跡と称されるほどのスピードで経済成長を成し遂げた。

選手メモ

2013年にマンチェスター・シティFCより加入し、主に前監督であるブレンダン・ロジャーズ政権を支えたアフリカ産CB。身長は178cmとCBにしては小柄だが、高い身体能力とカバーリング能力を駆使して力のこもった守備を見せ、プレミアリーグに長く君臨し続けた。

リバプール時代も度々高いパフォーマンスを見せつけはしたが、多くのサッカーファンが彼に対して抱くイメージは2003-04シーズンのプレミアリーグにて無敗優勝を達成したアーセナルFCの一員であったという点だろう。

アーセナル時代を中心に積み重ねたプレミアリーグでの豊富な経験を活かし、ジェイミー・キャラガーが去った後のディフェンスラインの構築に貢献したと言える。

2016年にはロジャーズについて行く形でリバプールを退団し、スコットランドのセルティックFCに加入。

2017年に現役を引退し、現在は指導者への道を歩むべくレスター・シティFCにてこれまたロジャーズの傍らでコーチを務め、日々研鑽を積んでいる。

グレン・ヒーセン/スウェーデン

画像出典:talksport

  • 出場試合数:93試合
  • 生年月日:1959年10月30日
  • ポジション:DF
  • 在籍期間:1989~92年

国の特徴

北ヨーロッパのスカンジナビア半島に位置する国。

湖と海に囲まれた近代的な街造りと自然豊かな緑が共存し「水の都」とも呼ばれる首都ストックホルムを中心としたどこか涼しげに思える景観が魅力的。6月には夏至祭という多人数で歌って踊ることを楽しむ催しが開催され、その催しの規模感はクリスマス並に大きい。

「福祉国家」として知られ、消費税が高い一方で国民に対する還元率が高く、学費や養育費、医療費が無料になる等といった保障面での手厚いサポートがある。

日本でもお馴染みのIKEAやH&Mと言った店舗発祥の地でもあり、近代のお洒落な文化の一端を担っている存在。

国民性にも個性的な傾向があり、個々の自由や意思を尊重する意味合いが強かったり、尊厳的かつ自然に還る死生観を持っていたりと“自然・自由”を強く捉える。

選手メモ

選手キャリア初期の頃は母国スウェーデンのクラブ、IFKヨーテボリにて欧州カップ戦タイトル獲得等を果たし、一流CBとしての地位を確立。そこから複数のクラブを経て、1989年にイタリアのACFフィオレンティーナから加入した。

力強さ、スピード、空中戦の強さ、キャプテンシーと言った多くの長所を兼ね備えていた男は1990年にクラブのリーグ制覇に大きく貢献。

スウェーデン代表でも中心選手として活躍し、1989年のイタリアW杯予選ではイングランドと同組になるも無敗を記録し首位通過。本戦への出場権獲得に貢献した。

しかしながら、ヒーセンは後々のキャリアに影響するほどの怪我を負ってしまう。更に1991年、彼の加入からリーグタイトル獲得までを共に分かち合った当時の監督ケニー・ダルグリッシュが辞任。後任のグレアム・スーネスに重用されることは無かったため、1992-1993シーズンのプレミアリーグに参加することは叶わず、チームを去った。

その後は母国スウェーデンのGAISに加入し、1994年に現役を引退。引退後は解説業を始めとした地元のテレビ番組に精力的に出演していた。

余談ではあるが、彼の3人の息子もサッカー選手である。3人の中で一番末っ子のアントン・ヒーセンは2011年に自らゲイであることを公表し、話題になった。

モハメド・サラー/エジプト

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 出場試合数:254試合
  • 生年月日:1992年6月15日
  • ポジション:FW
  • 在籍期間:2017~

国の特徴

中東と北東アフリカの接点にあり、世界最長のナイル川が国を横切る。

歴史的文化の色濃さは世界屈指であり、古代エジプト文明から生まれた世界遺産のピラミッドやスフィンクス、古代のロマンであるツタンカーメンといった多くの象徴的存在を抱える考古学の聖地。

