ディオゴ・ジョッタ追悼の言葉:アルネ・スロット

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

以下は、昨日(7/3)のリバプール・エコー紙の記事です。

■ディオゴ・ジョッタ追悼の言葉:アルネ・スロット

どう言えば良いのだろう?このような悲惨な痛みの時に、言うべき言葉がわかっている人などいないと思う。どう言えば良いのかわかっていたら良いのに。。。と思う。

私が言えることは、本当に多くの人がこの選手について、その人格についてたくさんの思いを抱いているということだ。

私が最初に思うことは、監督としてのことではない。人としてのディオゴのことだ。父親であり息子であり兄弟であり、ご家族にとって大切な人間であるディオゴとアンドレ・シウバが、いかに深い人だったかということだ。

私のメッセージは明らかだ。あなたは決して一人では歩かない。リバプールの選手たち、スタッフ、ファン、すべての人たちが私の知る限りではみな同じ気持ちだということだ。

悲劇に対することだけではなく、ディオゴに対して、そしてファミリー全体に対しての気持ちだ。

クラブにとっては、とにかくショッキングだ。ディオゴは単に我がクラブの選手だっただけではない。彼は全員から好かれていた人間だ。チームメートであり同僚であり一緒に仕事をする仲間だった。彼は本当にスペシャルな人間だった。

彼がどれほどこのクラブのために尽くしてくれたかということは、ディオゴのプレイを見た人ならば誰もが知るところだ。ハードワーキングで、決意が強く忠誠心が強く、クオリティの高い、ゴールスコアラーだ。リバプールの選手として必要な資質を備えた人だった。

そして、人々が知らないような資質もある人物だった。とにかく、全員に好かれていた人物だった。みんなの友達だった。一緒にいるだけでうれしいと思えるような人物だった

私が最後にディオゴと会話したのは、ネーションズリーグ優勝おめでとうを言ったときだった。そして、挙式おめでとうと言ったことだった。いろんな意味でディオゴとご家族にとって最高の夏だった。そう考えるとこの悲劇が本当に心が張り裂けるようなことだ。

私がこのクラブに来た時に、真っ先に知った歌の一つがディオゴの歌だった。ファンからあんな風に歌ってもらえたということは、ディオゴがいかにファンから慕われていたかということだと思った。そして、一緒に働き始めてすぐにそれは本当だと実感した。

そして、今我々はそのスペシャルな資質をもつ選手を失ってしまった。その打撃をどうやって埋めるのか、まだわかっていない。みんなで力を合わせて頑張るしかないと思っている。それは、我々がディオゴとアンドレ・シウバにお返ししなければいけないことだと思っている。

ディオゴの奥さんと愛らしいお子さんたち、そしてご両親に心から追悼申し上げます

その時が来たら、みんなでディオゴ・ジョッタを思い出してその業績を祝うことをしようと思っている。彼のゴール、彼の歌。そして今は、彼の人柄をしのび、彼を失った大きな痛みを感じる時だ。

彼は永遠に忘れられない人物だ

彼の名はディオゴ

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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