リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由(前編)

リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由
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Yumiko Tamaru

Yumiko Tamaru

Photographer. Secretary of OLSC Japan(@LFCjp)、リバプール・サポーターズクラブ日本支部代表、大学講師、ライター、フォトグラファー、翻訳業。@PL_Pub_jp 英語講師。

尊重すべき文化や風習

海外旅行に行く際には(今はコロナで海外旅行はできませんが)、事前にその国のガイドブックを熟読される方が多いと思います。ガイドブックでは、訪れるべき観光スポットが紹介されている他、その国の歴史や宗教や文化も紹介されていますよね。日本とは文化や風習が大きく異なる国に行くときには、その国でタブーとされている風習などを、事前に確認しておくことも必要です。

例えば、イスラム教徒が多い国に行くとき。イスラム教の文化では、男女共に「慎み深さ」が重んじられています。特に女性は人前で肌を露出することがタブーとされています。中東のように真夏の昼間は気温50度になるような国であっても、タンクトップや短パンで街を歩いている女性は皆無です。そんな文化の国で、欧米や日本から来た女性の観光客がタンクトップや短パンで歩いていたら、現地のイスラム教徒たちは、男女ともにびっくり仰天して、顔を背けるでしょう。海外からの観光客も、イスラム教徒が多い国に行ったら、女性はタンクトップや短パンで街を歩いては行けないのです。

こちらのカタール在住の方のブログには、ドーハの美術館の入口にある看板の写真がアップされています。その看板には、「カタールの文化を尊重していただくようお願い致します。タンクトップや短パンといった服装の方は、入場をお断りさせていただくことがございます」と書かれています。

このように、どんな国にも、理解し、尊重しなければならない文化や風習があります。日本では、室内では靴を脱ぎますが、そのことを知らない欧米からの観光客が、靴を履いたまま旅館の畳の上を歩いたら…というようなことと同じです。現在では、日本に旅行に来る外国人観光客の中に、土足で旅館の畳を歩いてはいけないことを知らない人はほとんどいないと思いますが、どんな国や街にも、尊重しなければならない文化や風習があるものです。リバプールという街にも、30年ほど前から、少し特殊なタブー風習があります。

リバプールの街では、「ザ・サン」というタブロイド紙を読むことがタブーとされているのです。タブロイド紙というのは、ゴシップ記事や娯楽関連の記事が多い大衆紙のことです。リバプールの街で、リバプール市民がいるところでその「ザ・サン」というタブロイド紙を読んでいる人がいれば、リバプール市民は不快に感じます。顔を背けるどころか、「今すぐその新聞を捨てろ!」と怒り出す人もいるかもしれません。

そのため、現地観戦に行かれる際は、リバプール市民がいるところでこの「ザ・サン」というタブロイド紙を読んだりすることがないように気をつける必要があります。たとえ一面の記事が「リバプール5-0で勝利!」という記事であっても、買わないほうが無難です。「とりあえず、リバプールの勝利を報じている新聞は記念に全部買っておこう!」と思って買った複数の新聞の中に「ザ・サン」が入ってしまっていた場合は、リバプール市民がいるところでは絶対に広げないよう細心の注意を払ったほうがいいでしょう。

なぜ「ザ・サン」を読むことがタブーなのか?

リバプールには、「Total Eclipse of the s*n」という活動をしている人たちがいます。「eclipse」は太陽や月の「食」のことです。「食」とは太陽や月が欠けて見える天体現象のことですね。「total eclipse」は「皆既食」のことなので、「total eclipse of the sun」なら「皆既日食」、「total eclipse of the moon」なら「皆既月食」のことです。日食は、太陽が月に隠れて見えなくなってしまう現象、月食は月が地球の影に入って見えなくなってしまう現象です。

「Total Eclipse of the s*n」は、リバプールの街で読むことがタブーとされている「ザ・サン」の名前にかけて、皆既日食で「太陽」が月に隠れて完全に見えなくなるように、「ザ・サン」がリバプールという街から完全に姿を消すことを目指して活動しているリバプールファンのグループです(Twitterはこちら)。

