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この記事では、リバプールの各背番号を背負ってきた選手を掘り下げ、簡単に解説、説明をまとめていく。
第4回となる今回取り上げるのは背番号8だ。リバプールでは数々のキャプテンが背負ってきた特別な番号でもある。それでは、一体どんな選手たちが8番を受け継いできたのか、遡りつつ紹介していこう。
ナビ・ケイタ
- 名前:Naby Keïta
- 生年月日:1995年2月10日
- 身長:172cm
- 国籍:ギニア
- クラブキャリア:イストル/FRA(13-14~), RBザルツブルク/AUT(14-15~), RBライプツィヒ/GER(16-17~), リバプール/ENG(18-19~)
2018年、60m€の移籍金でマージーサイドにやって来たケイタは、ギニアの首都コナクリに程近いコレヤという街で育った。16歳の頃にフランスへトライアルに出向き、ストリートとは打って変わって戦術的に高度にオーガナイズされたサッカーに衝撃を受けながらも、プロ契約を勝ち取った。その後レッドブル系列の2チームを渡り歩き、リバプールに移籍。
着実なステップアップを果たしてきた彼だったが、リバプールでは今ひとつ期待に応え切れていない。
まず、度重なる負傷離脱によって4年間で116試合6000分の出場に留まっている。これに関しては昨シーズンのプレータイムは2000分を超えており、さらに負傷離脱の理由もマンチェスター・ユナイテッド戦で受けた危険なタックルという外部要因であることからある程度の改善が見られる。
リバプールの中盤でも屈指のドリブル技術を活かした突破、昨季終盤のニューカッスル戦で見せたようなMFらしからぬ細かなタッチから生まれるゴールなど、時折見せる鮮やかなプレーは期待に応えている部分と言えるだろう。しかし、これらの技術もコンディションに左右される部分が多く、安定感に欠けるのも事実。さらに、相手を抜き去るなど得意の技術を見せた後のプレー選択には改善の余地アリ。状況判断が適切ではないために自分で作り出したせっかくのチャンスを潰してしまう場面が見られる。相手守備の綻びを狙うようなプレースタイルであるからこそ改善すべき点だ。守備面はプラスアルファでインテリジェンスに磨きをかけ、より適切なポジショニングを身につけて欲しいと感じるものの、持ち前の機動力を活かしたプレス、ボール奪取などは比較的安定して発揮できている強みと言えるだろう。
改善点はあるものの、特に昨季からはチームに必要な存在となっているケイタ。契約満了が近づいていることもあり去就が取り立たされている。リバプールが今のところ中盤を補強していないことからも、22-23シーズンは彼にとって最大の正念場と言えるのではないだろうか。
スティーブン・ジェラード
- 名前:Steven Gerrard
- 生年月日:1980年5月30日
- 身長:183cm
- 国籍:イングランド
- クラブキャリア:リバプール/ENG(98-99~), ロサンゼルス・ギャラクシー/USA(14-15~15-16)
ジェラードはマージーサイド州ウィストンの生まれ。KOPの父の元、幼少からリバプールに親しみながら育ち、9歳からリバプールのアカデミーに所属。その才能を存分に発揮し、18歳にしてトップチームデビューを果たした。00-01シーズンにはレギュラーとしてカップトレブルを達成。03-04シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを受け継ぎ、リバプール史上最高のキャプテンとしてキャリアを歩み始めた。
04-05シーズン、チャンピオンズリーグでグループステージ敗退の危機にあったリバプール。アンフィールドで迎えたオリンピアコス戦、試合終了間際にジェラード自らがミドルシュートを叩き込みチームを決勝トーナメントに導くと、勢いそのままにリバプールは決勝まで勝ち進んだ。ファイナルでは前半3点のビハインドをジェラードのゴールを反撃の狼煙に跳ね除け、PK戦の末勝利。かの有名な「イスタンブールの奇跡」で欧州中にセンセーションを巻き起こした。このビッグイヤーはジェラードのものと言っても過言では無い。
続く05-06シーズン、決勝で自身の2ゴールで2度同点に追い付き、FAカップを制覇。試合終了間際に35M付近から突き刺した弾丸ミドルは今なお色褪せない伝説のゴールである。このシーズン、ジェラードは53試合出場23ゴールをマークし、PFA年間最優秀選手賞を受賞した。これはリバプールの選手としてジョン・バーンズ以来となる快挙だった。
