リバプール新CEOピーター・ムーアの紹介〜家庭用ゲームにおけるオンラインの申し子〜

ピーター・ムーア
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ヘンリー

ヘンリー

ヘンリーです。FSGやオーナーであるジョン・ヘンリー関連の記事を書いていこうと思っています。基本まったりとやっていきます。

皆さん、お久し振りです、ヘンリーです。前の記事から1ヶ月近くも空いてしまい、申し訳ありません。今回はせっかくなのでリバプールの新CEOであるピーター・ムーアについて、「ゲーム業界のオンライン化」にスポットを当てながら紹介できればと思います。ピーター・ムーアについてはitatsuさんも記事にしていますので、そちらと一緒にお読み頂ければと思います。
今回はガーディアンでのインタビュー記事を基にしながら、進めていきますが、翻訳が分かりにくい点もあると思いますので気長にお読み頂けたら幸いです。
では、始めます。

1略歴

 

1955年にイギリスのリバプールで生まれたピーター・ムーアは、英国のキール大学で学士号を、カリフォルニア州立大学で修士号を取得しました。
その後、パトリック・アメリカ(Patrick USA)(フランスのサッカーシューズ会社)の南カリフォルニアでの営業担当者になり、80年代半ばにサンフランシスコに移って1998年、パトリックの社長に就任しています。

約11年間、パトリックで働いた後ムーアはリーボックに移りグローバルスポーツのディレクターとなりました。
グローバルスポーツマーケティングの副社長となった年に、デニス・ベルカンプやライアン・ギグスといった選手と契約し、リバプールとも契約を結んでいます。このことをムーアは「スカウサーの俺にとって最高の瞬間だったよ」とコメントしています。
これがムーアとリバプールとのビジネス上の最初の繋がりのようですね。

2セガへの転職とドリームキャスト

 

リーボックで働いた後、ムーアはセガへと働き場所を移します。
ムーアがセガで働き始めてしばらく後にセガはドリームキャストを発売します。
当時のセガは財政的に厳しい状況だったようですが、北米市場に望みをかけ、大々的なコマーシャルを行うなどし、ドリームキャストの売り上げを伸ばそうと工夫を凝らしていました。
ムーアはインタビューで以下のようにコメントし、ドリームキャストの商品性については自信を持っていたようです。

“It was the first online console, we had some great games – SoulCalibur, Sonic Adventure, Trickstyle, Ready 2 Rumble. When you look at them today, you chuckle, but they were on the cutting edge graphically at that time…”

「ドリームキャストは最初のオンラインのゲーム機だったよ!俺たちはSoulCalibur、Sonic Adventure、Trickstyle、Ready 2 Rumbleのような素晴らしいゲームを持っていたのさ。君が今日それらを見ると、笑うかもしれないけど、それらはその時にグラフィックで最先端を走っていたよ。」

ドリームキャストは当時、1日5万台、次に6万台、10万台を販売してはいましたが、PS2の発売までに十分なアドバンテージを得ることは出来ませんでした。セガとしては赤字覚悟でPS2と戦う道もあったそうですが、ムーアは、ソニーと任天堂へソフトウェアの提供の交渉へ向かっています。
2001年、ムーアはセガがハードウェア事業を去ることを宣言します。ハードウェア事業の撤退にあたり、ムーアは多くの人に解雇を通告しなければなりませんでした。この当時のことをムーア本人も「辛い時期だった」と振り返っています。

その後、マイクロソフトへとムーアは移りますが、当時のドリームキャストでのオンラインゲームの可能性に以下のように手応えを感じていたようです。

“Everybody laughed because we had Seganet going with just 50,000 people online… but I always think Dreamcast was the precursor to the next-gen consoles, because we then brought out a broadband adaptor – remember playing Quake 3 through Broadband? Only 5% of people had broadband in those days – it sounds like it was a hundred years ago, but it was 2001!”

