ディオゴ・ジョッタ追悼の言葉:コスタス・ツィミカス、クィビーン・ケレハー、コナー・ブラッドリー

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

以下は、本日(7/4)のリバプール・エコー紙の記事です。

■ディオゴ・ジョッタ追悼の言葉:コスタス・ツィミカス、クィビーン・ケレハー、コナー・ブラッドリー

●コスタス・ツィミカス
彼はNo.20のシャツを着ている。彼の名はディオゴ
僕らは同じころにこのクラブに来た。この町には初めてという立場で一緒に。
そして、彼と僕とはいくつものベストな出来事を共有した
ある時、試合でサブで出るときにタッチラインで彼は言った。君がクロスを出して僕が得点するからね、と。それは現実になった(1月のノッティンガムフォレスト戦)。あの時には一緒に笑って、あの話を何度も何度も繰り返して話した。
君はスペシャルな選手で、スペシャルな奴で、真のレジェンドだった。
君のことは決して忘れないし、永遠に愛情をもって語られる。
奥さんとお子さん、ご家族のことを思っています。君が戻ってくるのを待っていた人々のことを。
君と弟さんのことは永遠に忘れません。

●クィビーン・ケレハー
ジョッツへ。今僕がこれを書いていることが信じられない。言葉にすることができずに苦しい思いだ。
このニュースには心から打ちのめされた。
奥さんと3人のお子さん、そしてご家族のことを心から追悼申し上げます。
君と共に過ごした日々のことを光栄に感じます。一緒に素晴らしい思い出を作った日々を。ピッチ上でもピッチ外でも。
君は僕にとってフットボール上の最も親しい友人の一人だった。君とはスポーツ観戦やフットボールの試合のことで一緒に楽しい時を過ごした。君の弟アンドレ・シウバの試合を一緒にiPadで見たこともあった。
そして、僕は君がダーツ好きだということに驚いたものだった。ポルトガル人がダーツ好き?と。スヌーカーと競馬もそうだし。君と一緒に笑いながら観戦したことを今でも忘れない。

君は本当に面白い人で気さくな人だった。家族を大切にする人で、そして競争心が強くて。
マッチプログラムのクイズを一緒にやったことが楽しかった。それがもうできないのだと思うと。。。
君と共に過ごした日々を光栄に感じている。君の結婚式のことも。スペシャルな時を、僕は決して忘れない。
君はみんなから本当に好かれていた。このクラブと、この町、そして世界中の人々から。
僕は君を失った悲しみから立ち直れないと思う。長いこと。
ただ、そんな君と知り合えたことを本当に感謝している。

●コナー・ブラッドリー
偉大なフットボーラーで、偉大な人だったあなたのことを、どこから話せばよいか迷っている。あなたと知り合えたことを本当に光栄に思っている。
更衣室に入ったときに、あなたの笑顔を見るのがうれしかった。いつも笑って、僕のことをハンガーと呼んでいたね。
初めてあなたが僕を部屋に入れてくれて一緒にFIFAのゲームをやった時のことは忘れられない。
あの時は前半に僕は5-0で負けていた。あんなにひどくやられたのはあれが最初で最後だった!
僕がアカデミー・チームから上がってきた時からずっと、あなたは僕を助けてくれた。僕がちゃんとできるようにと指導してくれた。
永遠に感謝してます。
奥さんとお子さん、ご家族の方々に心から追悼申し上げます。
どれほどつらいだろうと思うと、想像できないくらいです。
ジョッツ、あなたのことが大好きでした。また会えることを楽しみにしています。

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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