クィビーン・ケレハーが長年の後にリバプールを去った決断について語る

The following two tabs change content below.
平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

以下は、本日(12/5)のリバプール・エコー紙の記事です。

■クィビーン・ケレハーが長年の後にリバプールを去った決断について語る

クィビーン・ケレハーは、この夏にリバプールを出て£12.5mでブレントフォードに移籍しました。故郷のコーク(アイルランド)から2015年にリバプール入りしてまる10年間を過ごしたクラブを去って、No.1として毎試合に出られるクラブを選んだのでした。

リバプールでは2019年のCL優勝から昨季のプレミアリーグ優勝(ケレハーは2回目)まで、全ての優勝杯を獲得したメンバーの一人となりました。

そのリバプールを出た決断について、ケレハーは語りました。これは元GKベン・フォスターのインタビュー番組でのことです。

「リバプールを出ることは、正直、ものすごく大きな決断だった。ただ、タイミングが僕にとって合っていた」と、ケレハーは語りました。

「僕はリバプールに10年いた。16歳の時にアカデミー・チームに入ってからずっと。ファーストチームには5年くらいだと思う」

「だけど、僕は一度もローンに出たことはなかった。だから、試合を経験したのはリバプールだけだった。ほとんどNo.2として」

「リバプールを出るのは感情的に苦しかった。僕はリバプールで素晴らしい友人をたくさん作ったので。リバプールではいい人たちに囲まれていたし。ただ、フットボール面だけに限ると難しい決断ではなかった。それは正直なところだ」

「(アリソンの控えをやっていた時に、メディアがいろいろ言ったことについて)ちょっと気にした。控えの選手が試合に出るチャンスを得て、良いプレイをした時には『レギュラーとして試合に出るべきだ』とか言われるのは普通のことだと思う」

「ただ、僕がいやだったのは、人々がそれを簡単なことのように言ったことだ。リバプールを出て他に行けばいいじゃないか、ということをいかにもすぐに実行できるかのように」

「僕が良いプレイをしたら、すぐにリバプールのクラブに対して『さようなら。僕は出てゆきます!』と言えるかって?そんなことはあり得ない」

「No.2でいるということは大変なことだ。試合に出られる機会はものすごく少ないし、その時が来たら良いプレイをしなければいけない。そして、僕はそれをなんとかこなせたと思っている。リバプールで」

ブレントフォードでは、ケレハーは今季プレミアリーグ14試合全てにスタートしています。その中でクリーンシートは2です。

リバプールの方はと言えば、新No.2のギオルギ・ママルダシュビリは、アリソンの負傷欠場があったため、既に10試合(全大会の合計)に出ています。ただ、その間リバプールは最悪の成績を続けました。

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA