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この記事では、リバプールの各背番号を背負ってきた選手を掘り下げ、簡単に解説、説明をまとめていく。
第二回となる今回取り上げるのは背番号10。フットボールにおいて花形、古くはファンタジスタと呼ばれるような選手が付けてきた背番号だ。ロベルト・バッジョやロナウジーニョ、リオネル・メッシ、日本人で言えば香川真司や中村俊輔と言った選手を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれない。
それでは、リバプールでは一体どんな選手たちが10番を受け継いできたのか、遡りつつ紹介していこう。
目次
- サディオ・マネ
- フェリペ・コウチーニョ
- ジョー・コール
- アンドレイ・ヴォロニン
- ルイス・ガルシア
- マイケル・オーウェン
- ヤン・モルビー
- ジョン・バーンズ
- クレイグ・ジョンストン
サディオ・マネ
- 名前:Sadio Mané
- 生年月日:1992年4月10日
- 身長:174cm
- 国籍:セネガル
- キャリア:メス/FRA(11-12~), RBザルツブルク/AUT(12-13~), サウサンプトン/ENG(14-15~), リバプール/ENG(16-17~)
18-19シーズンから10番を背負う、左ウイングを主戦場とするストライカー。並はずれた体幹と強靭な体のバネをうまく使った反転から、多くの選手がシュートすら困難な体勢から簡単にゴールを決めてみせる。切れ味鋭いドリブルでカットインし、ファーサイドを撃ち抜くショットも印象的。
彼のキャリアは15歳でセネガルの首都、ダカールでのトライアルで動き出した。当時決して豊かな生活はしていなかったマネは、お世辞にも綺麗とは言えない、使い古されたシューズとウェアでトライアルに出向いた。後のマネへのインタビューによると、トライアル関係者は「場違いな場所に来たな」という目で彼を見ていたが、プレーを見るとすぐに彼を連れていくと言い出したそうだ。
ザルツブルク時代に当時ドルトムントを率いていたユルゲン・クロップにその輝く才能を見抜かれ、移籍の動きもあったが、クラブ間の交渉が難航し破談となってしまう。しかし、その後もマネはクロップの元でプレーすることを望み続けていた。そして2016年6月、ついに念願叶ってクロップ率いるリバプールへの移籍が決まった。移籍後のリバプールで素晴らしい活躍を見せたことは言うまでもないだろう。
そんな彼だが、最近は得点力やプレーの質の低下を指摘する声もある。今季も結果を出してはいるものの、全盛期に比べるとドリブルや決定力に衰えを感じてしまうシーンがあるのも事実。時折スーパープレーを見せるだけに、ポジショニングや判断力のような経験を武器にできる能力を伸ばし、雑音をかき消すような活躍を期待したい。
フェリペ・コウチーニョ
- 名前:Philippe Coutinho
- 生年月日:1992年6月12日
- 身長:172cm
- 国籍:ブラジル
- キャリア:ヴァスコ・ダ・ガマ/BRA(08-09~ loan), インテル/ITA(10-11~),エスパニョール/ESP(11-12~ loan), リバプール/ENG(12-13~), バルセロナ/ESP(17-18~), バイエルン・ミュンヘン/GER(19-20~ loan), バルセロナ/ESP(20-21~)
12-13シーズン、冬の移籍市場でリバプールにやってきたコウチーニョは加入から退団に至るまで背番号10を身に付け続けた。在籍期間にはアタッキングサードで違いを生み出せる選手として活躍した。ブラジル仕込みのテクニカルなドリブルでバイタルエリアを突破し、チャンスを創出。また、ミドルシュートも得意としている。2018年W杯ブラジル対スイスのゲーム、左サイド高めの位置からやや右に切り込んでの巻き込んだショットは印象的な実況と共に記憶している人も多いのではないだろうか。
彼のキャリアがローンから始まっていることに違和感を感じた方もいらっしゃるだろう。これは、プロデビュー前から注目を集めていた彼は2008年にインテルに移籍したものの、当時のセリエAの規定により試合に出場できなかったために、ローンという形でユース時代を過ごしたヴァスコ・ダ・ガマに籍を留めることになったからだ。
