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1月31日、Liverpoolはアンフィールドでニューカスルに4-1と快勝し、2026年プレミアリーグ初勝利を飾った。更に、アンフィールドでのプレミアリーグの試合で、先制されて逆転勝利を収めたのは昨季の優勝を決めたトットナム戦(5-1)以来と、今季の苦戦を切り返すための明るい要素が見えた試合となった。その試合で、全国メディアがこぞって取り上げたのは、ウーゴ・エキティケの2ゴール目が、2007年のフェルナンド・トーレスのデビューゴール(対チェルシー、試合結果は1-1)と酷似しているということだった。
さらに踏み込んで、トーレスが2007年から2011年までにスティーブン・ジェラードと絶妙のコンビでゴールしまくった記録を引用し、エキティケとフロリアン・ヴィルツを「ジェラード&トーレスの再来」と表現する見出しが飛び交った。エキティケの1点目はヴィルツのアシストで、この二人がアシストし合って決めたゴールは6となり、プレミアリーグのコンビ・ランキング首位を独走していた。
実際に、Liverpoolファンの間では、シーズン開幕早々からエキティケをトーレスと比較する議論が出ており、ヴィルツとのコンビをジェラード&トーレスを彷彿させるという意見もしきりに交わされていた。二人の数字が上がったことで、全国メディアの視点がファンの見解に追いついたわけだった。
二人で登場した試合後のインタビューで、エキティケは、「彼と一緒に試合している時は、僕はスペースめがけて走る。彼が僕にボールを出してくれることが分かっているから」と、ヴィルツとの阿吽の呼吸について語った。
これを聞いて、ベテラン・ファンが、「ケビン・キーガンとジョン・トシャック」と唱えた。Liverpoolの黄金時代を作った1971-77年に、イングランド・フットボール界を一世風靡した絶妙のコンビで、1960年代後半の人気TVシリーズにちなんで「バットマン&ロビン」と称された程だった。今のヴィルツ&エキティケは、キーガン&トシャックのように、テレパシーで動いているように見えた。
折しも、BBCの人気スポーツプレゼンターであるケリー・サマーズのインタビュー・シリーズで、ヴィルツが語った話が話題になったところだった。10人兄妹の末っ子として生まれ育ったヴィルツは、子供の頃はお姉ちゃんの後ろに隠れているシャイな子だったという。お父さんは地元のアマチュア・クラブのチェアマン兼コーチで、ヴィルツはお父さんの指導下でフットボールを始めた。その頃から既に才能は明らかで、プロのクラブのアカデミー・チームに入るようお父さんに言われたヴィルツは、FCケルンに決めたが、性格がシャイだったために新しい環境に行くのは気が進まなかったという。
そのヴィルツは、レバークーゼンでプロ生活を開始し、17歳でデビュー、19日後にはブンデスリーガ史上最年少のゴールスコアラーとなった。2023-24季には無敗でクラブ史上初のブンデスリーガ優勝という快挙を成し遂げ、2025年夏には22歳で外国であるプレミアリーグ行きを自ら決意したのだった。「自分が選手としてより成長するために、Liverpoolはベストだと思った」と、ヴィルツは語った。
ヴィルツの新たなチャレンジはいばらの道で始まったことは誰もが知るところだった。007(※デビューから7試合で0ゴール0アシスト)などと揶揄された時期もあった。「自信を失わないことが大切だと思った。ドイツでは良く出来たのだから、プレミアリーグに来たらいきなり悪い選手になるということはあり得ない。リーグは違ってもフットボールは全く違うわけではないのだから、自分に自信を持って努力し続ければ必ず出来ると自分で自分に言い聞かせた」と、ヴィルツは語った。加えて、プレミアリーグの体力的に厳しいディフェンダーに打ち負かされないために、ひたすらジムで働いて筋肉を2.5kg増強したという。
かくして、12月20日のトットナム戦(試合結果は2-1でLiverpoolの勝利)でプレミアリーグでの初アシストを出したヴィルツは、1週間後のウルブス戦(試合結果は2-1でLiverpoolの勝利)で初ゴールを決めた。それから1か月余りで6ゴール6アシストと飛躍的に数字を伸ばし、Liverpoolのクラブ史上最大の名コンビと比較されるに至った。
「Liverpoolに入って良かったと思っている」と、ヴィルツは振り返った。バイエルンミュンヘンから強く誘われていた時に、モー・サラーら多数のLiverpoolの選手たちからメッセージを貰ったという。フィルジル・ファン・ダイクは、勧誘めいたことは一切なく、「来てくれたら嬉しい。君が入ればチームは一層強くなるから」という趣旨で、良い感触を受けたとヴィルツは笑った。Liverpoolに入ってから、リクレーションとしてパデルを始め、ドミニク・ソボスライとミロシュ・ケルケズらと一緒にコート通いしているという。
ウルブス戦で初ゴールを決めた時、「ヴィルツ本人よりもチームメートの方が喜んでいた」と言ったアナリストがいた。子供の頃にはお姉ちゃんの後ろに隠れていたヴィルツは、外国のクラブで努力を重ね、新しいチームメートと公私ともに力を合わせて進んでいた。
いばらの道にいた時に、バイエルンの名誉会長であるカール=ハインツ・ルンメニゲが、ヴィルツの苦戦について執拗ないやみを繰り返した。「サラーやソボスライなどLiverpoolのスーパースター選手たちは利己的だからヴィルツにボールを渡さない」とか、「Liverpoolに入れば背番号10を渡すと言われたから入ったのに、実際は背番号7を付けている」など、純粋な憶測記事を引用したこともあった。
Liverpoolファンは、ルンメニゲの言葉を一笑し、「ヴィルツを取られた悔しさからひがんでいるのだろうが、しかし背番号についてはLiverpoolの伝統を全く知らないと呆れた」と、肩をすくめた。Liverpoolのクラブ史上で最も重要な背番号は、サー・ケニー・ダルグリーシュの7だとは、圧倒的多数のファンが同意するところだった。そして、ダルグリーシュの前任で背番号7を付けていたのがキーガンだった。クラブ史上記録の移籍金で入ってきて背番号7のシャツを着ることになったヴィルツに対して、ファンが抱いた期待は最初から莫大だった。
そして、大きな期待を抱くにふさわしい選手だったということを、ヴィルツはプレミアリーグで宣言し始めた。
*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

















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