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- リバプール大学MBAへの入学、コース内容、現地での生活、その後のキャリアを経験者が語る - 2018年08月19日 日曜日 5:15 PM
リバプール大学のフットボールMBA(Football Industries MBA)への入学からその後のキャリアまで、実体験をまとめた記事です。
1.大学卒業からリバプール大学MBA入学までの道のり
大学卒業後、新卒で入った会社をすぐに辞めてしまい、つなぎで三田にある大学の語学学校を受けて、ビジネス英語を学びながら毎日サッカーニュースをチェックしていたところ、 そこでたまたまイタリアのインテルミラノの公式ホームページの翻訳とページ管理をする仕事を募集しており、仕事の話を頂きました。ただ、後から分かった事ですが、インテルミラノは日本から撤退する事が決まっており1年間の契約でした。ちょうど現イタリア 代表監督のマンチーニがインテルを率いて優勝した年でもありました。新卒直後の仕事としては給与もそんなに悪くなかったのですが、インテルの契約が切れると委託されていた会社からサッカーニュースの翻訳をやらないかとお誘いを受けましたものの、給与が1/5以 下になるのでお断りさせて頂きました。
当時はスポーツビジネスというと、元選手かコネがないと入るのがなかなか難しく(例えばスポーツナビも携帯サイトを始めたばかりで、スマホもない時代)、諦めて商社で産業機械の海外営業として働く事になりました。ヨーロッパ、アメリカ、中東、アフリカを担当し、展示会がバルセロナで行われたのを機に仕事の合間にカンプノウでバルセロナ対 アトレティコマドリード戦を見に行く機会を頂いたり、仕事でミュンヘンに行きアリアン ツ・アレーナを何度も横目で通り過ぎていました。海外との取引先でもサッカーの話は個人的な世間話の1つでした。そんな折、アフリカ政府から引き合いがあり、内戦後の国の復興を掲げて3つの工場を建てる引き合いを受けました。ただアフガニスタンの次に最新 鋭の地雷が埋まっており、外務省のホームペー ジは黄色や赤色だらけで渡航を勧めていませんでした。こうした実現性の低いビジネスをまかされたのは幸運にも一番下っ端の私でした(笑)。行くのにも36時間かかる僻地で、予防注射も数本打ちました。道も整備されていないし下水道も一部しか敷かれておらず、日本ほど時間にもきっちりしておらず、建設中のホテルも「Coming Soon(近 日オープン)」との貼り紙がありながら、1年経ってもオープンしていないような国で本当にプロジェクトができるのかと思っていました。
しかし、こうした環境が一辺する出来事がありました。この国でアフリカ・ネイションズカップが行われるの機に、今まで滞ってい た工事が急速に進んで行くのを間のあたりにしました。この時スポーツの力、フットボールの力に再び感銘し、自分ももう一度フットボールに関わる仕事がしたいと思うようになりました。アフリカのプロジェクトは経済産業省への提案が通って、プロジェクトの為の経済支援を取り付け、政府と契約に調印する事が出来き、日本だけでなく、ヨーロッパ、ブラ ジル、アジアの取引先の人達と一緒にプロジェクトを進めました。
仕事柄、イギリスやヨーロッパに携わっていた事もあり、いつかはヨーロッパに留学したい とも思っていました。以前からリバプールのフットボールMBA(Football Industries MBA)の存在を知っており、プロ ジェクトが一段落したのを機に留学を決意しました。会社のイギリス支店(今はありません)が産業革命が起こったマンチェスターにあった事から、フットボールも盛んなリバプー ル、マンチェスター近郊へ留学したいと決めていたのでちょうどよかったです。 入学の要件は英語の試験(IELTS, TOEFL)、英語の推薦状、英語のエッセイが必要でした。外部のスクールに通って準備される方もいるかと思いますが、英語の試験対策とエッセイは個人で対策を行い、エッセイはオーストラリアの友人に見てもらい、推薦状は日本から英語にする作業を踏まえ、海外支店の同僚と海外の取引先の社長から頂きました。
2.コース、授業内容
上記の表の通り、コースは大きく分けて、一般的な MBAの授業(マーケティングやファイナンス等) と、フットボールビジネスに特化した授業(スポーツマーケティング、スポーツと法律等)があります。また、定期的にゲストスピーカーセッションがあり、彼らの仕事を伺ったり質問できる時間もありました。また、ゲストスピーカーの方が働いている会社で、後日インターンを募集する場合もありました。その他、課外授業でUEFA, Manchster City, Burnley FC等にも訪問し課題が与えられました。 授業は、プレミアリーグの放映権によるビジネスの拡大についての話が多かったと記憶しています。
