ユルゲン・クロップとは? 〜生まれながらのパフォーマー〜

こんにちは! DANFIELDです!

今やKOPのアイドルとなっている我らのボス、ユルゲン・クロップ。
監督とはあくまでも選手とはまた違う線で引かれた人物として、謎に包まれた部分も多いですよね(笑)

ユルゲン・クロップとは?

今回は彼にフォーカスを当て、深く迫っていこうと思います。

人物

ゲーゲンプレッシング戦術の第一人者。ドイツ シュトゥトガルト出身。1967年6月16日の生まれの現在49歳。
現役時代のポジションは主に右サイドバック。元々はフォワードだったが、コンバートされる。下積み時代を経て1990年にマインツに所属。2001年までの11年間マインツでプレーし、監督就任と共に、現役引退。

監督経歴

マインツ時代

 

01年2月28日、2部リーグで残留争いをしていたマインツのクリスティアン・ハイデルSDは、エックハルト・クラウツン監督の解任を決断。現役選手だったクロップを後任に指名。33歳でマインツの監督に就任する。
2004年にはブンデスリーガ1部昇格に導いた。初の1部挑戦となった04-05シーズンは11位でリーグ戦を終えて残留に成功し、今のマインツの基盤を作った。06-07シーズンは降格。翌07-08シーズンは2部で4位となり、惜しくも昇格を逃してしまう。
この頃から現存選手の育成に定評があり、マインツでは、モハメド・ジダン、マヌエル・フリードリヒらを育て上げた。

ドルトムント時代

 
08-09シーズンより、ボルシア・ドルトムントの監督に抜擢。この時のドルトムントは暗黒時代とも呼ばれており、財政難からも大きな補強は出来ず、現存戦力の底上げを期待できる人物として白羽の矢が立った。
前半戦は苦戦したものの、後半に快進撃を演出この時に今では現代サッカーのトレンドでもある「ゲーゲン・プレス」の基盤が誕生した。このシーズンは6位でフィニッシュ。
終盤にリーグ戦7連勝を達成するなど、クロップの指導力の片鱗を見せたシーズンとなった。
ここからクロップの若手に対する手腕が開花する。
 
そのシーズン以降、今やよく知るネルソン・バルデス、ネヴァン・スボティッチ、ケヴィン・グロスクロイツ、ヌリ・シャヒン、スヴェン・ベンダー、マリオ・ゲッツェらが次々とブレイク。
10-11シーズンに「ゲーゲン・プレス」采配の完全形態が出来上がる。その上、クロップ自らが惚れ込み、クラブに獲得させた香川真司が神がかり的なブレイクを見せ、前半戦終了時点で当時ブンデスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成。
後半に入っても勢いは止まらず、チームは01-02シーズン以来の優勝を果たす。ドイツサッカー界には激震が走り、ユルゲン・クロップの名はドイツだけでなく、世界中に知れ渡った。
 
期待された11-12シーズン。チームはシーズン序盤で低迷してしまう。しかし、そこから怒涛の快進撃が始まる。
低迷期にレヴァンドフスキが大ブレイク。彼を中心として、その低迷が何事も無かったかの様に、最終節までブンデスリーガ新記録となるリーグ戦28試合連続で無敗を記録を達成。2年連続の優勝を果たした。
12-13シーズンにはUEFA チャンピオンズリーグ準決勝ではレアルマドリードを圧倒して決勝進出。惜しくもバイエルンには敗れたが、ドルトムント旋風を巻き起こした。
しかし、14-15シーズンは怪我人の多さにも悩まされ、大苦戦。前半戦をまさかのリーグ最下位で折り返す。そして2015年、ボルシア・ドルトムントの監督を退任することを発表し、7年間指揮したドルトムントに別れを告げた。

リバプール時代

 

そして、2015年10月8日、我らがリバプールFCの監督に就任。プレミアリーグ史上2人目となるドイツ人指揮官となる。
会見時には子供の頃からチームのファンだった事を告白し、1日でファンの心を掴んだ。

ここからは説明不要ですかね(笑)

人物像

普段はチームのジャージ姿でどこへでも出かけ、ジャージを着ていない時はTシャツとジーンズ姿が基本(自分の結婚式でさえTシャツで出席した)。
監督として感情を素直に露わにする人物。
その試合中の言動が注目されるあまり、最近では試合にクロップ専用カメラが用意され、度々中継に現れる。
指揮するチームが点を決めた時には必ずクロップの反応もリプレイされる。
ピッチサイドを走り回って叫び声を上げたり、判定に怒鳴ってペットボトルを蹴飛ばしたり、時には喜び過ぎて肉離れにもなったり。
一部からは不適切だとの声もあるが、クラブへの愛情表現だとして反論。

経営陣からアカデミーの選手まで、全員がファミリーのように団結し、共通の目標を目指すことが本人の考えるチーム像。
そして選手との関係性を大事にする。
モチベーターとしても有名。
トレーニング場やロッカールームでは下品な言葉のオンパレードだとも言われている。
常にコミュニケーションは誰ともとるようにし、試合終わりには選手全員と感謝の抱擁を交わす。

2006年W杯ドイツ大会時に国営放送の解説者に抜擢され、画面にマーカーを引いてゴールシーンを説明する手法、明るい性格と魅力的な笑顔、分かりやすく軽妙な語り口によって、人気者になった。あごひげを生やした熊のような大男が、ゲラゲラと笑いながら、くだけた調子で友達のように話す語り口で注目され、“テレビの中の代表監督”と評された事もある。

最後に、リバプールの指揮官就任から1年経った時のクロップのコメントでお別れしようと思います。

「疑いはあった。私の周りには多くの噂が流れていた。人々は言っていた。

『明らかに彼はボルシア・ドルトムントで良いコーチだった。しかし、ここでの仕事は違う』

そのようなものだった。ただ、今それは良くなっているね。

ここで一年が過ぎた。我々は今そういうことを話している。一年だ。私は一年歳を取った。しかし、その他の全ては素晴らしい。

パーフェクトではないが、いい道を進んでいる。それは我々が望んでいたようなものだ。

私は一年だけではなく、長期的にここにいたいのだ。そして、それは我々がこれまで得てきた情報を利用して、そこから学んでいかなければならないことを意味する。

ライフワークというのはそういうものさ。次のチャレンジへの準備をしていくんだ」

「このクラブの歴史は私にとって重要だった。彼らが私を呼んだ時は、一年間休みを取る準備をしていたんだけどね。Noと言うのは難しかった。休みを続けるのはね。

しかし、歴史を楽しむということではない。その一部になることなんだ。それは我々はやらなければならないことだ」

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