「太陽」を意味する「sun」という単語が、「s*n」とアスタリスクを使った伏せ字になっているのは、このタブロイド紙の名前を正式に表記することで、うっかり宣伝してしまわないようにするためです。また、このタブロイド紙の名前を口にするのも目にするのも書くのも嫌だというリバプール市民への配慮でもあります。

この「Total Eclipse of the s*n」のウェブサイトの最初の3つの段落に、彼らがなぜそのような活動をしているのかが説明されているので、下に翻訳します。

「1989年4月15日に行われたFAカップ準々決勝、リバプール対ノッティンガム・フォレストの試合の際に起きた出来事は、決して忘れられることはないでしょう。96人のリバプールファンが亡くなり、766人が怪我をしました。スポーツ大会時に起きた事故としてはイギリス史上最悪の惨事となってしまい、リバプール市だけでなくイギリス全土が大きな衝撃と深い悲しみに打ちひしがれ、悲しみを乗り越えるため、全国民が寄り添いあい、一致団結するようになりました」

「事故が起きた4日後の4月19日、リバプール市はまだ深い悲しみの中にありましたが、タブロイド紙の『the s*n』が一面でこの事故のことを報じました。一面の見出しには『真実』(The Truth)という文字が大きく躍っていました。『the s*n』編集者のケルヴィン・マッケンジーがつけた見出しです。記事にはこう書かれていました。『リバプールファンは犠牲者の遺体の服のポケットから物を盗もうとしたり、遺体に性的暴行を加えたり、遺体に放尿したりした』と。また、『リバプールファンは、救護に当たっていた警官や消防士や救急隊員に暴行を加え、彼らに向かって放尿した』、とも書かれていました」

「『真実』という見出しとともに書かれたこれらの記述は、全て嘘だったことが後に証明されました。
この記事に書かれたことは、亡くなった人たちを侮辱するものでした。
悲嘆に暮れている犠牲者の家族や友人をも侮辱するものでした。
フェンスに行く手を遮られ、なすすべもなく押し潰されるしかなかったフットボールファンに対する侮辱であり、彼らを助けようとしたフットボールファンに対する侮辱でした。
名誉毀損に当たるこの虚偽の記事は、深く傷つき悲しんでいた全リバプール市民を侮辱するものでした」

「Total Eclipse of the s*n」の活動をしているグループは、このようにリバプール市民の名誉を深く傷つける虚偽の報道をした「ザ・サン」を人々が買わないように、「ザ・サン」の不買運動をしているのです。また、キオスクなどの売店に、「ザ・サン」を売らないように働きかけています。リバプール市民の多くは彼らの活動に賛同していますから、「ザ・サン」は読まないのです。たとえリバプールに関する良いニュースが出ていたとしても、買わないでしょう。

今も活動を続ける人たち、そしてクラブの決断

「ヒルズボロの悲劇」から30年以上経った今も、リバプールの街では車体に「Total Eclipse of the s*n」という文字が印刷されたタクシーを見かけます。今ではイギリスのブラックキャブの車体の多くには広告が印刷されています。広告収入が入るからです。ですが、リバプールの街には、広告収入を得ることよりも、「ザ・サン」撲滅運動を優先しているタクシードライバーが大勢いるのです。

リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由

試合日のアンフィールドには、「Total Eclipse of the s*n」の文字が印刷されたフラッグを振っている男性がいつもいます。通りかかるファンにビラも配っています。

リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由 リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由 リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由

また、リバプールに行けば、街じゅうのあちこちに「Total Eclipse of the s*n」とか「Don’t Buy The S*n」という文字が印刷されたステッカーが貼られていることに気が付きます。リバプールの街の人たちは、30年経とうが何年経とうが、このタブロイド紙が街からなくなるまでこうした活動を続けるでしょう。

