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リバプールFCとザ・ビートルズ。イングランド北西部にある港町リバプールが生んだ偉大なフットボールクラブとロックバンド。
それぞれ長きにわたり世界中に熱狂的なファンを持ち、その彼らにとってリバプールという人口50万人足らずの小さな街は目的は違えど「いつか訪れたい街」という憧れの地になっています。しかし、ビートルズとリバプールFCを両方とも熱狂的に好きだという人は、意外と少ないように思います(筆者の感覚)。
ビートルズきっかけでリバプールFCを好きになった筆者。
「ビートルズ⇒リバプール(街)⇒リバプールFC」という流れでLFCに行き着き、初めのうちはあまり気付かなかったのですが、今は確信を持っています。ビートルズが好きだとリバプールFCの応援がもっと楽しめる!と。
この記事は、ビートルマニアKOPが書く、リバプールFCファンにこそ読んでもらいたい「ビートルズのすすめ」です。
アンフィールドに「Get Back」が流れた日
2014年9月16日、ブルガリアのルドゴレツ・ラズグラドをアンフィールドに迎えたその日、リバプールFCはおよそ5年ぶりにチャンピオンズリーグの舞台に返り咲きました。
「長かった。でも、またここに戻ってきた」
いわゆる暗黒期を越え、サポーターも含めクラブに関わる全員が待ちに待った瞬間です。久々にアンフィールドに流れるチャンピオンズリーグ・アンセムには震えました。
そして、0-0で迎えたハーフタイムのBGM一曲目、ビートルズの「Get Back」。
ハーフタイムに現地アンフィールドで流れたBGM一発目がGET BACKだったのは、ちゃんと意図かあるんだろうね!
— タクヤKOP (@salyva02) September 16, 2014
↑当時のツイートが残ってました。
「Get Back」はビートルズの中でもかなり後期の曲で、既にバンドが空中分解を迎えそうになっている中、ポール・マッカートニーがリーダーシップをとって原点回帰を図った中で作られた曲です。
歌詞については色々な解釈がありますが、有名なサビのフレーズ「Get back to where you once belonged」もあり、この曲を流すことで「リバプールがいるべき場所に帰ってきたぞ!」という強い意志を感じて思わずニヤリとしたものです。
同じシチュエーションで他のクラブが「Get Back」を流しても意味がありません。これは、ビートルズの出身地であるリバプールをホームタウンにするクラブの特権なのです(一応エバートンも)。
クロップといえばヘビーメタルのイメージだが・・
もう少し、たまに登場するビートルズネタです。
2016年3月の記者会見でクロップ監督が、
Beatles fan Jürgen Klopp on @DejanLovrenLFC6’s recent performances…https://t.co/dk3pXEpIpc
— Liverpool FC (at 🏠) (@LFC) March 18, 2016
唐突にビートルズのTシャツを着ていました(笑)。↑の動画参照ですが、その後の記者とのやり取りにも注目です。
この会見は、勝ち進んでいたヨーロッパリーグの次の対戦相手がボルシア・ドルトムントだと決まったタイミングでもありました。
そしておよそ1ヶ月後のドルトムント戦、あの逆転劇の試合翌日のTHE DAILY EXPRESSの見出しは、決勝点を挙げた男にちなんで、
「ALL WE NEED IS LOVREN」というものでした。「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」をもじったものですね。 これもリバプールならではでしょう。
ちなみにドルトムントといえば、2015年10月にユルゲン・クロップがリバプールの監督に就任した時に、クラブ公式Twitterが贈っていたツイートがこちら。
We heard the news today, oh boy! All the best at The Kop, Jürgen Klopp! All the best at @LFC! #klopplfc pic.twitter.com/2vAvY4Hc4F
— Borussia Dortmund (@BVB) October 8, 2015
ご存知、ビートルズの『アビーロード』をパロディした写真ですが、それだけじゃないのです。
ツイートの冒頭「We heard the news today, oh boy!」、これもビートルズネタ。
名曲「A Day In The Life」の冒頭の歌詞、「I read the news today, oh boy」。これをもじっていると思われます。
このように、ビートルズを知っているとリバプールFCを応援してる中でたまーに登場する些細なネタを拾うことができるのです。おトクだと思いませんか?(笑)
ビートルズの4人は赤か?青か?