リバプールで約5年間を過ごした彼は、在籍の間で201試合出場54ゴール/45アシストという成績を残した。ブレンダン・ロジャースの下では中盤ダイヤモンド型の4-3-1-2で左インサイドハーフとして、ユルゲン・クロップの下では433の左ウイングとしてプレー。どちらのポジションが適正かは様々な議論があるが、それぞれ期待された役割を果たしてみせた。
17-18シーズン開幕前、夏の移籍市場でバルセロナからのオファーを受け、本人も移籍を望んだがクラブ側は応じなかった。しかし結局、彼はシーズン中の冬の移籍市場でスペインへと旅立ってしまう。その後、バルセロナではなかなか出場機会を得られず、上手くいかなかった。
先日、コウチーニョのアストン・ヴィラへの移籍が発表された。現在29歳となった彼にとってここで活躍できるか否かは大きなターニングポイントとなるだろう。初戦は1ゴール1アシストと復調の兆しも見せている。リバプール時代のチームメイトであるスティーブン・ジェラードが監督を務めるヴィラで、本来のパフォーマンスを取り戻すことが出来るだろうか。
ジョー・コール
- 名前:Joe Cole
- 生年月日:1981年11月8日
- 身長:176cm
- 国籍:イングランド
- キャリア:ウェストハム・ユナイテッド/ENG(98-99~), チェルシー/ENG(03-04~), リバプール/ENG(10-11~), リール/FRA(11-12~), リバプール/ENG(12-13~), ウェストハム・ユナイテッド/ENG(12-13~), アストン・ヴィラ/ENG(14-15~), コベントリー・シティ/ENG(15-16~), タンパベイ・ローディーズ/USA(15-16~17-18)
1981年、イングランドのパディントンで産声を挙げた彼は、ウェストハム・ユナイテッドの下部組織で育った。若くして頭角を現すと、17歳でトップチームデビュー。20代前半にはキャプテンを任されるまでになり、クラブ史上最高傑作と謳う声もあった。
やがてウェストハムが低迷期を迎え、02-03シーズン、チームの降格が決定すると彼に転機が訪れる。当時サッカー界で話題の中心であったチェルシーからオファーが届いたのだ。この年チェルシーはオーナーの石油王、ロマン・アブラモヴィッチの資金力を活かし、短期間に多大な戦力を購入していた。クロード・マケレレやエルナン・クレスポらと共に加入した彼は、加入してからしばらくはチームへの順応やポジション争いに苦しみ出場機会に恵まれなかったが、翌年監督がジョセ・モウリーニョに交代すると右ウイングとしての才能を見出されるなど、徐々に活躍の場を増やしていった。
チェルシーでキャリアの最盛期を過ごしていたコールは2008年頃から怪我に悩まされ出場機会を減らすと、契約満了に伴いヨッシ・ベナユンと入れ替わる形でリバプールに加入した。リバプールでかつての輝きを取り戻すことは叶わず、目立った成績は残せずに退団した。その後はいくつかのクラブを渡り歩き、最後はアメリカの地でキャリアに幕を下ろした。
現在はチェルシーのユースでテクニカルコーチを務めている。現役時代は主にトップ下でプレーし、持ち前のドリブルやアイデア溢れるパスで数々の決定機を創出するチャンスメイカー、典型的な10番のスタイルで活躍した彼。コーチとしてはどんな選手を育て上げてくれるだろうか。
アンドレイ・ヴォロニン
- 名前:Andriy Voronin
- 生年月日:1979年7月21日
- 身長:179cm
- 国籍:ウクライナ
- キャリア:ボルシア・メンヒェングラートバッハ/GER(97-98~), マインツ/GER(00-01~), ケルン/GER(03-04~), バイエル・レヴァークーゼン/GER(04-05~), リバプール/ENG(07-08~), ヘルタ・ベルリン/GER(08-09~), リバプール/ENG(09-10~), ディナモ・モスクワ/UKR(09-10~), デュッセルドルフ/GER(12-13~), ディナモ・モスクワ/UKR(13-14)
アンドレイ・シェフチェンコとの代表でのコンビネーションが印象に強いアンドレイ・ヴォロニンは当時のソビエト連邦、オデッサの生まれ。09-10シーズンにリバプールの10番を背負った。2006年ドイツW杯では母国ウクライナを初のベスト8へと導いた。
