ディオゴ・ジョッタとアンドレ・シウバの葬儀

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

以下は、昨日(7/5)のリバプール・エコー紙の記事です。

■ディオゴ・ジョッタとアンドレ・シウバの葬儀

土曜日の現地時間10時、ディオゴ・ジョッタと弟アンドレ・シウバの葬儀が二人の故郷ゴンドマールのマトリス教会で行われました。

参列者の中には、リバプールおよびポルトガル代表チームのチームメートらが数多く見えました。リバプールの一行は、主将のフィルジル・ファン・ダイクがディオゴ・ジョッタのNo.20のシャツをイメージした花束を、隣でアンディ・ロバートソンがアンドレ・シウバのNo.30のシャツをイメージした花束を抱えていました。

その後ろにダルウィン・ヌニェス、アレクシス・マック・アリスター、ジョー・ゴメス、コナー・ブラッドリー、そしてライアン・グラフェンベルフ、コーディ・ガクポ、アルネ・スロットと続きました。

その後ろにはリチャード・ヒューズとCEOのマイクル・エドワーズが続きました。

元リバプールでジョッタとともに働いた選手たちであるクィビーン・ケレハー、ジョーダン・ヘンダーソン、ジェームズ・ミルナー、ファビーニョがいました。マンチェスターシティのベルナルド・シウバも続きました。

ジョッタと同じく2020年にリバプール入りしたチアゴは、奥さん同伴で参列していました。

そのほかにも何百人という人々が、地元ゴンドマールの名士だった二人の追悼に来ていました。この葬儀は、親族と友人だけが中に入れたのですが、地元市民が会場の策の前で二人の最後を見届けようと列を作っていたのでした。

ポルト司教が追悼を読み上げました。「ディオゴとアンドレのことはいくらでも言うことがあるというくらいだ。二人のお父さんが教会で祈りを捧げて、そして二人はフットボーラーとして成功した。それは、二人の努力と忠誠のたまものだった。二人はほかの人々に対して非常に敬意を抱き、人々に尽くした。物静かで家族を大切にする人たちだった」

葬儀は1時間続き、最後はアベマリアの合唱で終わりました。そのあとは、親族だけが残りました。

合衆国で行われているクラブW杯で、試合前の1分間の黙とうの時にルベン・ネベスとジョアン・カンセロが泣いている姿がありました。

リバプールのクラブからは、FSGの代表者デビッド・ウッドファイン、ジュリアン・ウォード、ペドロ・マルケスという面々も参列していました。

フットボール界以外では、ポルトガル大統領のマルセロ・レベロ・デ・ソウザ、首相のルイス・モンテネグロも参列しました。

お通夜には、アンドレ・ビラス・ボアス、ディオゴ・ダロト、ジョアン・モウティーニョ、ジョゼ・フォンテが参列していました。

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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