さて、リバプールFCファンがビートルズを知る必要性を少し感じていただけたところで、もう少しビートルズとLFCの接点を見ていきましょう。
(ここからちょっとずつマニアックになっていきますがお付き合いください)
まずは、リバプールで生まれ育った4人が同じ街にある2つのフットボールクラブ、リバプールFC(赤)かエバートンFC(青)のどちらをサポートしていたか?ということでしょう。基本的にはポールのみが青(エバトニアン)、他3人は赤というのが定説です。
ただし、バンド活動期間中は表立ってどのクラブをサポートしているという情報は出ておらず、そしてそれはマネージャーのブライアン・エプスタインが公にすることで他クラブのファンを敵に回すのを嫌ったとのこと。それでも、解散後も同じようにビートルズとサッカーを関連付ける話題はさほど出てきてないことから、4人ともそれぞれサッカーにはあまり熱中していなかったようです。故に結構色々な説があったりしますが、各メンバーについてざっくりまとめると、
ジョン・レノン
基本的にはサッカー、スポーツ全般に興味なし。ほぼ接触のなかった父親がリバプールFCのファンだったという話があるので、父親と僅かに会っていた時期である5歳~6歳くらいのジョン少年が少しその影響を受けた可能性もあり!?
1974年発表のソロアルバム『Walls & Bridges』のジャケットに使われたこのイラスト。これは1952年、当時11歳だったジョン少年が描いたFAカップ決勝ニューカッスル・ユナイテッド対アーセナルの絵が使われています。
また、アルバム『Let It Be』内の「Dig it」という曲では当時のマンチェスター・ユナイテッド監督マット・バスビー(現役時代はリバプールFCでも1936-1941の間プレー)の名前を叫んでいることからあまり特定のクラブはサポートしていないように思います。
ポール・マッカートニー
父親譲りのエバトニアンというのは自身も公言しており、エバートンがFAカップ決勝へ進出した1966年と1968年はウェンブリー・スタジアムへ観戦に行っている姿も目撃されています。
ただし後年、ライバルチームのレジェンドであるケニー・ダルグリッシュと出会い親交を深めたことでリバプールFCもサポートしていると語っています。(PaulMcCartney.comより)
また、2012年には「ヒルズボロの悲劇」の遺族のためのチャリティソング「He Ain’t Heavy, He’s My Brother」にも参加しています。
ジョージ・ハリスン
静かなビートルと呼ばれた彼も、基本的にサッカーに興味なし。どこのクラブをサポートしてるのか?と聞かれた際、「リバプールには3つクラブがあって僕は赤でも青でもないところが好きだね」と言っていたり関心を見せていません(もしくは見せないようにしていた?)。
ちなみに、↑の発言から「ジョージはトランメア・ローヴァーズFCのサポーターだったのでは?」という説も一部ではあるようです(笑)。
リンゴ・スター
義父がロンドン出身でグーナーだったためにリバプールFCよりもアーセナルが好きだという説が有力。ちなみに、息子2人はアンフィールドのシーズンチケットホルダーという噂も。
なお、2003年のNumber plus「女王陛下のフットボーラーたち。」内の特集「ビートルズとサッカー、その浅からぬ因果関係とは」には以下の記載がありました。
ビートルズ解散後の’71年には、ジョージとリンゴがリバプールFCの出場するFAカップ・ファイナルのチケットを入手しようと、リバプールFCの事務所へ問い合わせたことが報道されている(’71年4月30日付け『デイリー・ミラー』紙)。「ビートルズの功績は認めるが、特別扱いはできない」としてその申し出は断られてしまったが、ジョージとリンゴは「ひとりのサッカー・ファンとして地元チームを応援したかった」とコメント。2人はリバプールFCのファンで、時間と環境が整えば応援に駆けつけたいという気持ちを持っていたことがわかる。
『女王陛下のフットボーラーたち。 Rock with Football England―Sports Graphic Number plus 2003 March』P97より
しかしこの71年のFAカップ観戦に関しては、WEBで調べてもこれ以上の情報は見つからず・・(情報求む)。上の「地元チームを応援したかった」のコメントはジョージだったとしても、リンゴは対戦相手のアーセナルを応援したかったんじゃないかという気もします(笑)。
という感じでリバプールに生まれ育ちながら、それほどフットボールに夢中になっていない4人。ポールがエバトニアンであることは明白ですが、その他3人については果たして「リバプールファン」だったと言えるのか。
まあいずれにしろ、その辺りの謎を残すところもビートルズ研究の面白いところであります。
ビートルズ活動期とLFCの時間軸を重ねてみる
続いて、そもそもビートルズはいつの時代のバンドなのか?そして、その頃のリバプールFCはどうだったのか?その時間軸を重ねてみましょう。
ざっくり年表を用意しました。
1部昇格と同年、ビートルズがデビュー
ビートルズの結成(当時は「ザ・クオリーメン」)は1957年ですが、その頃のリバプールFCはというと2部で低迷していました。そんな中、1959年にビル・シャンクリーが監督に就任します。その後の彼の改革は様々なエピソードがありますが、それが実り始め1962年に1部リーグへ昇格。そして、同年10月にビートルズはシングル「Love Me Do」でデビューを飾ります。
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デビュー当時はこんな感じでした。え?