エジプトと言えば砂漠のイメージが強いが、実際に5~10月にかけては気温が40度前後になり、日差しも非常に強い。

約1億人の人口のうち、90%がイスラム教徒といういわゆるイスラム国家であり、現代は宗教上の理由で飲酒が禁止されている反面、古代エジプトに於いてはパンとビールが盛んに飲み食いされていた。

ちなみに親指を立てるハンドサイン(サムズアップ)はエジプトないしはアラビア圏では非礼とされており、旅行に行った際はやらないように気を付けたい。

選手メモ

エジプトのアルモカラウーンアルアラブSCでサッカー人生をスタートさせた男は、2017年にイタリアのASローマからリバプールに加入。現在、リバプールはおろかサッカー界でも最上級の選手と言える存在。

ドリブル、スピード、フィジカル、得点感覚と言ったウイング・ストライカーに必要な要素全てを最高水準で兼ね備えている男は、間違いなく現在進行形でクラブのレジェンドになりつつある。

大変失礼な話ではあるが、世界的に見てもサッカーに対する文化の色濃さや造詣の深さが特別あるとは言い難い地域から彼のような選手が出てくるものだから面白い。

エジプトという非常に歴史的な特徴がある国出身であるという点や目立つ髪型、そして彼自身が持つ聖人的パーソナリティから生まれる数々の印象的なエピソード。これだけの魅力を持つ選手がスターにならない訳が無い。

そういった彼の素晴らしさを他国の人間でしかない我々でさえ感じ取っているのだから、エジプト国内での影響力はこの上なく計り知れないものがあるだろう。

現在、2023年6月まで結んでいる契約の延長交渉が難航を極めているとの報道が各所から出ている。少なくとも今夏での退団はしないことを明言してくれたものの、果たして彼は長い間チームに残ってくれるのか。或いは近いうちに別れの時が来てしまうのか。サポーターは全員気が気で無いと思われる。

マルティン・シュクルテル/スロバキア

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 出場試合数:320試合
  • 生年月日:1984年12月15日
  • ポジション:DF
  • 在籍期間:2008~16年

国の特徴

ヨーロッパの中央にあり、5つの国の国境と接している。1993年にチェコ・スロバキアが分離し、それぞれチェコとスロバキアとして独立した。

かつては琥珀街道とボヘミア街道が通る商業貿易路として様々な民族が交流している土地でもあった。

国歌の歌詞にも書かれているタトラ山地や伝統的な文化を受け継いだ農村地帯が象徴的であり、そんな山間にはチチマニーという村がある。この村には伝統的な木造家屋が今も並んでおり、その家々の表層に独特なデザインの刺繍模様を象った装飾を描いているのが大きな特徴。

また、古くから交通の要衝かつ軍事拠点であった名残から趣深い見た目の廃城が多く残っており、12世紀にタタール人(モンゴル人)襲来に備えて築かれた後、1780年に火災に遭ったスピシュ城はその最たる例と言える。

選手メモ

2008年、クラブのDFとして当時最高額である1000万ユーロの移籍金でロシアのFCゼニト・サンクトペテルブルクから加入したCB(DFとしてのクラブ移籍金額レコードは後にデヤン・ロヴレンやファン・ダイクが更新。)

EFLカップ優勝への布石となった決勝でのゴールを決めた2011-12シーズンや、7得点を記録してリーグ2位の成績に貢献した2013-14シーズン等、圧倒的な空中戦の強さから来る得点力の高さが目立つ選手。もちろんCBとして名門クラブでプレーするに相応の守備力は備えており、特に流血をも厭わないアグレッシブな対人守備は彼の魅力だった。