「皆はセガネットについて笑っていたよ、5万人しかオンラインにいなかったからね。でも俺は、いつもドリームキャストは当時の次世代ゲーム機として最先端だったと思うんだ、ブロードバンドアダプターを取り出して、Quake3(マルチプレイを備えたFPSの元祖のゲーム)をブロードバンドで遊べるようにしたからね。 その時5パーセントの人々しかブロードバンドには居なかったよ 。-百年前の出来事に聞こえるけど、2001年の出来事だからね!」

“I always remember when we launched Seganet. We were in some nightclub in Hollywood. I was crapping myself because we had to dial the frickin’ modem to connect to San Francisco. And it worked. Those were seat of the pants moments, the fact that you had to get a dial-up telephone modem to work, and then we were doing a satellite video feed down from Visual Concepts… it was a wild night, I don’t remember much after that. That was the first time anyone had seen an online console game.”

「俺達がセガネットを立ち上げた時のことはいつも思い出すよ。ハリウッドのナイトクラブでね。我ながらアホだったなあと思うよ、クソみたいなモデム回線をサンフランシスコまで繋いでダイアルアップ接続したりしたからね。電話回線を使ったダイアルアップモデムが機能した時、俺たちは衛生映像が降りてきているような感じだった。刺激的な夜だったよ。その後は覚えてないけど、それが,オンライン搭載ゲーム機がお目見えした瞬間さ。」

3 マイクロソフトへの転職とXBOX360

 

2003年、XBOXの北米での売り上げが低迷していたのを受け、ムーアはマイクロソフトへとヘッドハンティングされます。

マイクロソフトへ移ったのもマイクロソフトでなら、ドリームキャストで見出したオンラインゲームの芽をさらに伸ばせると考えていたからだそうです。

“At that time people were saying Microsoft couldn’t get it done, but I believed they could, because I believed in online. I always thought that online was going to be the key. And the line I came up with was, ‘we’re taking games where gaming is going’.”

「その時、人々はマイクロソフトにゲーム機なんて作れっこないなんて言ってたけれど、マイクロソフトなら出来ると思っていたよ、オンラインの可能性を信じていたからね。俺はいつもオンラインが鍵になると思っていたし、それが『ゲームが行き着く先へ行く』ことへの道だと思いついていたからね。」

 

マイクロソフト時代のムーアはXBOX360の開発と売り上げの指揮を行いました。
ムーアが行った、XBOX360での取り組みとしては、XBOXで搭載されていたハードドライブをXBOX360では搭載しないことで販売価格を抑えています。
ムーアはXBOX360の開発でブロードバンドサービスの活用を模索します。そして発表したのがXBOX liveというオンラインサービスでした。

“Were you specifically responding to the growth of the blogging culture?”

“Yes, because we wanted online – we knew we were going to build Xbox Live and we were going to build it even more aggressively than we did on Xbox.
I don’t think the word blog existed back in 2003, but we knew we had to talk to our community. The brand had to evolve from black and aggressive”

「あなたはブログ文化の成長に特に注目していたのですか?」

「そうさ。我々はオンラインを求めていたからね。—僕らはすでにXbox liveを構築しようとはしていたのだが、Xboxの時よりもさらに積極的にもし進めようとしたよ。
2003年より前では「ブログ」という言葉は存在していなかったと思うけど、僕らは我々のコミュニティー(消費者)と話をしなければならないことを知っていたから、Xboxの時よりもより積極的にその機能を進化させようと思っていたのさ。」

4EAへ

 
2007年、ムーアはEAに転職し、スポーツ部門を統括しています。
EAでは主力商品である、FIFAシリーズの更なる改善へ尽力しています。
EAでもムーアは、「FIFA online 」を発表するなど、FIFAシリーズのオンライン化を図っています。その「FIFA online」内では課金アイテムによる新たな商品の売り上げ方にもチャレンジしています。
ムーアは以下のように語っています。

“The one thing that will change is whether it’s going to be a physical packaged goods model, or whether it’s going to be direct to consumer download. There will be a time when we don’t ship it on a physical disc, it’s not far away, in fact we’re already doing it in Asia, and we might give you the core game for free, but then you start buying downloads, micro-transactions, we’ll sponsor some stuff, and start shifting the business model away from ‘I need to get your £49 and then say goodbye to you when you walk out of Game’, I want to talk to you everyday, I want to give you things everyday that keep you in contact with me, I want a relationship with you as a consumer 365 days a year.”