YNWAとビートルズの意外な共通点
リバプールFCのアンセム「You’ll Never Walk Alone」が、当時ビートルズと人気を二分していたジェリー&ザ・ペースメイカーズが1963年10月に発売したシングル曲(元々はミュージカル「回転木馬」の挿入歌)だということはよく知られていると思います。
では、彼らのプロデューサーとマネージャーがビートルズと同じだったというのはご存知でしょうか?
ビートルズのプロデューサーとして有名なジョージ・マーティン、ビートルズを見出したマネージャー、ブライアン・エプスタインはジェリー&ザ・ペースメイカーズも担当していたのです。あのアンフィールドで流れる「You’ll Never Walk Alone」はビートルズと同じジョージ・マーティンのプロデュースなのです。
実際に彼ら2バンドは1963年当時の全英チャートの1位を何度も競い合っていて、そんな2つのバンドのマネージャーとプロデューサーが同じってすごいことですね。
当時はビートルズもカバー曲を演ってましたし、もしも歴史に何かの間違いが起こって「You’ll Never Walk Alone」をリリースしていたのがビートルズだったなら、という妄想も聞いてみたいような、聞きたくないような・・・。
ちなみに、「You’ll Never Walk Alone」の4週連続1位をストップさせたのが、ビートルズの「She Loves You」。
1964年4月のアンフィールド、その「She Loves You」が歌われている映像が残っています。
シャクリーの改革、快進撃を続けるビートルズ
1963年以降、リリースするシングル・アルバムが大ヒットを記録するビートルズ。一方のLFCも1963-64シーズン、シャクリーの改革が実り17年ぶりのリーグ優勝を成し遂げます!前年はエバートンがリーグ優勝していますし、さぞ街に勢いがあったことでしょう。
そして、1964年といえばリバプールFCにとって大きな転機が起こります。監督ビル・シャンクリーが、今となっては当たり前の「全身赤」のユニフォームを初めて着用させたのです。(それまでは赤シャツに白パンツ)
それは1964年11月25日にアンフィールドでおこなわれた欧州チャンピオンズカップ(現CL)のアンデルレヒト戦のことでしたが、ビートルズ的にはそのわずか2日後に8枚目のシングル「I Feel Fine」を、12月4日には4枚目のアルバム『Beatles for Sale』をリリースして大ヒット。同年7月に発表していた『A Hard Day’s Night』も含めてその人気は絶頂に達していました。
ビートルズから届いた電報
その翌シーズンとなる1964-65シーズンはリーグ7位と低迷したリバプールFCですが、FAカップは決勝へ進出。ここでついに、直接的な接触が生まれます!
そのリーズ・ユナイテッドとのFAカップ決勝戦の前、ブライアン・エプスタインはビル・シャクリーへ連絡し、ビートルズのためにチケットを確保してくれないかと聞いたそうです。これに対してシャクリーはこう言いました。
“I have never seen any of The Beatles standing on The Kop. Any ticket I have spare will be going to my mates on the Kop.”