彼のポテンシャルの高さはリバプールにおける公式戦320試合出場という実績が証明してはいるものの、キャリアを通しての安定感を問われると賛否両論になるところ。度々見せる高いパフォーマンスの反面、味方選手との連携不足による衝突や失点に繋がるバックパス失敗等のシーンが散見された。それが祟ってか、クロップの下では好印象を残すことができず、次第に出場機会が減少。

2016年にトルコのフェネルバフチェSKへの完全移籍が決まり、マージーサイドを去った。

37歳になる今シーズンは母国スロバキアのFCスパルタク・トルナヴァでプレーを続けていたが、つい先日現役引退を発表。近年のリバプール戦士がまた1人、ピッチを後にすることとなった。

ブルース・グロベラー/ジンバブエ

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 出場試合数:610試合
  • 生年月日:1957年10月6日
  • ポジション:GK
  • 在籍期間:1981~94年

国の特徴

アフリカ南部に位置する内陸国。野生動物が身近にいるほど自然環境豊かであり、亜熱帯地域でありながらも標高の高さが幸いして比較的過ごしやすい気候を年中保っている。

世界三大瀑布の1つと言われているビクトリアの滝はこの国とザンビアの間に存在しており、最大落差108mにも及ぶ壮大さは見るものに威圧感を与える。

国名には“石の家”という意味があり、その名の通り石造のジンバブエ遺跡にある石像が国の象徴として国旗やコインに描かれている。

経済の動向が非常に激しく、2000年代にはハイパーインフレーションが発生。当時の通貨であった“ジンバブエ・ドル”はハイパーインフレの象徴として今なお単語のみが一人歩きしている。

国の公用語には英語に加えてショナ語やンデベレ語と言った地域独特の民族発祥の言語も存在する。

選手メモ

今回のテーマにおいては堂々の出場試合数1位を誇り、リバプールの歴史全体で見ても公式戦出場数ランキングでは9位に位置する(2022年6月時点)。

ジンバブエ等のクラブを転々とした後にカナダのバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍。そこから更にイングランドへと渡り、リバプールに目を付けられて加入に至った。 

GKというポジションであることを考えた時、185cmは決して恵まれた体格とは言い難い。しかし、そんな体格の不利さをものともしない抜群の運動神経と判断力でビッグセーブを度々披露し、1980年代から1990年代前半にかけてのリバプールにて絶対的守護神に君臨し続けた。

身体能力にものを言わせるダイナミックなセービングが幾度となく見受けられたが、その中でも上部のゴールポストギリギリのシュートを大きくジャンプしながらパンチングするプレーには特に目を惹かれてしまうサポーターが多かったのではないだろうか。

話は少々逸れるが、2005年のチャンピオンズリーグ決勝にて当時チームの正GKを務めていたイェジー・デュデクがPK戦にて奇妙な動き(通称:スパゲッティ・レッグス)を披露しており、この動きはグロベラーの現役時代を真似たものであると後にデュデク本人が公言している。

そんな元祖スパゲッティ・レッグスはリーグ3連覇やチャンピオンズカップ制覇等数々の輝かしい功績を残し、1994年に退団。

その後はイングランドのクラブを転々として1999年に引退し、引退後は生まれ故郷の南アフリカでプロチームのゴールキーパーコーチを務めていた。

おわりに

様々な国籍の選手を欧州各国のクラブで見る機会が多数あるが、それは世界各国でフットボールという文化がより強く普及していることの証明に他ならない。リバプールもそれは例外ではなく、今回紹介した選手らに限らずとも多種多様な国籍の選手らが一同に会し、同じ志を持ってひたむきにフットボールという競技に取り組んでいる様には胸が熱くなる。

今シーズンも全日程が終了し、夏の移籍市場が幕を開けつつある。果たして、リバプールが選手を獲得するのであれば次はどこの国の選手が来てくれるのだろうか。クラブの財布の紐が全然緩む気配が無いことは置いておくとして、個人的にはそんな点にも期待しつつこれからの移籍市場を楽しんでいきたいところだ。

LFC公式オンラインストア

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA