リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由(後編)

リバプールファンが「ヒルズボロの悲劇」に関する虚偽報道をした英紙「ザ・サン」を根絶しようとしている理由(後編)
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Yumiko Tamaru

Yumiko Tamaru

Photographer. Secretary of OLSC Japan(@LFCjp)、リバプール・サポーターズクラブ日本支部代表、大学講師、ライター、フォトグラファー、翻訳業。@PL_Pub_jp 英語講師。

アメリカにはリバプールの公式サポーターズクラブが68支部あるのですが、そのうちの1つであるリバプール・サポーターズクラブ・デラウェア支部(以下、OLSCデラウェア @OLSCDelaware)が2020年10月12日に公開した「YouTube/ポッドキャスト」には、「ヒルズボロの悲劇」の生存者が2人、ゲストとして招かれました。

ホストを務めるのは、OLSCデラウェア代表のポール・ギャスケル(@pgaskell3)。OLSCデラウェアの会員、ショーンとチャーリーも同席しています。招かれた生存者の1人は、映画「YOU’LL NEVER WALK ALONE」にも登場したダミアン・カヴァナ(@DamianKav)。ダミアンは、現地のリバプールファンが運営するファンメディア「The Anfield Wrap(@TheAnfieldWrap)」のポッドキャストやYouTubeにもよく出演しています。もう1人はリッチー・グリーヴス(@RichieG_LFC)。リッチーは、「Kopite Klobber(@KopiteKlobber)」というオリジナルのリバプール・グッズショップを経営しています。

この「YouTube/ポッドキャスト」の中で、ダミアンとリッチーは、「ヒルズボロのことを知らない海外のファンに、おふたりが伝えたいことをぜひ話してください」というポールのリクエストに応えて、新聞の虚偽報道によって生存者たちがいかに苦しんできたかを語ります。そこで、本記事では、「リバプールファンが『ヒルズボロの悲劇』に関する虚偽報道をした英紙『ザ・サン』を根絶しようとしている理由」の「後編」として、彼らが語ったことの一部を日本語にしてご紹介します。2人の言葉を日本語にして記事化することを、ポール、ダミアン、リッチーの3人は快く許可してくれました。

1. ダミアンとリッチーが語ったこと

リッチー: 私もダミアンも、幸運なことにピッチに逃れて助かったのですが、スタンドは地獄でした。私は砲弾神経症(シェルショック)のようなショック状態に陥りました。その4日後には、「リバプールファンは酔っ払っていて、チケットも持っていなかった」と、事故の被害者である私たちや亡くなった人たちを非難する記事が新聞に出ました。それから23年間、私たちは「チケットも持たずに酔っ払ってスタジアムに押し入った人殺し」というレッテルを貼られて生きてきたのです。23年後の2012年に「ヒルズボロ独立委員会」が事故の原因を警察の誘導ミスとスタジアムの構造にあったと特定するまで、私たちはずっと「罪悪感」を感じて生きてきました。もちろん、私たちには何の罪もありません。そのことはあの場にいた私たち自身が誰よりもよく知っています。ですが、虚偽の報道によって、悪いのは私たちリバプールファンだと世界中が信じてしまったのです。そのために、私たち生存者は、本来は感じる必要のない「罪悪感」を感じながら23年間生きてきたのです。その重荷に耐えられず、自殺してしまった人もいました。また、生存者の多くは、今日までこのことを人に話すことさえできませんでした。

ダミアン: 飛行機事故の責任を乗客に押し付けたようなものです。今日では皆さんのような海外のファンもヒルズボロのことを理解したいと言ってくれますし、真実を伝えようとこうやって熱心に活動してくれて、本当に嬉しく思っていますが、1989年にはSNSもありませんでしたから、警察当局が言うことが全てで、皆それを信じてしまったのです。私の息子はいま20代前半なのですが、息子が初めて観戦したFAカップ準決勝の試合は、2006年のチェルシー戦でした。もしその試合であのような事故が起きたらどうなっただろう?と考えたりするのですが、2006年には虚偽の報道をすることなどできなかったでしょうね。その頃にはスタジアムに設置されているカメラの台数も増えていましたし、観客はもうカメラ付き携帯電話を持っていましたから、真実を伝える証拠をたくさん残すことができますよね。ですが、1989年には携帯電話もなかったため、メディアが真実を歪めてしまうことが容易だったのです。

ポール: 「重荷に耐えられなくて自殺してしまった人もいた」とのことですが、周囲に助けを求めることはできなかったのでしょうか?