International Beatleweek 2018: Stay at The Shankly Hotel より引用
「ビートルズのメンバーがKOPスタンドにいるのを私は見たことがない。もし余りのチケットがあればKOPの仲間達に渡しますよ」
彼らが熱心なサッカーファンでなかったとしても、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったビートルズに対してこのように言えるのはビル・シャクリー、さすがです。
それでもビートルズは、メンバー全員からビル・シャンクリーへ電報を送っています。めげないところが良いですね(笑)。
“Best of luck lads we’ll be watching on the tele. John Paul George and Ringo”
この電報は、リバプールにあるシャクリーホテルに展示されているそうです。
ビートルズの応援の効果かリバプールFCは初のFAカップ優勝に輝きます。
EE-AYE-ADDIO: Relive #LFC‘s journey to their first FA Cup success in 1965… http://t.co/sY2JManXgd pic.twitter.com/1OisWK33Ww
— Liverpool FC (at ??) (@LFC) April 29, 2015
あのジャケット写真に載った唯一のフットボーラー
その次のシーズンである1965-66年シーズン、リバプールFCは再びリーグ優勝を果たします。イングランド代表がワールドカップの優勝に輝いた年でもありますが、ビートルズの1966年といえば、そうです日本公演(6月)がありました。
そして8月に7枚目のアルバムとなる『Revolver』を発売。同月のアメリカでのライブを最後に、ビートルズはライブ活動を停止します。
ビートルズの活動期を2つに分けた場合、ここまでが前半「赤の時代」と呼ばれます。これは彼らの初のベストアルバム、通称『赤盤』『青盤』にちなんだものです。(後述)
アイドルからアーティストへ変貌を遂げ「青の時代」の幕は開き、以降はレコーディング・アーティストとして数々の名作を残すのですが、1967年に発売されたのが世界初のコンセプト・アルバムとして名高い『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』。
有名なこのジャケット、数々の人物がコラージュされていますが、ここに一人のフットボーラーがいるのをご存知でしょうか?
上で挙げた年表にも登場する、リバプールFCで活躍したFWアルバート・スタビンズです。1946-47シーズンの24年ぶりのリーグ優勝に貢献した選手です。
ジョン・レノンの父親が好きだったということで、この人選についはジョンが推薦したと言われています。
ちなみに、ここに載れなかったもう一人のフットボーラー、それはエバートンの英雄ディキシー・ディーン。もうお分かりですね、ポールの推薦でした。
解散。そして訪れるLFC黄金時代
1968年以降もビートルズは数々の名曲・名盤を世に出していきますが、やがてバンドは解散。1970年、奇しくもエバートンがリーグ優勝を飾っていた年でした。
リバプールFCがしばらくタイトルから遠ざかっていた1973年、前年からチームに加わっていたケビン・キーガンの活躍もありリーグ優勝とUEFAカップの2冠に輝きます。
その1973年5月、解散して3年経ったビートルズの初のベストアルバム『The Beatles 1962 – 1966(赤盤)』『The Beatles 1967 – 1970(青盤)』が発表されます。
このベストアルバムは、ビートルズの活動年である1962年~1970年までを年代順に追ったもので、それぞれ2枚組・合計4枚で54曲が収録されています。
この『赤盤』『青盤』の色は地元の2つのフットボールクラブ、リバプールFCとエバートンFCを表していると言われていますが、これも関連付ける明確な資料は特にないようです。
翌シーズンの1973-74シーズンもリバプールFCはFAカップ優勝。そしてこのシーズンをもって15年間監督を務めてきたビル・シャンクリーが勇退、アシスタントコーチのボブ・ペイズリーにそのバトンを引き渡したのです。
ビートルズの時代、ビル・シャンクリーの時代
改めてリバプールFCとビートルズの歴史を重ねてみると、とても興味深いです。
1957年の結成から、ちょっと強引ですが1973年の『赤盤』『青盤』の発表までを含めれば、ほぼビル・シャンクリー監督の時代と重なっているのです。