その後もフェルナンド・トーレスとの共演など印象深い活躍は続くが、自身も怪我に苦しむことが増え、チームはタイトルからは遠ざかった。11-12シーズン、ケニー・ダルグリッシュの元でリーグカップを制すが、これがジェラードにとってリバプールで最後のタイトルとなった。14-15シーズンをもってリバプールを離れることを決断。710試合出場186ゴールの輝かしい成績を残し、LAギャラクシーに移籍している。
彼の選手としての特徴はなんと言っても強烈なミドルシュートだろう。長い手足と体をバネのようにしならせて放つ、糸を引くようなシュートは数多のゴールを奪ってきた。当然、中盤の選手としては得点数がかなり多い。正確かつ強烈なキックはロングレンジのパスにも生かされ、ボランチの位置から試合を展開することも出来た。05-06シーズンFA杯決勝の1点目、ジブリル・シセに供給したロングパスはその最たる例と言える。守備面にも優れ、闘志あふれる強烈なタックルでボールを回収する姿は観客を虜にした。
ジェラードを英雄たらしめているのは前述の実績や選手としての能力だけでは無い。周りからの尊敬を一身に集める強靭なメンタリティ、サポーターの心を鷲掴みにする彼のストーリー、そしてクラブへのロイヤリティである。世界的にも優れた活躍を見せた彼は何度も移籍の噂が立ったが、結果的に移籍をする事なくワンクラブマンを貫いた。どんな困難な状況にあっても諦めず臆することも無く、キャプテンとして周囲を鼓舞し続け、幾度となくチームを大逆転に導いてきた。そして何より、彼は誰よりもリバプールを愛していた。幼少からKOPとして育ち、リバプールでプレーすることを夢見て歴代最高の選手に上り詰めた彼は、リバプールの背番号8を特別なものたらしめている。
ジェラードは引退後、監督としてのキャリアを歩み始めた。スコットランド、レンジャーズを率いて指揮官としての才覚を示すと、2021年11月にはアストン・ヴィラを率いている。彼が再びアンフィールドに降り立つ日はそう遠く無いのかもしれない。
LEGEND.
— Liverpool FC (@LFC) May 20, 2021
🔴 Steven Gerrard deservedly takes his place in the #PLHallOfFame 🤩
So proud of you, Stevie 👏 pic.twitter.com/QM10M8Tmlp
エミール・ヘスキー
- 名前:Emile Heskey
- 生年月日:1978年1月11日
- 身長:188cm
- 国籍:イングランド
- クラブキャリア:レスター・シティ/ENG(94-95~), リバプール/ENG(99-00~), バーミンガム・シティ/ENG(04-05~), ウィガン・アスレティック/ENG(06-07~), アストン・ヴィラ/ENG(08-09~), ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツ/AUS(12-13~), ボルトン・ワンダラーズ/ENG(14-15~15-16)
ヘスキーはレスターシャー州レスターの出身。プロとしてのキャリアもレスター・シティからスタートした。恵まれた体格による高い空中戦での勝率や機動力を武器に得点を重ね、チームの1部昇格やリーグカップ優勝などに貢献。2000年に当時の歴代最高額でリバプールにやって来た。当初は移籍金に見合う活躍をするのかが不安視されていたが、マイケル・オーウェン、ロビー・ファウラーらと共に活躍し三冠の達成などに貢献。2004年にハムストリングを負傷し離脱すると、ミラン・バロシュとポジション争いをするようになった。バロシュも離脱したこともあり復帰後はスタメンの座に返り咲いたが、このシーズンをもってリバプールを退団。223試合に出場し60ゴールの記録を残している。
その後はイングランドのクラブを転々とし、ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツでは同時期にAリーグに在籍したデル・ピエロと共にオーストラリアサッカーを盛り上げた。2014年に現役を退いた後、2021年からレスターの女子チームを指揮している。
オイビンド・レオナルドセン
- 名前:Öyvind Leonhardsen
- 生年月日:1970年8月17日
- 身長:177cm
- 国籍:ノルウェー
