リバプール渡航記 ~現地の日常に手を伸ばして~

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KOH

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バルサ戦をきっかけにファンになった新参者。リバプールの歴史や文化を中心に色々発信したいと思います!

出発:日本、香港、そして英国

2023年4月28日8時45分。

私は成田国際空港で、これから飛び立つボーイングの機体を眺めていた。

寝不足でおそらくは少し血眼になっているであろう目をこすりながら、つい先ほどまで観ていたウェストハムとの試合での勝利への喜びを少し胸に抱えながら、長らく夢見ていたあの舞台にこれから向かうことについて考えていた。それは、何らかの感情を伴った実感というより、あくまで一つの客観的な事実への認識に近かった。未だ実感がわかぬまま、私は飛行機に搭乗し、座席に就いて、身をそこにゆだねた。

15時間後。今度は香港国際空港で同じくキャセイパシフィックのボーイング機に私は乗っていた。時間のせいか、はたまた次の便を待つ間に練り歩いた香港の街の美しさに何かを触発されたのか、これから夢を叶えるという事実への認識の仕方が今度はだいぶ違っていた。飛行機の席についた瞬間に、歓びというべきか期待感というべきか、様々な感情を伴いながら、一気に実感が込み上げてきた。これからイギリスに、あの自分が羨望の念を抱いてきた文化が詰まっている国に、そして夢見ていたアンフィールドに行く。感じうる限りのあらゆる高揚感が心の内を通り過ぎていく。飛行機がまさに飛び立とうとしている時ふと前の席ではしゃぐ子どもが目に入った。でも、感情表現の仕方を忘れただけで、おそらく今の自分も同じような興奮を覚えている。飛行機が飛び立つ。飛行機のエンジンによる轟音はまるで自分の心臓の鼓動に思えてならなかった。

くたびれるような飛行を終え、ついにロンドンのヒースロー空港に到着した。感情が14時間前に戻る。あふれるばかりの高揚感を抱えながら、目にする一つ一つの光景と目の前の空間に漂う匂いを細部まで認識することで私は精一杯となった。出口はWay out、エレベーターはLift、そんな情報一つ一つに満腔の高揚を覚えた。そんなとき、ふと疲れ切った掃除スタッフの方の表情が目に入った。そして、見渡すとそのような表情をするスタッフの方は少なくない。私は今普段できない体験をこの国でできることを期待して胸を昂らせている。いわば非日常的な興奮に包まれている。その一方で、ここでの生活を日常としている人たちもいる。留学に行ったら自分の国のことについて全然知らなかったことに気がついたと色んな方から聞くが、日常は平凡であるが故に興味の対象になりづらい。それでも日常と非日常の両者はどちらも人間の営みの一部である。観光客は日常を送る現地住民に非日常をもたらすとともに、現地住民の日常を感じることでより相手への理解を深められる。観光客と現地住民の間のこの日常と非日常をめぐる交換のダイナミズムが旅行という営みの醍醐味なのだろう。私は今この国に非日常的な高揚感を抱いているが、やはりこの国の暮らしも誰かにとっては日常である以上、その日常で暮らす方たちの目線に触れて理解したいと思う。そんな経験ができたらいいなと思いながらヒースロー空港のターミナル3を歩いた。

イギリス到着初日にみた空は、予想に違い、とても青かった

アンフィールドでの無言:フラム戦での思い出

2023年5月3日。

ロンドンでの4日間の観光を経て、ついにフラム戦の日が到来した。この日に私は初めてアンフィールドに訪れることになる。

ちなみに、トッテナム戦はロンドンのパブで観戦したが、94分のジョタのゴールシーンでは同じ場にいたファンと一緒に抱き合って喜びを共有した。このときの興奮は、この後訪れるであろう更なる興奮の前奏としては十分すぎるほどであった。

この日は諸事情によりマンチェスターに宿をとっていたため、マンチェスターに荷物を置いてからリバプールに向かうことにした。着替えるのも面倒くさかったので、 リバプール のユニフォームのままでロンドンから出発した。そうなると リバプール のユニフォームを着用したまま マンチェスターの街を 歩かざるを得なくなる。やがてこのユニフォームが些かのトラブルを引き起こす時がやってきた。マンチェスターの宿に入ると、フロントの人に”Wrong shirt”と言われ、チェックインしねぇぞとも脅された。当然、これらは冗談だ。その後、和やかな雰囲気でチェックインを済ませ、荷物を部屋に置くことができた。

