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リバプールFCを表す色、それはもちろん「赤」です。チームの愛称は「レッズ」です。
赤をメインカラーにしているサッカークラブは世界中に多数ありますが、赤を象徴するクラブとしてリバプールFCを真っ先に思い浮かべるのは、リバプールファンだけではないでしょう。その大きな要因が、シャツだけでなくパンツやソックス含め「全身赤」を貫いているユニフォームであり、リバプール=赤というブランディングを成り立たせているものといえます。
ユニフォームは、クラブの存在感をもっとも視覚に訴えるもの。結局、あらゆる試合のあらゆる瞬間であっても、ユニフォームによってチームを識別し、ユニフォームによって記憶に刻まれるのだ。
(『イングランド プレミアシップユニフォーム ヒストリーカタログ』より引用)
サッカーにおけるユニフォームが持つ役割は時代が進むにつれ多岐にわたり、またその重要性は増しています。この記事はそんなユニフォームのあれこれについて、リバプールFCの歴代ユニフォームとともにみていきます。
目次はこちら。
- リバプールFC創世記、そして「オールレッド」の誕生
- サプライヤーとスポンサー、レプリカユニフォームの登場
- 80年代以降のユニフォーム変遷と今後への期待
- 近年続くダークレッドの理由とは?
- ユニフォームとともに語り継がれるクラブの歴史
リバプールFC創世記、そして「オールレッド」の誕生
サッカーのユニフォームが持つ本来の役割といえば、試合中に敵/味方を識別することです。1800年代の終わりにヨーロッパでフットボールクラブが誕生してしばらくは、各クラブそれぞれ特定の色や模様を選び着ているものの、それは機能性を含めてあらゆる面で現代のユニフォームとは異なるものでした。
リバプールFCは、1892年にエバートンがアンフィールドを去り、そこに新しいクラブを設立、それがリバプールFCとなるわけですが創設当初のユニフォームはライトブルーと白を混ぜた「レッズ」とは程遠いものでありました。(当時エバートンは薄いピンクのユニフォームを着用)
その後、1896年に街の色を取り入れて赤いシャツと白いパンツというスタイルに変更し、それが定着していきます。ソックスは時代とともに細かな変化がありますが、赤や黒がベースとなっていました。首周りのデザインや素材は時代の流行とともに、襟付きだったりVネック、短い袖が採用されていきます。1955年からは左胸にライバーバードのクレストが入るようになりました。(下画像)
余談ですが、60年代に入ると各クラブ、丸首のクルーネックのユニフォームが流行っていたようです。これはビートルズの襟なしスーツの影響ということで、まだレプリカユニフォームを販売する遥か昔から様々なトレンドに敏感であったことが分かります。
そして、Gerry & The Pacemakers(ジェリー&ザ・ペースメイカーズ)が「You’ll Never Walk Alone」でヒットを飛ばしていた翌年の1964年、リバプールFCにとって大きな転機が訪れます。
1964年11月25日にアンフィールドでおこなわれた欧州チャンピオンズカップ(現CL)のアンデルレヒト戦、当時の監督ビル・シャクリーはそれまで定着していた赤いシャツに白いパンツというスタイルに代わり、赤いパンツを着用させ全身赤で試合に臨みます。シャクリーは赤が持つ心理的効果に着目し、相手チームにより威圧感を与えることを狙っていました。
試合はオールレッドの巨人たちが躍進し、見事3-0で勝利します。
その後のシーズン残りのリーグ戦はそれまで通りの白いパンツを着用していましたが、全身赤で出場したFAカップでは決勝でリーズ・ユナイテッドを破り初優勝を果たします。こうして、オールレッドのユニフォームは一気にリバプールの代名詞となっていきました。
EE-AYE-ADDIO: Relive #LFC‘s journey to their first FA Cup success in 1965… http://t.co/sY2JManXgd pic.twitter.com/1OisWK33Ww
— Liverpool FC (@LFC) 2015年4月29日
上記が1982年のクラブ創設から1965年のオールレッドユニフォームに至る移り変わりです。襟元などのディテールはかなりざっくりまとめられていますので、より詳細に確認するには下記サイトが参考になります。
Liverpool – Historical Football Kits
サプライヤーとスポンサー、レプリカユニフォームの登場
1970年代から80年代にかけてリバプールFCはビル・シャクリーからアシスタントコーチだったボブ・ペイズリーへ監督を継承し数々のタイトルを獲得、黄金時代を迎えます。
ユニフォームにおいても、サッカー界全体にも共通して大きな変化の波が次々に訪れます。
70年代に入ると、ユニフォーム上にサプライヤーのロゴが入り、そのユニフォームを作った会社が示されるようになります。リバプールでは、1973年からUMBLOのロゴが入るようになりました。
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(1974年FAカップでニューカッスル・ユナイテッドを破って優勝!)
そして、1979年にはリバプールFCがヨーロッパのクラブで初めてユニフォームの胸にスポンサー企業のロゴを入れました。日本の「日立(HITACHI)」がその第一号、これを他のクラブも追従していきます。
雑誌やテレビといったメディアの登場に伴い、ユニフォームはピッチ内外において露出する機会が増え、ユニフォームそのものが格好の広告媒体となります。こうして、サッカーのユニフォームにはクラブのエンブレムに加え、「サプライヤー」「スポンサー企業」といった第三者のロゴも掲載されるようになりました。ここからの時代はクラブ、サプライヤー、スポンサーそれぞれがそれぞれの思惑でユニフォームを利用していくことになります。
なお、それでもリーグ側はこうした動きにはなかなかついていけません。例えば、1983-84シーズンまではテレビ中継時には企業ロゴが入ったシャツの着用は認められていなかったといいます。また、サプライヤーのロゴについても当初は大きさの規定が厳しく決められ、その規定を巧みに回避するように(袖に入れるなど)デザインを各社工夫していきました。
同時に、レプリカユニフォームの市場が登場してきたのもこの時代です。70年代まではクラブカラーと同色のマフラー、ニット帽子などを身に着けていたサポーターに対して各クラブは80年代も半ばに入るとレプリカユニフォームの販売を始め、90年代になるとその市場が一気に広がっていきます。すると益々ユニフォームをめぐるサプライヤー、スポンサーの契約金が高騰していくという大きな流れが加速していきました。
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(1974年のKOPスタンド。ユニフォームを着ている人は皆無)
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(1992年のKOPスタンド。ホームに限らずアウェイのレプリカも見られる)
現在もグッズとしてのレプリカユニフォームは大人気です。どんなクラブでも一番売れるグッズはユニフォームと言われ、毎年新調されるユニフォームをお気に入りの選手の番号を入れて買い求めていきます。レプリカのシャツを買うことでファンはクラブへの忠誠を表していくのです。
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ユニホーム史のまとめ方がわかりやすく、ポイントも絞られていてすごく読みやすかったです。
個人的に1番の注目ポイントであったダークレッドの考察について「インスタ映え」という一言で片付けられるものなのかは疑問が残りました。
これからも素晴らしい記事をよろしくお願いします!