リッチー: 今の時代ならカウンセラーに相談することもできるでしょうけど、当時はまだカウンセラーのような専門家もいない時代でした。それどころか、「話すと辛いだろうから、話さないほうがいい。そうすればそのうち忘れるさ」と言われてきたのです。

ダミアン: そうですね。「ヒルズボロの話をすると周囲の人を動揺させてしまうから、話さないほうがいい」とも言われてきました。90年代はずっと孤独でしたよ。

リッチー: 私たちがヒルズボロのことを話せるようになったのは、TwitterやFacebookが登場してからです。それまでは誰にも話すことができず、孤独でした。周囲の人たちも、生存者の前でヒルズボロの話をするのはタブーだと思っていたのです。あるとき、アンフィールドで一緒に試合を見た友人に、私はこう言いました。「今年ももうすぐあの事故が起きた4月15日が来るというのに、誰もそのことを話さないよなあ。みんなヒルズボロのことなんて忘れてしまったんだろうか?」と。すると、友人はこう言いました。「忘れるはずないじゃないか! ただ、みんなお前の前ではヒルズボロの話をしないようにしているんだよ。お前を動揺させるような話はしないように気遣っているんだ」と。私は言いましたよ。「なに言ってるんだい!? オレは話したいよ! 話させてくれよ!」と。吐き出したい思いを吐き出すこともできず、世界中の人から「人殺し!」と非難され続け、23年間、孤独で気が狂いそうでした…。

ダミアン: でも、私たちはリバプールに住んでいましたから、まだよかったほうなのです。リバプール市民は、新聞の報道を信じていませんでしたからね。ですが、生存者の中でもロンドンなどリバプール以外の地域に住んでいた人たちは、新聞の報道を信じていた人たちに囲まれて暮らしていましたから、私たちよりずっと辛い思いをしていたのです。

リッチー: 「リバプールファンは遺体の服のポケットから物を盗もうとした」などという嘘が新聞に書かれたために、「リバプール出身者は泥棒だ」という誤ったステレオタイプができ上がってしまいました。夏休みにはスペインなどに家族旅行に行きますよね? 私たちが旅行先でリバプール訛りの英語で話していると、それを聞いた周囲の人たちは、「あら、あの人たち、リバプール人だわ。あなた、財布ちゃんとある?」とか、「おい、リバプール人がいるからハンドバッグを盗られないようにちゃんと見ておけよ」などと言うのです。私たちに聞こえるような大きな声で言いますよ。リバプール出身というだけで、こんな目に遭うのです。イギリスには「カジュアルティ」というアメリカの「ER」のような医療ドラマがあったのですが、ドラマの中に泥棒や強盗が出てくる場面があると、泥棒たちはみんなスカウス訛りでしゃべっていました。「リバプール人=泥棒」というステレオタイプができ上がってしまったのです。

ショーン: 2、3シーズン前だったと思いますが、ローマでリバプールファンが誰かを噴水に突き落としたことがありましたよね。もちろん、そんなことをするヤツは最低ですが、そういうことがあると、「ほら見ろ、やっぱりリバプールファンは乱暴者だ!」と言われたりしますよね。昨年私はCL決勝を観るためマドリードに行ったのですが、帰りに空港でパスポートの提示を求められたとき、私がリバプールファンだとわかると、「問題を起こしたりしませんでしたか?」と聞かれました。「もちろん何もありませんでしたよ」と答えると、「他のリバプールファンにも問題行動はありませんでしたか?」と聞かれました。「リバプールファン=フーリガン」という偏見がいまだにあるのだな…と驚きました。

