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プレミアリーグにVARが導入されてから今季で2シーズン目となるものの、判定を巡る論争は尽きる気配がない。リバプールにおいてもマージーサイドダービーでの劇的ゴール取り消しをはじめ、波紋を呼ぶ事象が続いている。しかし、多くの判定はフットボールをよりフェアなものにしている(はずだ)。VARの介入により被った”不利益”からくる憤りを即座にVAR不要論に変換しても仕方がない。主にオフサイドの判定にまつわる事例から、VARが嫌われる要因として「判定までの経緯や映像の伝わりにくさ」と「損失回避性による不快感」を挙げて考察する。本記事がVARにまつわるストレスを解消し、フットボールをより楽しむ助けになれば幸いだ。
VARについておさらいと今季の事象の振り返り
そもそも、VARの哲学とは「最小限の干渉による最大の利益」である。したがって、介入できる事象が「①ゴール②ペナルティキック③一発退場④人違い」の4つに限定されている。これらの事象に関する「はっきりとした明白な間違い」もしくは「見逃した重大な事象」が認められた際に介入ができると定められている。「明白な間違い」とは言い難いと思いきや、「事象の見逃し」による介入であるケースには注意が必要となる。
20-21シーズンのリバプールのゲーム中に、VARの介入により判定が覆った事象は以下の6つ(ESPNより)。
- チェルシー戦:マネを倒したクリステンセンのファールがDOGSOと判定され一発退場。
- エバートン戦:ヘンダーソンの劇的弾はラストパスを供給したマネがオフサイドポジションにいたとして認められず。
- シェフィールド・ユナイテッド戦:ファビーニョが犯したファールは当初FKの判定であったが、エリア内での事象と認められペナルティキックを献上。
- 同ゲームでのサラーの得点もオフサイドにより取り消された。
- ウェスト・ハム戦:ジョタの得点の直前でマネとGKの交錯がファールとみなされノーゴールに。
- マンチェスター・シティ戦:ゴメスの与えたペナルティキックはオンフィールドレビューの後にハンドリングを取られたもの。
リバプールはエバートン戦から4試合連続でVARの介入後にゴールの取り消しやペナルティを与えている。特に話題となったのはやはりエバートン戦での判定だろう。上記のシーンに加え、エバートンのGKピックフォードのファンダイクへのチャレンジはVARによる介入がなされるべきであったとの声もある。
ダービーマッチでの2つの事象
それでは、最も物議を呼んだグディソンパークでの一戦を例に振り返ろう。対象とするのはファンダイクが負傷したシーンとヘンダーソンのゴールシーン。
ファンダイクとピックフォードの交錯シーン
まずは、CKのこぼれ球を拾ったファビーニョがボックス内に再び送り込んだボールにファーサイドで反応したファンダイクとピックフォードが接触したシーン。ピックフォードはボールにチャレンジできておらず、右膝を挟み込むようなタックルであった。接触はPKに値するものであったが、ファンダイクが僅かにオフサイドポジションにいたことから、エバートンの間接FKからゲームは再開された。しかし、ピックフォードのプレーが退場に値するものであったとすれば、オフサイドか否かに関わらずレッドカードを提示することが可能。マイケル・オリバーによるノーカードの判定が「はっきりと明白な間違い」でも、接触について何らかの見落としもないと判断されたと考えられるが、VARがオフサイドのチェックに気を取られ、レッドカードが提示される可能性を確認し損なったとの指摘もある(PL公式での元レフリーの見解は前者)。
Embed from Getty Images幻となった決勝ゴール
そして、今シーズンも度々論争となるオフサイド問題について。まずはオフサイドと改正されたハンドの反則について確認する必要がある。
Factual decisions such as whether a player is onside or offside, or inside or outside the penalty area, will not be subject to the clear and obvious test.
from Premier League “VAR Principles Explained”
とあるように、オフサイドが“事実”を基に判定を下されることは周知の事実だろう。FIFAのVARプロトコルでも「オフサイドはオフサイド」とみなし、そこに議論の余地はないとしている。つまり、現状のプロトコルではほんの僅かな差でオフサイドとなった判定について、審判団に批判を向けても仕方がないだろう。ちなみに、シェフィールド・ユナイテッド戦でのPK献上も同様にエリア内か否かの”事実”を基準としてジャッジされた(この事象についても接触そのものがファールであったかの確認についての有無を巡る情報が複数ある状態となっているが…)。
Embed from Getty Images判定は妥当だったのか?
