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あの日、僕は泣いていた――。
もう、7年以上も前の話だ。はっきりとした日は覚えていない。ただただ泣いていた。今思えば、泣き喚いていたかもしれない。僕はそのとき、もう間もなく中学生になろうとしている小学6年生だった。
泣いていた理由は、大好きな選手の移籍だった。その選手は、フェルナンド・トーレス。リバプールFCのアイドルだった彼は、当時のプレミアリーグ史上最高額となる5000万£を置き土産に、ライバルクラブのチェルシーへと移籍した。
青天の霹靂?そうではない。トーレスが移籍するかもしれないという話はずっと聞いていたから。悲しくて、辛くて、やるせなくて、泣いていた。とにかく、なぜ?という気持ちだった。
今思えば、仕方なかったのだ。起こるべくして起きた移籍劇だった。トーレスの最大の目標だったCL制覇は、出場すらままならないリバプールでは叶わなかっただろう。シャビ・アロンソ、ハビエル・マスチェラーノと、ワールドクラスの選手を次々と売却してしまっては、クラブの野心を疑われても仕方がない。上層部は彼を手放したくないという思いこそあれど、5000万£を提示されてしまっては首を縦に振るしかなかった。
スティーブン・ジェラードと並ぶクラブの象徴とも言えたトーレス(ジェラードと共にプレーしながら人気を二分した選手は、自分の知る限りトーレスだけだ)。プレミア初年度であげた24ゴールは外国人選手の最多記録で、リーグ戦での50ゴール到達もクラブ史上最速だ。どちらも未だに破られていない(もっとも、後者の記録はモハメド・サラーに塗り替えられそうだが)。
マンチェスター・ユナイテッド戦で決めた、ネマニャ・ヴィディッチを弾き飛ばしたゴールも、リオ・ファーディナンドを左手一本でいなして決めたゴールも、脳裏に焼き付いて離れない。あの頃は、トーレスはずっとリバプールでプレーしてくれる、永遠に輝いていてくれる存在だと思っていた。本当に幼かったと思う。
あの頃はネットに疎かったので、リアルタイムでリバプールの情報を入手出来ていなかった。だから、把握していたのは当時のリバプールの状況は最悪で、タイトルが欲しかったトーレスはそんなリバプールを見捨てるように去ったということだけ。暗黒期ともされるあの時、縋る存在だったトーレスの移籍はKOPの心を砕くのには十分だった。
それでも僕は、トーレスを嫌いにはなれなかった。「イスタンブールの奇跡」でリバプールというクラブを知った僕を、完全にリバプールの虜にしたのはトーレスの存在。上手くて、速くて、かっこいいトーレスは僕だけでなくKOPたちみんなのアイドルで、それだけに彼の移籍に怒りを覚えたKOPも多かったのは理解している。彼のユニフォームを燃やす動画を見て、現実を知った。
繰り返すようになるけど、それでも僕は嫌いになれなかったし、もっと言えばトーレスのことを好きなままだった。リアルタイムで詳細な情報を手に入れることができなったのが不幸中の幸いだったのかもしれない。そもそも、当時の僕のキャパシティはトーレスの移籍によるショックだけでいっぱいいっぱいで、移籍の真相なんて知っていられるか、という感じだった。
チェルシーに移籍してもトーレスを好きでいれた理由は、彼がチェルシーでリバプール時代を上書きするような活躍が出来なかったからだと思う。赤いユニフォームを纏って煌めいていた彼が、青いユニフォームでは憂鬱そうだったのが救いになっていた。
それでも、彼がCL優勝という名誉を得たときは、素直に祝福する気持ちになれていた。移籍してからそれなりに日が経っていたし、CL獲りたいって出ってたんだから優勝して来いよ、という気持ちでもいたからだ。
さて、プレミアに限れば彼はチェルシーでリバプール以上の試合に出場しながら、ゴールはわずか1/3しか決めていない。ロンドンで輝けなかった彼は、半ば戦力外の形でACミランにローンで移籍したけど、イタリアの地でも最盛期のフォームを取り戻すことは出来なかった。
だから、トーレスが彼の心のクラブであるアトレティコ・マドリードに復帰したときは嬉しかった。ここでなら彼はまた輝けると思ったから。そして、アトレティコでのラストシーズンで、ELのタイトルを獲ったときは本当に嬉しかった。彼はまだアトレティコでタイトルを獲得していなかったから、心底嬉しかったのは間違いない。
――そして今、二十歳になった僕はまた泣きそうになっていた。
今回もまた、トーレスの移籍でだ。トーレスがJリーグのサガン鳥栖に移籍した。トーレスが日本でプレーするなんて、未だに信じられないし、どんな夢だ?と思っている。
“エル・ニーニョ” と呼ばれ、美しい金髪をなびかせながらアンフィールドを疾走する9番との思い出は今も色褪せず美しいまま。アトレティコのサポーターには申し訳ないけど、彼の最盛期はリバプール時代だったと思っているし、そんな彼をリアルタイムで観ることが出来て僕は幸せだった。
トーレスのお陰で、リバプールの存在が自分の生きる理由になった。前述の通り「イスタンブールの奇跡」によって、リバプールが気になる存在だったのは間違いない。でも、心のクラブになった理由はトーレスだ。そんな彼が日本でプレーすることを選んでくれたことを、日本人として誇らしく感じている。
さて、僕はJリーグでは地元の清水エスパルスを応援している。そんなエスパルスは8月1日にホームの日本平でサガン鳥栖を迎えた。この日、一番見たかったトーレスは先発だった。もちろん自分はエスパルスのユニフォームを着て、ホームのゴール裏でエスパルスの応援をしていたけど、トーレスをこの目で見ることができて本当に幸せだった。写真は、2F自由席だから遠くて全然良いのを撮れなかったけど。
サガン鳥栖には本当にありがとうと言いたい。日本人のリバプール・サポーターとして、トーレスが日本でフットボールを楽しく出来ることを願っている。
あとがき
柄にもない記事を書いて、こういった記事を書くのに自分は向いてないと実感しました。実はこの記事は移籍が発表された数日後にはすでに完成していたのですが、自分が書きたかったものとはかけ離れていて正直出すかどうか迷いました。迷いは、「恥じらいの現れ」でしかないのですが…。
しかし、先週日本の地でプレーするトーレスをこの目で見て、より多くの人にスタジアムに足を運んでトーレスをその目で見て欲しいと思い、投稿する決心をしました。稚拙な記事になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
心に触れる良い記事でした。いつも更新ご苦労様です。
ありがとうございます。これからも頑張っていきます(^^)