ダミアン: リバプールファンはみな、心のどこかで「自分はクラブと街のアンバサダーだ」と思っています。世界中どこへ行っても、みな礼儀正しく振る舞いますよ。虚偽の報道によってできあがってしまった偏見を払拭したいと思っているからです。リバプールの人たちは、みなとても親切でフレンドリーですよ。港街のリバプールは移民が作った街ですから、元々、外国人や他の街から来た人を暖かく迎え入れる文化があるのです。リバプールに来てもらえればわかりますよ。

ポール: 最後にリッチーのグッズショップのTシャツのことを教えてください。「Scouse Not English」とか、私がいま着ている「リバプールの魅力はイングランドではないということだ(The Magic of Liverpool is that it isn’t England)」など、「リバプールはイングランドではない」というメッセージをプリントしたTシャツが多いですよね。こうした言葉の背景には、どんな歴史や思いがあるのでしょうか?

リッチー: 「自分はリバプール人であってイングランド人ではない」と意識するようになったきっかけは、ヒルズボロです。リバプール以外の地域に住むイングランド人たちがみな、あの虚偽報道を信じてしまったからです。そのことにずっと苛立ちを感じてきました。私はイングランド代表の試合には全く興味がありません。リバプールに住むリバプールファンのほとんどがそうですよ。

ダミアン: 私はイングランド代表には負けてほしいといつも思っています。

ポール: いまちょうどイングランド代表はベルギー代表と試合をしているところですよ(笑)。

ダミアン: そうなんですか? 知りませんでした。

リッチー: 1982年のワールドカップのとき、イングランド代表対フランス代表の試合をテレビで見ていて、ブライアン・ロブソンか誰かがキックオフ20秒後にゴールを決めたのですが、私はフランスに勝ってほしいと思っていました。まだヒルズボロの前のことですけどね。リバプールファンがイングランド代表を応援するなんて、私には全く理解できません。イングランド人は、私たちリバプール人を泥棒呼ばわりしてきたんですよ? ハリー・ケインやウェイン・ルーニーやフランク・ランパードを応援するなんて、あり得ません。私はイングランド人であることに誇りを感じるようなことはありません。マージーサイド出身であることに誇りを感じています。イングランドなんて、腐敗した卑劣なちっぽけな島ですよ。イングランド代表の試合では、スタンドに赤い十字のイングランド国旗をよく見かけますが、アンフィールドでイングランド国旗を見ることなんて、まずありません。

ポール: 70年代にはアンフィールドでもイングランド国旗を見た記憶があります。ですが、80年代以降は見なくなりましたよね。

ダミアン: イングランド代表チームを応援しているリバプールファンも多少はいます。もちろんそれは尊重しますし、本来はそうあるべきだとも思っています。ですから、代表チームの試合を観に行く友人には「Good luck!」と声をかけますよ。心の中では「イングランド負けろ!」と思っていますけどね(笑)。

 

2. Scouse Not English

ダミアンとリッチーが語ったヒルズボロの話はここまでです。2人の話の中に出てきた、「自分はリバプール人であってイングランド人ではない(Scouse Not English)」という言葉や、イングランド代表チームは応援していないという話について、少し補足をしたいと思います。ダミアンの言葉にあった通り、「港街のリバプールは移民が作った街」であり、リバプール市民を構成しているのは、19世紀にアイルランド、ウェールズ、中国、北欧諸国、カリブ諸国、アフリカ、イタリアなどからやってきた移民たちです(最も多いのはアイルランドからの移民)。そのため、リバプール市民は「イングランド人である」という意識が元々希薄で、彼らの多くが「我々はスカウスであり、イングランド人ではない(We’re Scouse.  We’re not English. )」と言います。

 

リバプール人が「イングランド人ではない」という意識をさらに強めるようになった原因が、80年代にあります。80年代にイギリスの首相だったマーガレット・サッチャーが、緊縮財政や人頭税といった貧困層への負担が大きい政策をとったために、労働者階級の街リバプールは経済的に疲弊し、失業率が増加しました。81年にはトクステス(ロビー・ファウラーの出身地)で暴動も起きたほどです。また、当時の大蔵大臣が「リバプールの街を衰退させるべきだ」とサッチャーに進言していたことも明らかになりました。サッチャーが首相だった1979年から1990年頃まで、リバプールは中央政府から虐げられ、衰退させられたという歴史があるのです。そのためリバプール市民は、自分たちは「中央政府=イングランド」には属していないという意識をますます強めることになりました。また、ヒルズボロでの事故はこうした時代に起きたため、政府や警察当局に迎合するメディアは犠牲者や生存者(=リバプール市民)を貶めるような嘘を書き立てたのです。そしてその虚偽報道によって、リバプール人たちの「イングランド人ではない」という意識はさらに強くなっていきました。