個人的に一番苦労したのはSports & the Lawの課題でした。商社時代に英文契約書を作っていたり、契約交渉をしていたので専門用語も馴染みはあり、言っている事も理解では出来ていたものの、それをあまり馴染みのない法律の条項と結びつけて文面で説明するのは苦労しました。加えて、グループワーク で一緒に組んでいたアメリカ人がコースを続けない事になって、彼の抜けた部分を穴埋めするのが大変でした。受け身の姿勢だと大学は何もしてくれないので、教授や先輩のネット ワーク等、使えるものは使い倒した方がいいと思います。
3.在学中の生活
リバプールの人達をイギリス人はスカウサーと呼び、英語の訛りがすごくて、学校の授業 は理解出来るのに街に出ると英語を聞いてもわからない事が多々ありました。また、スカウサー特有の言葉があるのもわからない理由でした。イギリス人の友達に相談すると「俺もよくわからない時がある」と言っていたので一時安心しましたが、スペイン人の友達はスカウサーアクセントで喋っていたので、諦めず理解するよう努めました。帰国する頃にはようやく慣れました。
FRUMBA FCというFIMBAのサッカーチームがあり、授業のない毎週水曜日に他チームと 試合をしていましたが、自分は30歳越えで体力が低下しており、男女混合のフットサルぐらいしかしていなかったので1回参加しただけでした。サッカーを通してFIFA Masters の人とも交流がありました。また、公園でボールを蹴っていると若い女の子に声をかけられる事があり、その子達とボールを蹴っていました(笑)。その辺りはさすがサッカー都市 のリバプールと思いました。
大学の寮よりも外で借りた方が安くていい部屋が借りれるので(保証人探すか一括払いしなければいけません)、自分は大学から徒歩10分ぐらいのところに住んでいました。また、大学の授業が始まる前にエバートンのスタジアムから徒歩5分のところに泊めてくれる ニュージランドの人を見つけ、その人を介して現地のエバートンとリバプールファンと 友達になり、アルゼンチンレストランの同じテーブルで仲良く「マラドーナコース」を食べ るのが月一の日課でした。普通はコースの友達と一緒に過ごす事が多いと思いますが、そういう意味でちょっと変わっていたかもしれません。あとは、メルウッドで出待ちをしてジェラードとの写真の撮影を試みましたが、リバプー ルでの最後のシーズンという事もあり人気がありすぎて無理でした。その代わりコウチー ニョとは何度も写真を撮りました(笑)。またトレーニングに滅多に来なかったバロテッリとも撮りました(笑)。
また、ドイツ、フランス、スペインにも足を運び、パリ・サンジェル マンの試合やベルリンのチャンピオンズリーグの決勝を観戦しました。リバプールの試合 もリーグ戦(ホーム、アウェイ)、カップ戦、ヨーロッパリーグ、チャンピオンズリーグを観戦しました。幸運にもアメリカ人の友達の知り合いから、レアル対リバプールの試合のホス ピタリティのチケットをただで譲って頂きました。リバプール学校経由でもたまにリバプー ルのチケットがあるので試合を見に行く人を募集もしていました。
ワールドカップ決勝、チャンピオンズリーグ決勝を観戦しましたが、それでも、アンフィー ルドでスカフーを掲げてYou Never Walk Aloneを一緒に歌うのは鳥肌ものでした。 レアル・マドリード対リバプールのチャンピオンズリーグの試合で、ロナウドが得点して得意のセレブレーションをしているとサポーターから速攻で物が投げつけられていてアンフィールドで勝つのが難しい理由が少しわかった気がします(笑)。
授業で課題もあり、グループワークで図書館でずっとディスカッションをする事もありましたが自由な時間も多く、インターンの為に早くから動くのもありですし自分次第だと 思います。自分はビザを発給してくれそうなスポーツマーケティング会社でインターンをしたかったのですが、Brexitが決定する前とは言え、大学院生用のビザも短縮されていて(期限は卒業式まで)少し観戦に力を入れてしまいました(笑)。
4.卒業後のキャリア
卒業後はスポーツマーケティング会社で、スポーツ団体、チーム、協会とお仕事をさせて頂きました。ただフットボールと関わっていなかったので、そのうち海外サッカーについて既存のメディアと違った形で発信していきたいと思うようになり、ロシアワールドカップ前にホームページを立ち上げ、ピッチ外のフットボーラーのおもしろ映像や、戦術、スタッ ツなどを使って、フットボールについて発信しています。他の卒業生や先輩方(日本以外も 含む)は、FIFA、UEFA、NIKE、ADIDAS, 協会、リーグ、エージェントで働いている人もい ますし、全くスポーツとは関係ない業界にいる人もいます。タイミングやその時の運もあると思います。
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