リバプールFC誕生の歴史と因縁のダービーマッチに向けたキャプテンの意気込み

リバプールの歴史
The following two tabs change content below.
itatsu

itatsu

LiverpoolFC KawasakiFRONTALE

どうもイタツです。
前回の投稿からしばらく経ってしまいました汗
お詫びの代わりに今回はLFCの公式記事を2本お届けします!

***以下抜粋と翻訳***


「3月15日がリバプールFCの歴史にとっていかに重要な日であるか」

 

1892年3月15日、リバプールFCを結成する決断がなされました。
アンフィールドロードにあるジョン・ホールディング宅にてエバートンの別離を受けてアンフィールドでプレーするための新しいクラブを創設することになったのです。
この重要な瞬間を迎えるまでの道のりは複雑で衝突もありました。
時系列に沿って動画にまとめられています。

動画の内容解説:
・1871年7月20日 エバートンの新しい教会
エバートン地区の人々のための新しい礼拝所、聖ドミンゴメソジスト聖堂が開かれました。
およそ6,800ポンドをかけてSt Domingo Vale と Breckfield Road Northの角に建設されました。
リバプール・マーキュリー紙の記録によると、
クリスチャンの崇拝のための場所と居心地の良い場所の特徴を一度に持ちあわせ、音響も素晴らしいものだ。(一部省略)

・1879年10月18日 聖ドミンゴFCの設立
クリケットが冬にできない間のスポーツ活動を促進するため、聖ドミンゴはフットボールチームを結成しました。
この日にスタンリーパークで行われた初めての試合はエバートン教会相手の1-0の勝利でした。
月曜日にリバプール・デイリー・クーリエ紙はこの試合を「白熱の接戦」と説明した。

・1879年11月 名前の変更
聖ドミンゴFCは数々の有能な選手が教区外から集まってくるほどに評判をうなぎ上りにあげていった。チームの顔ぶれが変わっていくことを受けてクイーンズヘッドホテルで開かれた委員会で新しい名前が必要との決定がなされた。
エバートンFCが誕生した瞬間だった。

・1879年12月20日 エバートンFCの最初の試合
改名後初めての試合で地元のセントピータースを6-0で一蹴した。

・1884年3月29日 移動へ
エバートンはスタンリーパークを離れる。
そしてPriory RoadのConey Greenで時を過ごすこととなった。
その年リバプールカップでアレスタウンを下し初めてのトロフィーを手にするが、また新しいホームを探し求めることになる。

・1884年9月27日 エバートンは新しいホーム、アンフィールドへ
クラブ総裁ジョン・ホールディングはジョセフ・オーレルが所有していたアンフィールドロードにある彼の家の向かいの土地を明け渡すエバートンとの契約に賛同した。
リバプール・クーリエ紙の報道によるとリバプールカップ保持者であるエバートンはシーズン開始はホームレスだったが、費用のせいで封鎖されている場所の一時的な所有権を幸運にも得た。
グラウンドはアクセスしやすく、クラブ本部のあるサンドンに近かった。
娯楽にぴったりだったので、冬の間
地元の敷地内で最も人気が出るのは間違いないだろう。
新しいホームでの初めの試合ではアレスタウンを5-0で下した。

・1885年5月18日 ジョン・ホールディングがアンフィールドを買いとる
その土地がオーレルによって売りに出されることになったときホールディングは5,228ポンド11シリング11ペンスを費やして買い取った。
リバプールマーキュリー紙によると彼はエバートンの年次総会で、毎週土曜日にエバートンとリバプール地区の選ばれたクラブとの試合が正しく行われていくことを望んでいる、と表明した。

・1891年10月29日 不和の始まり
エバートンのメンバーとのミーティングでホールディングは、彼がクラブをサンドンホテルのオーナーとしての彼の個人的な目的のために使っているのではないかという告発から自分自身を守らねばならない状況と直面する。
リバプールデイリーポスト紙はこう綴る。
ホールディング氏はこのように述べた。(アンフィールドでの)興行をとても喜ばしく思っている。
1885年フットボール場を買う前からサンドンホテルは良いビジネスをしていた。
屋外スポーツを持ち込むことが反目になると誰も思っていない。
オーレル氏が残していったものを彼は買った。
今いるメンバーの努力がクラブの今の地位を築き上げたのた。
新しいメンバーは古い人たちの貢献を忘れている。