- クラブキャリア:モルデFK/NOR(89-90~), ローゼンボリBK/NOR(91-92~), FCウィンブルドン/ENG(94-95~), リバプール/ENG(97-98~), トッテナム・ホットスパー/ENG(99-00~), アストン・ヴィラ/ENG(02-03~), FKリン/NOR(03-04~), ストレームスゴトセトIF/NOR(05-06)
レオナルドセンはノルウェー南西部、クリスティアンスンに生まれた。地元のクラブであるモルデFKでプロデビュー。頭角を表すとノルウェーの強豪であるローゼンボリに移籍し、リーグ優勝3回を経験している。1994年からイングランドに活躍の場を移し、1997年にはノルウェー年間最優秀選手賞を受賞。
その活躍が認められ、1997年にリバプールに移籍。リバプールは幼い頃から憧れのクラブだったという。リバプールでは37試合7ゴールとまずまずの記録を残したものの、2年間でマージーサイドを去ることとなった。その後はイングランドのクラブを転々とし、ノルウェーのクラブで選手生活に幕を下ろした。
W杯フランス大会ではノルウェーをベスト16に導いている。
スタン・コリモア
- 名前:Stan Collymore
- 生年月日:1971年1月22日
- 身長:188cm
- 国籍:イングランド
- クラブキャリア:クリスタル・パレス/ENG(91-92~), ノッティンガム・フォレスト/ENG(94-95~), リバプール/ENG(95-96~), アストン・ヴィラ/ENG(97-98~), フルハムFC/ENG(99-00~), レスター・シティ/ENG(99-00~), ブラッドフォード・シティ/ENG(00-01~), レアル・オビエド/ESP(00-01)
コリモアはウォルバーハンプトンのアカデミー出身。ノッティンガム・フォレストで94-95シーズンに22ゴールを決めチームの3位フィニッシュに貢献。活躍が評価されリバプールに移籍した。加入当初はイアン・ラッシュ、ロビー・ファウラーらと共に活躍した。特にファウラーとのコンビネーションには目を見張るものがあったといい、95-96シーズンには2人で55得点をマークしている。1995年4月3日のニューカッスル戦では、リーグ優勝がかかった大一番でロスタイムに逆転弾を決めた。この試合はリバプールの公式Twitterでも度々プレイバックされている。なお、このシーズンは最終的にマンチェスター・ユナイテッドに優勝を奪われ苦汁を嘗める結果となっている。この後、リバプールのリーグ優勝は記憶に新しい19-20シーズンまでお預けとなる。
初年度は活躍を見せたコリモアだったが、次の年からはマイケル・オーウェンの台頭に取って変わられ、徐々に出場機会を失って退団した。その後イングランド国内を渡り歩き、スペインでキャリアに幕を下ろした。彼は1999年からうつ病を患っていることを公表しており、自身のTwitterでしばしば病への認識を高める発信をしている。
余談だが、2000年2月にスペインでの休暇で酔って消火器を作動させ、チーム全体がリゾート地から追放されたことがある。
"Collymore closing in!" ⚽ pic.twitter.com/sKyQrlHa0R
— Liverpool FC (@LFC) January 22, 2017
ジェイミー・レドナップ
- 名前:Jamie Redknapp
- 生年月日:1973年6月25日
- 身長:183cm
- 国籍:イングランド
- クラブキャリア:ボーンマス/ENG(89-90~), リバプール/ENG(91-92~), トッテナム・ホットスパー/ENG(02-03~), サウサンプトン/ENG(04-05)
従兄弟にフランク・ランパード、父にハリー・レドナップを持つ彼はハンプシャーの生まれ。サッカー一族で知られる家に生を授かり、幼い頃からサッカーに親しんで育った。父が監督を務めていたボーンマスで16歳にしてデビュー。17歳の時に、当時10代の選手として最高額となる35万ポンドでリバプールに移籍してきた。着々と力を付け、グレアム・スーネスの元で中盤のレギュラーに定着。1995年のリーグカップ優勝に貢献した。99-00シーズンにはキャプテンマークを腕に巻くこととなったが、このシーズンの大半を膝の負傷で欠場。レドナップはこの頃から度重なる怪我に悩まされ始める。00-01シーズンの三冠達成時にも怪我によって多くの試合には出場できなかったが、キャプテンとしてチームを支え続けた。残念ながらその後も怪我による離脱が目立ち、2002年にトッテナムへと移籍。最終的に父親の指揮するサウサンプトンでキャリアに終止符を打った。デビュー、引退の両方を父親の元で経験した事になる。
