リバプールFCの歴代No.5まとめ

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26lover

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お気に入りの選手はロバートソン。正統派SBが好き。 スコットランド代表も追ってます。

この記事では、リバプールの各背番号を背負ってきた選手を掘り下げ、簡単に解説、説明をまとめていく。

第5回となる今回取り上げるのは背番号5。一般的にはCBの選手が背負う番号である。カルレス・プジョルやフランツ・ベッケンバウアー、ファビオ・カンナバーロといった往年の名ディフェンダー達を思い浮かべる方も多いと思う。リバプールでもやはり主にCBの選手たちがこの番号を受け継いできた。

それでは、リバプールでは一体どんな選手たちが5番を受け継いできたのか、遡りつつ紹介していこう。

目次

  1. イビラヒマ・コナテ
  2. ジョルジニオ・ワイナルドゥム
  3. ダニエル・アッガー
  4. ミラン・バロシュ
  5. スティーブ・スタントン
  6. レイ・ケネディ
  7. ロン・イェーツ

イブラヒマ・コナテ

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 名前:Ibrahima Konaté
  • 生年月日:1999年5月25日
  • 国籍:フランス
  • 身長:194㎝
  • キャリア:ソショー・モンベリアル(FRA/16-17~),RBライプツィヒ (GER/17-18~), リバプール(ENG/21-22~)

アフリカ、マリにルーツを持つコナテはリバプールで最も未来ある若手の1人。ソショーでキャリアをスタートさせると、近年優秀な選手を多数輩出しているRBライプツィヒに移籍。ドイツでダヨ・ウパメカノと共に将来を嘱望された若手CBとして名を馳せ、21年にリバプールに移籍した。194cmの申し分ない身長と逞しいフィジカルを合わせ持ち、CBとしての資質は疑う余地がない。加入してからの成長も著しく、その身体的素質に裏打ちされた対人能力は勿論のこと、 SBへのカバーリングやラインコントロール、ポジショニングといった面までそつなくこなすようになった。足元の技術にも大きな不安はなく、現状CBの序列でフィルジル・ファン・ダイクの次につける形ではないだろうか。その成長はクラブ外からも評価される所で、W杯ではややサプライズに近い形でこれまで縁のなかったフランス代表に選出された。

懸念点はやはり怪我によるコンディション不良だ。加入前の評判よりは離脱も少なく、スペ体質と評価するには至らないものの、やはり怪我による離脱はチラホラ。大きな怪我無く順調にキャリアを前進させてくれることを願うばかりだ。

ジョルジニオ・ワイナルドゥム

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 名前:Georginio Wijnaldum
  • 生年月日:1990年11月11日
  • 国籍:オランダ
  • 身長:175㎝
  • キャリア:フェイエノールト(NLD/07-08~), PSV(NLD/11-12~), ニューカッスル(ENG/15-16~), リバプール(ENG/16-17~),パリ・サンジェルマン(FRA/21-22~), ローマ(ITA/22-23~)

リバプールの黄金期を支えた中盤の1人。アンフィールドの奇跡で見せた活躍は記憶に残る所だろう。彼のハードワークに基づいたプレースタイルは2018年頃のリバプールにマッチしており、そのボール奪取能力やプレスバック、2列目からの飛び出しでいわゆるゲーゲンプレスを基調としたユルゲン・クロップのスタイルを体現した。一方で単騎での推進力やロングパスといった攻めの意識にはやや欠けており、少なくとも創造性のあるタイプの選手ではない。

21年にアンフィールドに別れを告げたワイナルドゥム。中盤の人材が枯渇する現状で「延長するべきだったのではないか」との声も上がっている。しかし個人的には逆の考えである。リバプールは年々その戦術を変化させており、彼がフィットしていた18年頃と今では求められる中盤像は変化しつつあるからだ。ポジショナルプレーの潮流に乗り、またチームの完成度が上がり高い保持率を維持したフットボールを指向する今、リバプールに必要なのはチアゴ・アルカンタラのような創造性に秀でたMFである。そういった流れを考えると、彼との別れは適切な時期に、お互いにとって良い格好で行われたのではないかと思う訳である。

パリ・サンジェルマンで適応に苦しんだ彼は今年新天地にローマを選択。しかし不幸にも大怪我を負い、現在リハビリ中だ。クラブの功労者である彼のキャリアがより良いものになることを心から願っている。