・1892年1月26日 分裂
ホールディングの課す賃貸料をめぐる争いがエバートン内部の分裂の原因となった。
総裁の不在時に役員たちが会合し、アンフィールドを離れ後にグディソンパークとなる場所へ移動する可能性について議論した。
ホールディングはエバートンFCアスレティックグラウンド株式会社を設立し、新しいビジネスを締結するという形をとることで対応した。
フィールドスポーツ紙の報道によるとホールディング氏はアンフィールドのスタンドやそのほかの建築物
について権利を持っており、グディソンの土地をフットボールに適する形にするための費用が高騰した。それは、
 このような特殊な状況でなければ、着手されなかったかもしれないほどであった。

・1892年 3月15日
エバートンメンバーとの会合でホールディングは横暴にも総裁の地位から降ろされる。
フィールドスポーツは綴る。
エバートンFCの道がついに始まった。
最悪だったことは最後の分裂は多くの個人的な非難、不要な侮辱を伴った。
和解への希望は永遠に得られるものではない状態となってしまった。
公正な男に残された唯一のことは、有名なエバートンFCの灰からたち上がるために二つの組織の成功を祈ることだけだ。
四千近いクラブメンバーがジョン・ホールディングを追放する式典を手伝った。
ホールディングはグランドとともに取り残された。ただし、そのグラウンドで誰かがプレーすることはない。
ウィリアム・E・バークレイとジョンマックケナという盟友二人と共に彼は新しいクラブ、リバプールFCを立ち上げることを決意する。

***翻訳と抜粋 了***

2017年3月15日で125周年を迎えたLFC。
長い歴史も調べてみると楽しいし、大事なことなのではと思い、この記事を取り上げました。
エバートンがプレーしていた跡地を活用するためにできたクラブという話は聞いていたものの、
私も細かい歴史をひもといたのは初めてでしたが、ここまで憎悪や因縁を感じさせるものとは思いませんでした。。。
LFCとはホールディング氏のリベンジのためのプロジェクトなのではないか、とまで思ってしまいます。
「因縁のダービー」という言葉がただの枕詞ではなくなってきますね。今晩行われるダービーに向けてますます熱が入ってきました!

続いてそんな因縁のダービーに向けたわれらがキャプテンのコメントです!

ヘンダーソン「重要な一週間を最高の形で始めたい」

***以下抜粋と翻訳***

ヘンダーソンはエバートン戦から始まるこの一週間での3連戦がリバプール4位確保の冒険にとって重要な意味を持っていると確信している。CL出場権確保に向けて、ブルーズをホームに迎えた後ボーンマス、ストークと続いて対戦する。

ヘンダーソンは”This is Anfield”にこう綴った

俺たちみんなサポーターや街にとってのダービーの重要性を理解している。
彼らは普通の試合よりもここでのパフォーマンスがより大きなものをもたらすと感じている。
もちろん得られるポイントは同じだ。しかし他の試合と同じ気持ちのふりをするのは間違っている。
エバートンにとっても重要だ。彼らも感情と目的は同じはず。
最近の歴史や調子がこういった試合には1秒たりとも影響するとは思わない。
激しく、そしてほんの些細なことが試合を決めるということを、みんなが理解している。
3連戦のある本当に大きな一週間になるから、ポジティブな形で始めたい。

プレイヤーとして俺たちは結果について確約なんてできない。
だけど、組織として毎年改善してきた。
大事な時にサポーターが誇りに思えるようにいつも戦い抜く。
お隣相手にもこれを続けていけることを望んでいる。

***翻訳と抜粋 了***

歴史は重要と感じていたところだったんですが、「歴史はダービーに影響しない」と、早速キャプテンに一蹴されてしまいました、、笑
しかし、誰もが燃えていることは間違いないですね!
ちょっと訳が間違っているかもしれませんが「サポーターが誇りに思えるように戦い抜く」という表現には感動しました。

サンダーランドのサポーターとして育ち、サッカーを見ることも愛する彼だからこそ分かる気持ちですね。
私はアンフィールドの初観戦でヘンダーソンが初ゴールを決めたことや、再び見に行った試合でも得点を挙げてくれたことなどからヘンドへの思いれが強いのですが、一時は戦力外にもなった彼が今やキャプテンになり立派なコメントを残してくれていることに感慨深いです涙

 

ヘンドの出場は微妙ですが、何としても勝ちましょう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。