現在はSky Sportsの解説者として活動。デイリー・メールにも記事を寄稿しており、引退した今もサッカー界に影響力のある人物である。
余談だが、彼がイングランド代表としてデビューしたコロンビア代表としての親善試合、彼のクロスはレネ・イギータによるかの有名な「スコーピオンキック」で跳ね返されている。イングランド代表公式Youtubeで公開されているので、興味のある方は下記のリンクからどうぞ。
Goalkeeper René Higuita’s Incredible Scorpion Kick | From The Archive
ポール・スチュアート
- 名前:Paul Stewart
- 生年月日:1964年10月7日
- 身長:178cm
- 国籍:イングランド
- クラブキャリア:ブラックプール/ENG(81-82~), マンチェスター・シティ/ENG(86-87~), トッテナム・ホットスパー/ENG(88-89~), リバプール/ENG(92-93~), サンダーランド/ENG(96-97), ストーク・シティ/ENG(97-98~), ワーキントン/ENG(98-99~99-00)
スチュアートはマンチェスターの生まれ。ブラックプールのアカデミーで頭角を表し、そのままトップチームに昇格した。当初は中盤と前線の両方でプレーするユーティリティプレイヤーだったが、監督がサム・エリスになってからはセンターフォワードに専念するようになる。本領を発揮しゴールを量産したスチュアートは1987年、20万ポンドで当時2部のマンチェスター・シティに移籍。チームを昇格させることが期待されたが、それは叶わなかった。個人としての活躍は認められトッテナム・ホットスパーに移籍。スパーズで再び中盤でのプレーも増加した。1992年にリバプールにやってきたが、この頃から怪我に悩まされることが増える。初年度は24試合1ゴールに終わり、その後はコンディション不良でプレータイムすら確保することはできなかった。93-94シーズン以降、在籍こそしていたもののローンを繰り返しており、リバプールの選手としては一度も出場していない。その後はサンダーランドで1部昇格に貢献し、ワーキントンでキャリアを終えている。
2017年には「Damaged」というなんとも意味深なタイトルの自伝を発売している。
背番号固定制について
ここまで紹介してきたのは、1993-94シーズンに背番号固定制が導入されて以降に8番を背負った選手たちである。この制度が導入される以前は1~11番を付けた選手が試合に出場するシステムだった。そのため、本来の8番の選手が何らかの理由で欠場する際には、リザーブメンバーもしくはコンバートされた代役の選手が8番を付けて出場した。
背番号固定制導入前の選手を全員紹介すると前述の制度の都合上、膨大な数になってしまうので、ここからは8番として名を馳せた、特に有名なレジェンドを紹介するに留めたいと思う。
ロジャー・ハント
- 名前:Roger Hunt
- 生年月日:1938年7月20日
- 身長:175cm
- 国籍:イングランド
- クラブキャリア:リバプール/ENG(59-60~), ボルトン・ワンダラーズFC/ENG(71-72)
ランクシャー出身のハントはリバプールでプロキャリアをスタートした。監督が名将ビル・シャンクリーに代わるとレギュラーに定着し、イアン・セント・ジョンとのコンビで得点を量産。61-62シーズンには41試合41得点を記録し、リバプールを1部昇格に導いた。彼の在籍した期間、リバプールは63-64と65-66シーズンの2回ディビジョン1(現在のプレミアリーグにあたる)を制しており、ハントはどちらのシーズンも得点王に輝いている。
1968年にはゴードン・ホジソンの記録を抜き当時のクラブ最多得点者となった。この記録はイアン・ラッシュが現れるまで破られていない。計492試合に出場し285ゴールを記録したが、世代交代の波に飲み込まれ、1971年にリバプールを去った。イングランド代表としても活躍し、1966年のW杯で同国が優勝した際には主力選手としてプレー。6試合出場3得点と活躍している。
ハントは2021年9月27日に息を引き取っている。83歳だった。生前に残した彼の偉大な記録はこれからも語り継がれてゆくことだろう。
Rest in peace, Sir Roger Hunt ❤️ pic.twitter.com/A1tJYWuioW
— Liverpool FC (@LFC) October 3, 2021
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