リバプールFCの歴代No.3まとめ

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26lover

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お気に入りの選手はロバートソン。正統派SBが好き。 スコットランド代表も追ってます。

この記事では、リバプールの各背番号を背負ってきた選手を掘り下げ、簡単に解説、説明をまとめていく。

第6回となる今回取り上げるのは背番号3だ。先日、遠藤航のリバプール移籍が発表され、史上2人目となる日本人がリバプールの背番号3を背負うこととなった。主に守備的な選手に割り当てられ、特にイングランドではLSBの選手を意味する番号でもある。それでは、一体どんな選手たちが3番を受け継いできたのか、遡りつつ紹介していこう。

目次

  1. 遠藤航
  2. ファビーニョ
  3. ママドゥ・サコー
  4. ホセ・エンリケ
  5. ポール・コンチェスキー
  6. スティーブ・フィナン
  7. アベル・シャヴィエル
  8. クリスティアン・ツェーゲ

遠藤航

出典:LFC公式X
  • 名前:Wataru Endo
  • 生年月日:1993年2月9日
  • 身長: 178cm
  • 国籍: 日本
  • ポジション:DMF,RSB,CB
  • キャリア:湘南ベルマーレ/ JPN(10-11~),浦和レッズ/JPN(16-17~),シント・トロイデン/BEL(18-19~), シュツットガルト/ GER(20-21~),リバプール/ENG(23-24~)

リバプール史上2人目(ウィメンも含めると3人目)の日本人選手となった遠藤は、神奈川県横浜市戸塚区の出身。横浜・F・マリノスのセレクションに落選したこともあり、中学時代は学校の部活動でプレーしていた。高校進学と共に湘南ベルマーレユースに入団すると、2011年にトップチームに昇格。翌年には19歳ながらキャプテンに任命され、チームのJ1昇格に貢献した。浦和レッズを経て、2018年に初の海外挑戦としてベルギー、シント・トロイデンに移籍。ローン先のシュツットガルトでは当初出場機会に苦しみながらも、マリオ・ゴメスに見出されスタメンに定着し、ブンデスリーガ年間ベストイレブンに選ばれるなど評価を高めた。そして2023年、高いキャプテンシーと献身的な姿勢を買われ、補強の失敗や選手放出で守備的ミッドフィルダーが不足していたリバプールに移籍する運びとなった。30歳という年齢に対し、4年契約と背番号一桁という条件は異例の高待遇であると言える。

リバプールでは彼の苦手とする保持局面での振る舞いを強いられる点、彼の得意とする動的なプレースタイルは、既に守備組織や可変コストの清算でオーバーワーク気味のCB陣に更なる負担を強いる点など、遠藤がリバプールで活躍できるか否かの議論には幾らかの不安要素が存在する。中盤補強問題に端を発するフロントへの不信感も相まって、遠藤の移籍を巡る騒動は複雑化していると言えるだろう。そんな状況ではあるが、日本人として、そしてリバプールファンとして、彼がチームを最大化する役割を見つけ、世界のファンから愛される選手になることを祈っている。

ファビーニョ

出典:LFC公式X
  • 名前:Fábio Henrique Tavares
  • 生年月日:1993年10月23日
  • 身長: 188cm
  • 国籍: ブラジル
  • ポジション:DMF,RSB,CB
  • キャリア:フルミネンセ/ BRA(11-12~),リオ・アヴェ/POR(12-13~),レアル・マドリード/ESP(12-13~),ASモナコ/ FRA(13-14~),リバプール/ENG(18-19~),アル・イテハド/SAU(23-24~)

リバプールの黄金期を支えたファビーニョは、母国ブラジルのフルミネンセで頭角を現した。2013年にレアル・マドリードでトップチームデビューを果たすと、翌年にはモナコにレンタル移籍。フランスの地で出場機会を掴み、2015年に完全移籍した彼は、ベルナルド・シウバやバンジャマン・メンディ、ティエムエ・バカヨコ、そしてキリアン・ムバッペといったモナコ黄金期のスター達と共に、クラブのチャンピオンズリーグベスト4という快挙に貢献した。2018年5月28日、リバプールに移籍。初期は適応に苦しんだのか出場機会が限られたが、チームに馴染んでからは、リバプールのスタイル上難しい仕事となるフィルター役を非常に高いレベルでこなし、「ダイソン」の愛称で親しまれた。縁の下の力持ちとしてリバプールの守備を支えた彼の存在無しには、チャンピオンズリーグ優勝、プレミアリーグ制覇をはじめとした数々のタイトル獲得は有り得なかっただろう。22-23シーズン、不調に陥ったリバプールの守備組織混乱、彼自身の衰え(筆者自身は昨年も彼は世界最高レベルのアンカーであったと確信している)によって出場機会に翳りが見えると、今夏にサウジアラビアへと旅立った。