 

3. LIVERPOOL ENGLAND

サプライヤーがニューバランスからナイキに変わった20/21シーズン。新しいホームユニフォームは「Tell Us Never」というスローガンと共に発表され、同時にこのスローガンを映像で伝えるビデオがリリースされました。

 

 

このビデオの冒頭には、「LIVERPOOL ENGLAND」という文字が、映画のタイトルのように大きく映し出されます。「ENGLAND」という語には打ち消し線が引かれ、「ENGLAND」となっています。つまり、「リバプールはイングランドではない」ということです。そしてそこに、「リバプール共和国へようこそ(Welcome to the Republic of Liverpool.)」というナビゲイターの少女の声が被ります。リバプールは、イングランドから独立した「共和国」のような街だと思っている市民が多いのです。その顔立ちから移民の子孫であることが明らかなナビゲイターの少女は、リバプールの選手たちを含む「リバプール共和国」の住民たちが皆、「反骨精神」の持ち主であることをスカウス訛りの英語で紹介していきます。その「反骨精神」は、そもそも移民であり、そのルーツが「イングランド」にはないリバプール市民たちが、80年代以降、「中央政府=イングランド」によって虐げられてきたという歴史の中で育まれた「対イングランド」のメンタリティなのです。そのことを理解した上でこのビデオを見直してみると、「Tell Us Never」というリバプール人の「反骨精神」が、マーケティングキャンペーン用のストーリーとしてではなく、リアルなものとして感じられるでしょう。

リバプール市民の「反骨精神」は、リバプールFCにも受け継がれています。逆境にあっても、最後まで決して諦めることなく全力を尽くし、ときに奇跡をも起こすリバプールというチームは、まさにリバプール市民の「反骨精神」を体現するチームです。だからこそ、実際にプレーしているのがリバプール出身の選手でなくても、リバプール市民たちは、自分たちのメンタリティを体現しているチームとしてリバプールFCを愛してやまないのでしょう。

 

4.「Scouse Not English」のTシャツ

最後に、リッチーが経営する「Kopite Klobber」というオリジナルのリバプール・グッズショップのTシャツの中から、「リバプールはイングランドではない」というメッセージがプリントされているものをいくつかご紹介します。

 

まずは、ライバーバードと共に「SCOUSE NOT ENGLISH」とプリントされたシンプルなTシャツ。

 

こちらはホストのポールが着ていた「リバプールの魅力はイングランドではないということだ(The Magic of Liverpool is that it isn’t England)」とプリントされたTシャツです。

 

「Tell Us Never」のビデオでは、ナビゲイターの少女が「リバプール共和国(Republic of Liverpool)へようこそ」と言いますが、それに似た「リバプール独立共和国」という言葉をスペイン語で「Repùblica Independiente de Libpool」とプリントしたのが下のTシャツです(「Libpool」という語はスペイン語ではありませんが)。 

 

こちらは「イングランドはリバプーから出て行け!(ENGLAND, GET OUT OF LIVERPOOL)」というバナーを持ってデモ行進しているリバプール市民の写真をそのままプリントしたTシャツ。 

 

「ザ・サン」の「Sun」の文字を「Scum」という単語(「ゴミ」の意味)に変え、「Don’t Buy the Scum」とプリントしたTシャツは定番です。 

 

「リバプールはイングランドではない」というメッセージがプリントされているもの以外にも、「Champions」Tシャツや… 

 

チアゴのTシャツやパーカーもあります。 

 

ライバーバードと「CAMPIONI」というイタリア語がプリントされたエアラインバッグもおすすめです。

 

ぜひリッチーが経営する「Kopite Klobber」のオンラインストアを覗いてみてください。

 

 

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