1995年に地元のチームを離れ、ドイツ、ボルシアMGに籍を移したヴォロニンはメキメキと才能を開花させ、97年に18歳でトップチームデビューを果たした。その後当時2部のマインツに移籍した彼は徐々に出場機会を増やし、02-03シーズンに20ゴールとブレイク。ユルゲン・クロップと彼の右腕ジェリコ・ブバチの元でプレーした。ボローニャやシュツットガルトからの関心、そしてマインツからの契約延長交渉を受けたが、マインツが1部に昇格できなかったことも影響し、ケルンに移籍。
2007年、多くのクラブからの関心が報じられる中、レヴァークーゼンからリバプールに4年契約で移籍。デビュー戦からひと月以内にチャンピオンズリーグ、プレミアリーグの両方でゴールを記録し滑り出しこそ好調だったが、その後は怪我の影響もありインパクトを残せなかった。
現在はキャリア晩年を過ごしたディナモ・モスクワのアシスタントコーチを務めている。リバプールでもアシスタントコーチとして欠かせない存在だったブバチをSDとしてモスクワに引き入れたのも彼である。
ルイス・ガルシア
- 名前:Luis García
- 生年月日:1978年1月24日
- 身長:177cm
- 国籍:スペイン
- キャリア:レアル・バリャドリード/ESP(99-00~), CDトレド/ESP(99-00~), CDテネリフェ/ESP(00-01~), レアル・バリャドリード/ESP(01-02~), アトレティコ・マドリード/ESP(02-03~), バルセロナ/ESP(03-04~), リバプール/ENG(04-05~), アトレティコ・マドリード/ESP(07-08~), ラシン・サンタンデール/ESP(09-10~), パナシナイコス/GRC(10-11~), プエブラFC/MEX(11-12~), UNAMプーマス/MEX(12-13~), ATK/IN(13-14~), セントラル・コースト・マリナーズ/AUS(15-16)
3シーズンに渡ってリバプールの10番を背負ったスペイン人は、バルセロナのカンテラで育ったウインガー。レアル・バリャドリードでトップリーグデビューを果たす。スペインのクラブを渡り歩いた後、2004年の夏にバルセロナからマージーサイドへとやって来た。当初ガルシアはエル=ハッジ・ディウフの控えとして加入したが、彼以上の活躍を見せ取って代わる形でレギュラーの座に昇り詰めた。
04-05シーズンのリバプールといえば、イスタンブールの奇跡を想起する方も多いのではないだろうか。この年、ガルシアは準々決勝ユベントス戦で決勝点を挙げた。準決勝、モウリーニョ率いるチェルシーに対して決めた決勝点は敵将に「ゴースト・ゴール」と揶揄されるなど議論を呼んだが、結果としてチームの決勝進出、チャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した。
その後もチームにとって重要な得点を要所で積み重ね、KOPとも良好な関係を構築。リバプールでの3年間は、彼のキャリアにおいて最も充実したものになったと言えるだろう。しかし、2007年1月10日、アーセナル戦において前十字靭帯を損傷。6ヶ月の戦線離脱を強いられ、これがリバプールでのラストゲームになった。同年夏のマーケットで別れの時がやって来た。この時、LFC TVにおいてガルシアからKOPに対し別れのメッセージが放送され、最後までサポーター思いな彼は惜しまれながらリバプールを去った。
その後はスペインに復帰。キャリア晩年は世界各国を渡り歩き、2014年に現役引退後、気が変わったのかすぐに復帰した。最終的に2016年1月に現役を退いている。現役引退後もアンバサダーの仕事やチャリティーマッチなどでリバプールと接点を持ち続けている。
余談だが、ルイス・ガルシアというフットボールプレイヤーは歴史上に多くいる。中村俊輔と同時期にエスパニョールに所属したルイス・ガルシアや、現在久保建英が所属するマジョルカの監督もルイス・ガルシアである。後者のガルシアの現役時のポジジョンはDFだそうだ。なお、スペイン語圏の慣習として父型の姓を第一姓、母方の姓を第二姓として両方本名に残すので彼らは完全に同姓同名ではない。
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