様々なチーム事情によって正当な評価を得づらくなったクラブを離れ、リオ・アヴェ時代の恩師であるヌーノ・サントスが待つ新天地で充実した生活を送りながら、キャリアの最後に稼ぎを得るという決断は、クレバーな彼らしい判断であると感じる。今後の人生がセカンドキャリアも含め、素晴らしいものになることを心から願っている。

ママドゥ・サコー

出典:LFC公式X
  • 名前:Mamadou Sakho
  • 生年月日:1990年2月13日
  • 身長: 187cm
  • 国籍: フランス
  • ポジション:CB
  • キャリア:パリ・サンジェルマン/FRA(06-07~),リバプール/ENG(13-14~),,クリスタルパレス/ENG(16-17~),モンペリエ/FRA(21-22~)

セネガルにルーツを持つサコーはパリ・サンジェルマンの下部組織出身。2007年にファーストチームデビューを果たすと、09-10シーズンにはレギュラーに定着。11-12シーズンにはクロード・マケレレから21歳の若さでキャプテンマークを引き継ぐが、監督交代や自身のコンディション不良によって出場機会を減らし、翌年には腕章を明け渡した。チアゴ・シウバやマルキーニョスらの加入に押し出される形で、2013年にリバプールに移籍。フィットネスの問題でシーズンを通して戦えなかったこともあり、期待に応えたとは言い難い。ユルゲン・クロップが監督に就任すると、度重なる遅刻によってプレシーズンキャンプを追放されるなど、プレー以前の問題によって構想外を言い渡され、2017年にクリスタルパレスへと放出された。クリスタルパレスではリーグの月間優秀選手に選ばれるなどまずまずの活躍を見せ、キャリアに花を添えた。

現在は母国フランスに戻りモンペリエで現役を続行中。ベテランCBとしてベンチを温めながら、年に数回の出場機会を得ている。

ホセ・エンリケ

出典:LFC公式X
  • 名前:José Enrique
  • 生年月日:1986年1月23日
  • 身長: 184cm
  • 国籍: スペイン
  • ポジション:LSB,CB
  • キャリア:セルタ/ESP(05-06~),ビジャレアル/ESP(06-07~),ニューカッスル/ ENG(07-08~),リバプール/ENG(11-12~),レアル・サラコザ/ESP (16-17)

スペイン東部の港町バレンシアに生を受けたエンリケは、地元バレンシアに本拠地を置くレバンテのユースで育った。2005年にはバレンシアに移籍しているが、トップチームデビューは果たすことなく、ローン先のセルタでプロキャリアをスタートさせた。ビジャレアルでレギュラーの座を掴み取ると、翌年にニューカッスルへ移籍。当初はポジションを確保できず、チームは監督交代やピッチ外の問題によりフォームを低下させ、チャンピオンシップに降格してしまう。しかし、真面目な人柄のエンリケは腐ることなくチームに貢献し続け、翌年にはチャンピオンシップを優勝し、プレミアリーグに復帰。自身もPFA年間ベストイレブンに選ばれた。その活躍を買われ、2011年にアンフィールドに活躍の場を移すと、移籍後2シーズンはレギュラーとして定着した。しかし、13-14シーズンに負った膝の怪我をきっかけとして徐々に出場機会を減らし、2016年にマージーサイドを去った。2017年に膝の怪我を理由にキャリアに終止符を打っている。現役を引退する際にはアンフィールドでキャプテンマークを巻いた日の思い出を語っており、彼のリバプール愛が感じられる。

2018年に脊索種と呼ばれる非常に治療の難しい脳腫瘍が見つかり、闘病生活を送っていたが2019年に完治を報告。現在は代理人としてのセカンドキャリアを送っているようだ。

ポール・コンチェスキー

出典:SKY SPORTS
  • 名前:Paul Konchesky
  • 生年月日:1981年5月15日
  • 身長: 178cm
  • ポジション:LSB
  • 国籍: イングランド
  • キャリア:チャールトン/ENG(99-98~),トッテナム・ホットスパー/ENG (03-04~),チャールトン/ENG(04-05~),ウェストハム/ENG(05-06~),フラム/ENG (07-08~),リバプール/ENG(10-11~),ノッティンガム・フォレスト/ENG(10-11~),レスター・シティ/ENG(11-12~), QPR/ENG(15-16~),ジリンガム/ ENG(16-17~),ビラリキー・タウン/ENG(17-18)

イギリス、ロンドンに生まれたコンチェスキーはチャールトンでキャリアをスタート。ローン先のスパーズで才能を開花させ、復帰後にはレギュラーの座を確保した。ユース時代にも在籍記録のあるウェストハムや地元ロンドンのフラムを経て、2010年にリバプールへ移籍。なお、出場は15試合に留まっている。その後はイングランドのクラブを転々とし、13-14シーズンにはレスターのプレミアリーグ昇格に主力選手として貢献した。ただ、ミラクル・レスターがプレミアリーグ制覇を果たした際には、レギュラーの座を追われQPRにローン移籍しており、歴史的快挙を達成したスカッドに名を残すことは出来なかった。