ダニエル・アッガー

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 名前:Daniel Agger
  • 生年月日:1984年12月12日
  • 国籍:デンマーク
  • 身長:191㎝
  • キャリア:ブレンビーIF(DEN/03-04~),リバプール(ENG/05-06~),ブレンビーIF(DEN/14-15~15-16)

アッガーはコペンハーゲン郊外の街、ビズオウアの生まれ。ポジションはCB。母国デンマークのブレンビーIFでキャリアを開始すると2006年1月にリバプールに移籍した。加入後数ヶ月はコンディション不良もあり出場機会に乏しかったが、翌シーズンからレギュラーに定着。この06-07シーズンに決めた30m超えのロングシュートは年間最優秀ゴールに選出され、今もなお語り継がれている。

2008年に遅れてリバプールに加入したマルティン・シュクルテルとのコンビも印象深い。2人は同い年であったことなどから特に交友が深いようである。また、2013年には引退したジェイミー・キャラガーに代わって副キャプテンに任命され、精神的にもチームを支える柱となった。活躍の一方で彼のリバプールでのキャリアは怪我との戦いでもあった。07-08シーズンには骨折によって一年を棒に振っている。リバプールで計232試合に出場したアッガーは、ホーム最終戦でゴールを決め有終の美を飾った。クラブ愛が非常に強く、当然サポーターからも愛された選手だ。退団の際にはこれから先もずっとリバプールサポーターであり続けたいという旨のコメントを残している。その後、ブレンビーに戻り、母国でキャリアに幕を下ろした。現在はデンマーク1部HBキューゲで監督として奮闘しているようだ。

デンマーク代表としても75試合に出場し、CBとしては異例の12ゴールをマーク。2010年南アフリカW杯では主力として活躍した。本田圭佑の無回転FKが印象的な日本戦にも先発出場している。

余談だが、アッガーはかなりのタトゥー好きであり、彫り師としての一面を持つほど。拳には YNWAの文字が刻まれており、ここにもクラブへの愛を感じることができる。

画像出典:リバプール公式Twitter

ミラン・バロシュ

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 名前:Milan Baros
  • 生年月日:1981年10月28日
  • 国籍:チェコ
  • 身長:183㎝
  • キャリア:バニーク・オスタラヴァ(CZ/98-99~), リバプール(ENG/01-02~),アストン・ヴィラ(ENG/05-06~), オリンピック・リヨン(FRA/06-07~),ポーツマス(ENG/07-08~), オリンピック・リヨン(FRA/08-09~),ガラタサライ(TUR/08-09~),バニーク・オスタラヴァ(CZ/12-13~), アンタルヤスポル(TUR/13-14~),バニーク・オスタラヴァ(CZ/14-15~), ムラダー・ボレスラフ(CZ/15-16~),スロヴァン・リベレツ(CZ/16-17~),バニーク・オスタラヴァ (CZ/17-18~19-20)

母国のバニーク・オスタラヴァでキャリアを開始。ジェラール・ウリエの目に止まったことでリバプールに加入した。マイケル・オーウェンの移籍やジブリル・シセの怪我が重ねり、フェルナンド・モリエンテスが加入するまでチーム唯一のストライカーとして活躍。04-05シーズンにはシーズン11ゴールをマークしている。イスタンブールの奇跡が起こったチャンピオンズリーグ決勝では先発出場を果たした。モリエンテスの加入後は出場機会を減らし、2005年に退団。その後は様々なクラブを渡り歩き、晩年を母国リーグで過ごした。20年をもってプロの座からは退いているが、41歳となった現在でもFKビガンティスというチームで選手として活動しているようだ。

チェコ代表では93試合41ゴールと得点を量産したバロシュ。ギリシャが優勝した2004年のEUROではチェコもベスト4と躍進。バロシュは大会5ゴールをマークし、得点王に輝いている。

スティーブ・スタントン

画像出典:LFChistory.net

  • 名前:Steve Staunton
  • 生年月日:1969年1月19日
  • 国籍:アイルランド
  • 身長:185㎝
  • キャリア:リバプール(ENG/86-87~), アストン・ヴィラ(ENG/91-92~), リバプール(ENG/98-99~),クリスタル・パレス(ENG/00-01~), アストン・ヴィラ(ENG/00-01~),コベントリー・シティ(ENG/03-04~), ウォルサール(ENG/05-06)