リバプール・ライム・ストリート駅の目の前にあるセント・ジョージズ・ホールは、その西側にセント・ジョンズ・ガーデンという美しい庭園を有しています。その庭園に設置されているベンチの1つには、次のような文が刻印されたプレートが取り付けられています。

「このベンチは『S*nフリーゾーン』としてここに設置されています。ここで『the S*n』を読んでいる人を見かけた場合、その新聞は没収させていただきます。そして、この街から出て行っていただきます」

リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由

「Total Eclipse of the s*n」の活動をしているグループは、クラブとも話し合いを重ね、2017年2月10には、リバプールFCは「ザ・サン」の取材を一切受けないことを決め、そのことを「ザ・サン」に通達しまた。

苦しんでいる仲間に寄り添う「YNWA」の文化

「アンフィールド・ウォッチ」というTwitterアカウントを、現地のリバプールファンの多くはブロックしています。このアカウントの運営者が、「ザ・サン」の関連会社に勤務している人だと言われているからです。「ザ・サン」に深く傷つけられた現地のリバプールファンたちは、SNSからも「ザ・サン」に関するものを徹底的に排除しています。

リバプールFCには、「You’ll Never Walk Alone」という最高のアンセムがあり、選手もファンも、「LFC Family」という言葉をよく使います。「You’ll Never Walk Alone」も「LFC Family」も、その根底にあるのは、「リバプールFCに関わる人なら、監督も、スタッフも、選手も、ファンも、地域の人も、みな『家族』として互いに寄り添い合い、支え合って行こう」という考え方です。「We Are Liverpool. This Means More.」も同様です。傷つき、苦しんでいる仲間がいれば、どこにいようと寄り添い、理解を示し、助け合っていくのがリバプールFCであり、リバプールファンなのです。だからこそ、今なお世界中のリバプールファンが、ヒルズボロ・スタジアムで家族や友人を亡くした人たちに寄り添い、彼らをサポートしています。さらに、彼らの名誉を不当に傷つけた「ザ・サン」というタブロイド紙を読まないことで、一緒に闘う姿勢を見せているのです。私がリバプールFCというクラブを愛してやまないのは、このクラブにこうした「YNWA」の文化があるからこそです。

記者会見の席で、「ザ・サン」の記者に向かって「私は『ザ・サン』の記者の質問には答えません」と毅然とした態度で言ったクロップ監督は、リバプールという街の歴史と文化を理解し、苦しんでいるファンに寄り添ってくれる最高に「リバプールらしい」監督と言っていいでしょう。クラブのレジェンド、サー・ケニー・ダルグリッシュが、クロップ監督のことを「彼は本当はスカウサーに違いない!」と言うのも納得です。

「ヒルズボロの悲劇」や「ザ・サン」については日本のメディアでも多少は報道されていますが、現地観戦に行った際のマナーなどについては、メディアは教えてくれません。私たちファンが伝えていくしかないのです。私自身、ファンになったばかりの頃は、リバプールのこうした特殊な事情については知りませんでした。私よりファン歴の長い人たちから教えてもらって、ようやく知るようになったのです。

チームが強くなったことで、嬉しいことに、日本でもリバプールファンがどんどん増えています。私がファンになったばかりの頃に、私よりファン歴の長い人たちがリバプールの歴史や文化を私に教えてくれたように、今度は私自身がファンになったばかりの人たちにこのクラブの歴史や文化を伝えていく番だと思い、この記事を書かせていただきました。この記事をきっかけに、リバプールというクラブの歴史や文化にも興味を持っていただき、リバプールファンとして伝えていくべきリバプールの歴史や文化を、今度は皆さんがこれからファンになる人たちに伝えていっていただけたらと願っています。

「後編」では、ヒルズボロ・スタジアムで地獄を見たファンが、その後、警察とタブロイド紙の嘘にどれほど苦しんできたかを語っているビデオを、日本語に翻訳してご紹介します。

リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由(後編)

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