引退後はコーチとしてウェストハムに復帰、その後ウェストハムウィメンで指揮を取り、清水梨紗、林穂之香、長谷川唯らなでしこジャパンの面々も指導している。

スティーブ・フィナン

出典:LFC公式サイト
  • 名前:Steve Finnan
  • 生年月日:1976年4月24日
  • 身長: 183cm
  • ポジション: RSB
  • 国籍: アイルランド
  • キャリア:ウェリング・ユナイテッド/ENG(93-94~),バーミンガム/ENG(95-96~),ノッツ・カウンティ/ENG(96-97~),フラム/ENG(99-00~),リバプール/ENG,(03-04~),エスパニョール/ESP(08-09~),ポーツマス/ ENG(09-10)

アイルランド、リムリックに生まれたフィナンは、幼少期にイングランドに移住、ウィンブルドンの下部組織で育った。その後順調にステップアップを果たし、フラムでは2部昇格とプレミアリーグ昇格に貢献。ウイングバックや右ウイングなど本職以外の位置もこなし、200試合以上に出場した。ちなみに、ノッツ・カウンティでプレーするフィナンの才能を見出し、フラムに引き抜いたのは、当時フラムで指揮を取っていた元リバプールのケヴィン・キーガンだった。フラムで評価を高めたフィナンはリバプールに移籍。RSBのレギュラーとして活躍し、イスタンブールの奇跡として有名な04-05 チャンピオンズリーグ決勝でも先発出場を果たしている。その後、アルバロ・アルベロアとの定位置争いなどで出場機会を減らし、2008年にエスパニョールに移籍した。

余談だが、フィナンはアイルランド代表として日韓W杯に出場、来日を果たしている。

アベル・シャヴィエル

出典:Transfermarkt
  • 名前:Abel Xavier
  • 生年月日:1972年11月30日
  • 身長: 191cm
  • ポジション:RSB,CB
  • 国籍: ポルトガル

キャリア:エストレラ・デ・アマドラ/POR(90-91~),ベンフィカ/POR (93-94~),バーリ/ ITA(95-96~),/レアル・オビエド/ESP(96-97~),PSV/NLD(98-99~),エバートン/ENG(99-00~),リバプール/ENG(01-02~),ガラタサライ/TUR (02-03~),ハノーファー/GER(03-04~),ローマ/ITA(04-05~),ミドルズブラ/ ENG(05-06~) ,ロサンゼルス・ギャラクシー/USA(07-08~08-09)

シャヴィエルはモザンビーク、ナンプラ出身のポルトガル人。ルイ・コスタ、ルイス・フィーゴ、ジョアン・ピントらと共にポルトガル代表の黄金世代を築いた。1990年にエストレラ・デ・アマドラでキャリアをスタート。1993年にベンフィカに移籍すると94年のリーグ制覇に貢献した。その後イタリア、スペイン、オランダを渡り歩き、1999年にマージーサイドの地を踏んだ。なお、先立って契約したのはエバートンであり、リバプールに所謂「禁断の移籍」をした選手でもある。アンフィールドにはコンディション不良で出場できなくなったマーカス・バベルの穴を埋めるべくやって来たが、当時監督を務めていたジェラール・ウリエとの関係悪化もあり、21試合の出場に留まっている。その後もトルコ、ドイツ、イタリアと欧州各地でプレー。また、ミドルズブラ時代には禁止薬物の検査で陽性が検出され、18ヶ月のプレー禁止処分を受けた。これによりシャヴィエルはプレミアリーグで初めてドーピングによって処分された選手となってしまった。引退後は指導者の道を歩んでいるようだ。

クリスティアン・ツェーゲ

出典:Transfermarkt
  • 名前:Christian Ziege
  • 生年月日:1972年2月1日
  • 身長: 186cm
  • 国籍: ドイツ
  • ポジション:LSB
  • キャリア:バイエルン・ミュンヘン/GER (90-91~),ACミラン/ITA(96-97~),ミドルズブラ/ENG (99-00~),リバプール/ENG(00-01~),トッテナム・ホットスパー/ENG (01-02~),ボルシアMG/GER(04-05~05-06)

ドイツ、ベルリン出身のツェーゲは、1990年にバイエルンでトップチームデビューを果たすと、すぐに主力として定着。2度のリーグ優勝に主力として貢献したのち、ACミランに移籍し、こちらでもスクデット獲得の立役者となった。出場機会を求めミランからミドルズブラに移籍すると、2000年にその活躍に目をつけたリバプールがツェーゲを獲得。スティーブン・ジェラードやマイケル・オーウェンらと共に00-01シーズンのカップトレブルを達成した。しかし、ジェイミー・キャラガーの台頭もありレギュラーの座を確立することはできず、2001年にソル・キャンベルを失ったスパーズの補強願望に応える形でマージーサイドを去った。ボルシアMGでキャリアに終止符を打った後は、指導者としての道を歩んでいるようだ。

余談だが、ツェーゲは日韓W杯にてモヒカンヘアーをドイツ国旗のカラーリングに染める奇抜なヘアスタイルで話題を掻っ攫ったことがある。

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