「これから変わるであろうことの一つは、物理的にパッケージ化された商品モデルになるのか、それとも消費者向けのダウンロードに直接向かうのかということなのさ。

もうアジアでやっているのだけど、俺たちが、物理的にソフトを出荷しないで無料のコアソフトを提供して、ダウンロードコンテンツを購入する時代になるだろうね。

これからは、消費者が£49でゲームソフトを買って、飽きた時にはサヨナラというビジネスモデルからは変わり始めるだろう。俺は毎日、君と話したいし、繋がるものを与えたいし、365日、消費者としての君との信頼関係が欲しいのさ。」

 

5まとめ リバプールでの彼の役割は?

 
以上、4つの項目からムーアのこれまでの経歴を、ゲーム業界のオンライン化をベースに紹介いたしました。
上で紹介したようにムーアはゲーム業界のオンライン化に寄与しています。
その中で彼は「オンラインで人と繋がること」「商品の非物質化」という二つの部分でのノウハウを多大に持っていると言えるのではないでしょうか。
リバプールでは、イアン・エアーが担っていた移籍取引や選手契約の交渉といった事柄はSDのマイケル・エドワーズに引き継がれるだろうと言われていますので、ムーアは別の事を担当することになるでしょう。

ここから先はあくまでも自分の予想なのですが、ムーアがこれまでしてきた経験を生かし、これからスタジアムに来てくれる現地のファンだけではなく、ネットワーク上に散らばるリバプールファンたちに目をさらに向ける政策を行っていくのではないでしょうか。

リバプールの新CEOにはこれからも注目していきたいと思います。
以下に挙げるコメントはテレグラフでのインタビューで出てきた物なのですが、このコメントだけでも応援したくなってしまいますね。

“I’ve lived in America for 28 years now, but I’m a scouser by birth and football is my passion.” My dad took me to Anfield when I was four, in 1959, and I’ve bled red ever since. I had the pleasure of getting involved with them when I was at Reebok, when we did the kit deal, which was a big thrill for me. But, yeah, I live and die Liverpool.”

「俺は28年間アメリカに住んでいる。でも俺は生まれながらのスカウサーでフットボールは俺の情熱なのさ!俺の親父に俺が4歳の時にアンフィールドに連れて行ってもらったのだけど、その時以来、赤の虜さ!リーボックに居た時の、リバプールとキットの契約をしたことは俺にとってどデカイスリルだったよ!そう!俺はリバプールに生き、リバプールに死ぬのさ!

今回の記事は長くなってしまった上に翻訳はニュアンス翻訳のため、読みにくい点も多かったかと思いますが、最後までお読み頂き、ありがとうございます。

参照

ガーディアンインタビュー 2008年次のもの

1 https://www.theguardian.com/technology/gamesblog/2008/sep/11/gamesinterviews.microsoft1
https://www.theguardian.com/technology/gamesblog/2008/sep/11/playstation.microsoft 

3 https://www.theguardian.com/technology/gamesblog/2008/sep/11/playstation.microsoft1
4が見つからなかったので飛ばします
https://www.theguardian.com/technology/gamesblog/2008/sep/11/gamesinterviews.playstation

1と2についてはこちらのブログの方が日本語訳をして紹介していますので興味のある方は是非

1 http://nextgame.exblog.jp/8627260/

2 http://nextgame.exblog.jp/8631175/

テレグラフインタビュー
http://www.telegraph.co.uk/technology/video-games/6029950/EA-Sports-President-Peter-Moore-interview.html

ピーター・ムーアとEA
http://www.mtv.com/news/2458141/peter-moore-names-ea-sports-highlight-predicts-fitness-boom/

リバプールエコーでの紹介記事
http://www.liverpoolecho.co.uk/sport/football/football-news/who-new-liverpool-chief-executive-12667130

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