当時2部で低迷していたクラブに様々な改革を起こし、初の国際タイトルを含む数々の栄光をもたらしただけでなく、その後の黄金時代の礎を創ったビル・シャンクリー。そして魔法のような楽曲をいくつも世に残し、その後のエンターテインメントの在り方をすべて変えてしまったビートルズ。
彼らが駆け抜けた1960年代から70年代前半、ビートルズの4人とビル・シャンクリーはそれぞれの魂をかけて全く別々のフィールドで命を燃やし、人々を幸せにしました。
ビートルズを創ったジョン・レノンは1980年12月に凶弾に倒れ、奇しくもその翌年にビル・シャンクリーは亡くなってしまいました。しかし、その影響力は現代にも色濃く残っているのです。
一番のメリットはリバプールを訪れる楽しみが増えること
色々書いてきましたが、リバプールFCファンがビートルズを好きになる一番のメリットは間違いなく「リバプールを訪れる楽しみが増えること」です。
この記事では書ききれませんでしたが、リバプールの街にはビートルズゆかりのスポットが本当にたくさんあります。我々日本人にとって、遠く離れたリバプールにはなかなか行けませんし、アンフィールドでの観戦は夢です。その楽しみがさらに倍増します。
だって、ランチタイムにアンフィールドで試合を観て、夜はキャバーン・クラブでビートルズのカバーバンドを観ながらビールを飲むとか最高でしょ。
街のそこら中にある何気ないものの見え方も変わってくるでしょう。ビートルズを好きになると、リバプールという街がもっともっと特別な街になるのです。
せっかく世界で最も有名なバンドを生んだ街のクラブを応援しているので、その音楽も聴いてもっと楽しんじゃいましょう。
おまけ(では何から聴けばいいの?)
ビートルズの楽曲は全213曲。
もちろんオリジナルアルバムを聞いていくのが良いですが、最初はやはりベストアルバムがオススメ。
この記事でも何度もでてきた『赤盤』『青盤』は54曲収録とまあまあのボリュームなのですが、もう少しコンパクトに聞きたければ、2000年に発売されたこの『ザ・ビートルズ1』です。
こちらはイギリスとアメリカで1位になったシングル曲のみを集めたベストアルバムです。それでも27曲ですが(苦笑)。
でも、やはり僕としてはシングル曲以外も入っている『赤盤』『青盤』をオススメしたいです。
ビートルズは結構特殊なバンドで、ジョン・レノンとポール・マッカートニーという2人の偉大なソングライター(クレジットは全て「レノン・マッカートニー」)に加え、ジョージ・ハリスンも味のある名曲をいくつも残しています。そして作曲者によって曲のリードボーカルが変わるという特性があります。ボーカリストとしてはドラムのリンゴ・スターも「Yellow Submarine」で聞けるように個性的な歌声をいくつかの曲で披露しています。(そういえばジェイミー・キャラガーのチャントはイエローサブマリンでしたね)
それで成り立つのはこの4人の個々の力とそのバランスがいかにすごかったかということですが、こんなバンドはもうそうそう出てこないですね。
そういった特性を踏まえ、個人的に思うビートルズを楽しむ最大のポイントは「時代ごと移り変わるメンバーの力関係の変化」を感じながら聴くことです。
ビートルズはジョン・レノンが創ったバンドであり、初期はやはりジョンの色が濃くでています。それが中期になるとポールが才能を開花し始め、後期には一番年下のジョージも台頭してくる。それぞれの曲の中でのメンバーの役割や貢献度なんかも意識しながら聞くと一層楽しくなります。
そういう楽しみを味わうのであれば、やはり『赤盤』『青盤』がオススメなのです。
参考資料:
Back in the USSR: The Beatles and Football | The Beatles Story, Liverpool
International Beatleweek 2018: Stay at The Shankly Hotel
Did the Beatles like football: the official verdict | Football | The Guardian
女王陛下のフットボーラーたち。 Rock with Football England―Sports Graphic Number plus 2003 March
大人のロック! 編 ザ・ビートルズの世界地図 (日経BPムック)
大人のロック! 特編 ザ・ビートルズ1962-1966 赤の時代の衝撃 (日経BPムック)
大人のロック! 特編 ザ・ビートルズ1967-1970 青の時代の真実 (日経BPムック)
ここに書かれていないビートルズとリバプールFCの関連ネタがあればぜひ僕のツイッターまで教えてください。読んだ感想や次回書いてほしいネタなどもお待ちしてます!
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