続いて、競技規則より2箇所を引用する。
競技者は、次の場合、オフサイドポジションにいることになる:
◦ 頭、胴体、または足の一部でも、相手競技者のハーフ内にある(ハーフウェーライン を除く)
◦ 競技者の頭、胴体、または足の一部でも、ボールおよび後方から2人目の相手競技者 より相手競技者のゴールラインに近い場合「サッカー競技規則2020/21 11条 – オフサイド 1. オフサイドポジション」より (太字は筆者による)
ゴールキーパーを含むすべての競技者の手および腕は含まれない。
ハンドの反則を判定するにあたり、腕の上限は脇の下の最も奥の位置までのところとする 。
「サッカー競技規則2020/21 12条 – ファウルと不正行為 1. 直接フリーキック - ボールを手または腕で扱う 」より
上記より、プレーが可能である「脇の下の最も奥の位置より下の部分」以外が出ている場合はオフサイドポジションにいると判断される。しかし…
「いやその部位どこやねん!」
という状態なのは筆者だけではないはずだ。訳の問題かと思い念のため英語版を確認しても” the upper boundary of the arm is in line with the bottom of the armpit”とやはり「脇の下の最も奥の位置」が指す位置をさっぱり理解できないので図での解説を紹介する。
以上を踏まえると、ファンダイクとマネは僅かながらオフサイドポジションでプレーしたと言えるため、納得いかなくともオフサイドの反則が適用される。
それでも多い不満への所感
「フットボールはミスのスポーツなので~ 」
完璧を目指すのではなく、重大な間違いを予防するというVARの方針は主張と矛盾するものではないと思います。ロースコアな競技性が故に1度の審判の間違いにより勝敗が決する可能性が高く、これを防ぐことはゲーム性の担保も期待できるのではないでしょうか。
「フットボールは死んだ」
少なくとも、この記事を読んでくださっているあなたの中では生き続けているようです。
Embed from Getty Images映像のコマ数の問題について
きわどく認められたゴールについても同じことが言えるのではないでしょうか。「そこまで細かく見ることに意味があるのか?」という疑問の、どこからが”細かく”なのかを定義できない問題にぶつかります。そもそも、細かくチェックすることへの批判として「コマ数が多ければ分からない」と更に細かな要求をしているのは不思議に思います。プレーごと、試合ごとで”細かさ”の基準がブレるよりは現状の確認できる映像からチェックする運用の方がフェアだと考えます。
VARの恩恵について
得点の取り消しばかりが取り沙汰されるが、19-20のチャンピオンズリーグでバイエルンが披露したセンセーショナルなパフォーマンスはVARによる恩恵を受けたと言えるでしょう。異様なまでに高いライン設定は、オフサイドの見逃しがなくなったことでハイリスク&ハイリターンな戦術の選択がより有用になったことも関連しているでしょう。出し抜かれた場合は確実にチャンスを与えることとなるが、ゲームを制圧することで守備の機会そのものを減らすことに成功し欧州の頂点に立った。またリバプールにおいても、特にセットプレー時のライン設定は昨季から高く設定されたことも無関係とは言い切れないだろう。
Embed from Getty Imagesそれでも何故、VARによるオフサイドチェックは嫌われるのか
さて、ここでようやく序盤で触れた考察に戻り、VARがひんしゅくを買い続ける理由を考える。
判定までの経緯や映像の伝わりにくさ
視聴者が目にする映像の問題
以下の画像ではオフサイドと判定されたランドストラムに引かれた赤い線に、ダイア―の頭部がかかっている事が見て取れる。
しかし、視聴者が観ている試合の映像では実際に起きた事象を伝えきることができない。これについてはThe Athleticによる ”Explained: Why the VAR images you’re seeing are not what’s really happening” が詳しい(画像も同記事より参照)が、オフサイドを判定する際の情報として視聴者には見えていない情報や順序として以下のようなものがある。