スタントンはアイルランド北西部、レンスター地方のダンドークに生まれた。ポジションは主にLSB。運動神経抜群でスポーツは何でもこなしていたという。ダンドークの下部組織でサッカーをしながら、ゲーリックフットボール(アイルランド発祥のラグビーに似た競技)のチームにも所属し、どちらの競技でも傑出していた。彼が17歳の時、転機が訪れる。当時リバプールの選手兼任監督を務めていたケニー・ダルグリッシュに才能を見出され、引き抜かれた。リバプールではイアン・ラッシュ、ジョン・バーンズ、スティーブ・マクマナマンらと89-90シーズンのリーグ優勝に貢献するなど活躍。1度アストン・ヴィラに移籍した後、リバプールにカムバックした。合計7シーズンをリバプールで過ごし、109試合に出場している。

アイルランド代表としても長らく活躍し、102試合に出場している。2002年の日韓W杯ではのちにリバプールに所属することとなるロビー・キーンらと共に、キャプテンとして同国の16強進出に貢献。日本にも訪れており、島根県の出雲ロイヤルホテルに宿泊した。また、引退後に06-07シーズンの1年間のみアイルランド代表監督も務めている。

背番号固定制について

ここまで紹介してきたのは、1993-94シーズンに背番号固定制が導入されて以降に5番を背負った選手たちである。この制度が導入される以前は1~11番を付けた選手が試合に出場するシステムだった。そのため、本来の10番の選手が何らかの理由で欠場する際には、リザーブメンバーもしくはコンバートされた代役の選手が5番を付けて出場した。

背番号固定制導入前の選手を全員紹介すると前述の制度の都合上、膨大な数になってしまうので、ここからは5番として名を馳せた、特に有名なレジェンドを紹介するに留めたいと思う。

レイ・ケネディ

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 名前:Ray Kennedy
  • 生年月日:1951年6月28日
  • 国籍:イングランド
  • 身長:180㎝
  • キャリア:アーセナル(ENG/69-70~), リバプール(ENG/74-75~),スウォンジー(ENG/81-82~82-83)

ケネディはイギリス、ノーサンバーランドのシートン・デヴァラルという小さな村で生まれた。アーセナルでキャリアを始めた彼は当初FWとして活躍。リーグ制覇やFAカップ優勝を経験したが、その後調子を落として放出されてしまう。1974年、ビル・シャンクリーが辞任したのと同じタイミングでリバプールにやって来た。新監督のボブ・ペイズリーによってFWから左サイドハーフにコンバートされると新たな才能が開花。リバプールは彼の在籍中にリーグ制覇5回、ヨーロッパのコンペティション優勝5回など数多くのトロフィーを獲得した。スウォンジーに移籍後、パーキンソン病が判明。苦しみながらもキャリアを続け、選手としてプロを退いた後はコーチや監督としても活動した。晩年は病や家族との関係悪化などに悩まされたケネディ。2021年に70歳でこの世を去った。

2013年に100 Players Who Shook The Kopの投票で25位に輝くなど、彼の活躍は在籍から半世紀近くたった今もなおKOPの心に刻まれている。

ロン・イェーツ

画像出典:リバプール公式Twitter

  • 名前:Ron Yeats
  • 生年月日:1937年11月15日
  • 国籍:スコットランド
  • 身長:192㎝
  • キャリア:ダンディー・ユナイテッド(SCO/57-58~),リバプール(ENG/61-62~), トランメア・ローヴァーズ(ENG/71-72~73-74)

イェーツは現在リバプールに所属するカルバン・ラムゼイと同じスコットランド、アバディーン出身。ポジションはCB。プロ契約を結ぶ前はアバディーンの食肉加工工場で働いていたという。1957年、当時スコットランド2部のダンディー・ユナイテッドでキャリアを開始した。余談だが、ダンディーには日本代表GK川島永嗣も所属したことがある。スコットランドでの活躍で名声を高めると、1961年名将ビル・シャンクリーの要望でリバプールに移籍。シャンクリーはのちに、「彼はリバプールが黄金期へ向かうターニングポイントになった選手だ」と発言している。加入後はリバプールを1部昇格に導き、2度のリーグ制覇などに貢献。454試合に出場し、1971年にクラブを去った。その後トランメアなどの監督を務め、晩年にはリバプールのスカウト部門を統括した。

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