- ピッチをさまざまな角度から「マッピング」することで生成したモデルを活用することで、真横からの映像がなくても正確に位置を選択できる
- HDスクリーンでレビューは行われる。また、判定のために使用されるラインの厚さは1ピクセル
- ラインの位置の決定後に、視聴者のための太いライン(普段目にするもの)が生成される
主審とVARのやりとり
ファンダイクのケースのような複数の入念なチェックが求められるようなシーンで、全てが正式に行われたか不透明となっている。確認の有無についてはメディアによっても見解別れており正しく運用されたか否かの判断を難しくしている。
判定までに時間がかかりすぎる
先ほど取り上げたトッテナムとシェフィールド・ユナイテッドの事例では、確認に3分47秒が費やされたように、ミリ単位の判定のために競技の魅力を損ねているとの指摘も多い。だが、この問題についてはそう遠くない将来に更なるテクノロジーが解決する日がくるかもしれない。FIFA曰く、最終的な判断を下す権限は審判に委ねたまま、ゴールラインテクノロジーのような判断材料を即時に与えるツールとしての実用化を目標としているようだ。
損失回避性による不快感
このような「判定までの経緯や映像の伝わりにくさ」により不信感を募らせる人は多いかもしれない。しかし、VARが度々反感を買ってきた大きな理由は「単に得点が取り消される気に入らない」からではないだろうか。 ここまで長々と競技規則等を参照してきたのに、である。「得点・失点共に同じ基準でオフサイドを判定されるのでフェア」なんて理屈は通用しない。フェアなんぞ誰も求めておらず、とにかく損をしたくないという認知的なバイアスが働くためVARは嫌われているのかもしれない。
ここで2つの簡単な質問でどちらの選択肢を選ぶか考えていただきたい。質問事項や解説は大竹文雄の『行動経済学の使い方』(岩波新書)を参考にした。
質問① A コインを投げて表が出たら2万円もらい、裏が出たら何ももらわない。 B 確実に1万円もらう。 質問② C コインを投げて表が出たら 2 万円支払い、裏が出たら何も支払わない。 D 確実に1万円支払う。
この実験をご存知の方も多いかもしれないが、質問①ではBを選び、質問②ではCを選ぶ傾向にある。①では選択肢のどちらも1万円の利得、②では1万円の損失である。期待値が同じのため、①でBを選んだリスク回避的な人は②でDを、Aを選んだリスク愛好的な人はCを選ぶのが合理的だ。にも関わらず、多くの人が利得が得られる場面ではその機会が失われることを回避し、損失が生じる場面ではリスクを負ってでもそれ自体を避けようとする傾向にある。なぜなら、人間は「利得よりも損失を大きく嫌う」ようにデザインされているからだ(損失回避性)。
話をフットボールに戻し、「利得=得点/失点の取り消し」、「損失=失点/得点の取り消し」と置き換えてみる。損失回避性により 利得の喜びよりも損失の悲しみのほうが大きいため、VARの介入後の得点を取り消し(損失)は、同様に失点を免れた(利得)場合よりも過大評価され、より大きな不快感を伴う。したがって、フェアな基準で下された判定でも感じる価値に歪みが生じているのではないか。また、失点が取り消された場合でも「認められるべきでない相手ゴールが認められなかった」という当然結果に落ち着いたという認識となり特段VARに恩恵を感じないことに違和感はない。
おわりに
本記事では判定の度に巻き起こるVAR批判について、”細かすぎる”オフサイドにまつわるものを中心に考察した。あくまでも個人的な見解やリサーチに基づくものであり、認識の誤りや意見、感想あれば共有をお願いしたい。
VARにより行われたレビューのプロセスや確認で使用される映像等を即座に取得できない視聴者にとって不明瞭さこそ感じるものの、(正式なプロセスを経たと仮定し)判定された「オフサイドはオフサイド」という一貫した基準は限りなくフェアだと言えよう。ところが、賑わうTwitterでは得点を取り消されたという損失へ憤りが目に付き、同じく失点回避という恩恵の可能性については意図せずとも過小評価されているように思われる。この無意識のなかの利己的な価値判断がVAR嫌いに結びついているのかもしれない。
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