さて、宿に荷物を置いてから一時間ほど列車に乗り、ついに リバプール ・ライムストリート駅に到着した。出口を出るなり、映画『ザ・バットマン』(*1)の撮影に使われたセイント・ジョージ・ホールが目に入った。映画好きである私が兼ねてより楽しみにしていたスポットである。このホールを目にしたことで、いよいよ夢の場所が近づいてきていることを私は悟った。

アンフィールドに向かうバスに乗る。窓から見えるあまりにもイギリス的な風景に胸が高鳴る。

アンフィールドが見える。閑静な住宅地の中にあるというのがまたよい。同行していた友人によれば、イギリスにはこんな感じの住宅地の中にあるスタジアムは多いという。人々が情熱と熱狂を発散する場所が日常と隣接しているのはとても素敵なことだ。

アンフィールドがわずかに見える

バスを降りる。アンフィールドが私の目の前に現前する。スタジアムの周りに大量にある非公式ショップ、スタジアムに貼り付けられた選手の写真、そしてユニフォームを着ているサポーターたち、シャンクリーの像、一つ一つの光景すべてが眩い輝きを放ちながら私の目に飛び込む。そして、アンフィールドの周辺に漂う熱気は建物と敷地を隅々まで満たし、どこまでもまとわりついてくる。

時間があったので、お隣のスタジアムに行ったり、スタジアムグルメのハンバーガーを楽しんだりして、アンフィールドの外での時間を堪能する。

アンフィールドとグディソン・パークの間にある公園。来年にはグディソン・パークがなくなってしまうので、この2チームのスタジアムが隣り合う状態はもうすぐなくなってしまいます

そして、スタジアムに入った後は、ラウンジに入って、ひたすらにその場の雰囲気に酔いしれた。

さて、いよいよその瞬間がやってきた。

階段を上り、アンフィールドのグラウンドを目にする。その瞬間心のうちに渦巻いた様々な感情に対し、様々な言葉が湧き上がろうとした。でも、結局何一つ出てこなかった。このときの私の状態を、英語で表現するならspeechlessとなるであろう。感情に対して言葉が力を失った瞬間である。そう、夢見ていた光景を実際に目の当たりにして、私は何一つ言葉が出てこなかったのである。

座席に就く。こんなに近い距離でアンフィールドのフィールドを目にできるとは。

しばらくすると、選手たちが入ってきた。実際に選手たちの練習の様子を目の当たりにすると、本当にうまいんだなということを実感する。ボールタッチの一つ一つが細かくて柔らかい。

サポーターたちのチャント、そしてYNWAの合唱。これまでテレビの画面越しに目にしていた光景が、目から心に流れ込む。

試合結果は、サラーのPKで1-0で勝利した。
初めて現地で目の当たりにした試合は、そのスコアとは対照的に、迫力満載であった。選手がパスを出す瞬間、ドリブルする瞬間、タックルをする瞬間、シュートを打つ瞬間、すべてがテレビの画面越しにみるそれとは全く違っていた。テレビで上から俯瞰するとどうしても戦術が気になってしまうが、一方でリアルのサッカーはもっと泥臭く、生臭い。現地で試合を観戦して、改めてサッカーの魅力に気づかされた。

また、特筆すべきはアンフィールドの迫力である。一人一人のサポーターの声がこだまするこの空間は、まるで一つの意志を持った人格であるかのように咆哮をあげ、試合を動かそうとする。チームの12人目という言い方があるが、まさに54000人が鴻大な巨人を作り上げているのである。

試合後、一緒に来た友達と、そして現地で出会った日本人サポーターとひたすら喜びをシェアし合った。初めて リバプール を訪れた日は、あまりにも特別な時間を過ごせた。

リバプール FCを感じる:スタジアムツアーでの思い出

2023年5月5日。

この日は、アンフィールドのスタジアムツアーに参加する日である。

人がいない静かなアンフィールドは、情熱と熱狂が渦巻くマッチデーのそれとは全く雰囲気を異にしていた。その静寂さは、まるで雄弁にこのクラブの歴史と情熱を物語っているかのようである。

スタジアムツアーはアンフィールドの奥深くまで内部に入ることができ、ファンにとっては夢のような時間を過ごすことができるため、大変おすすめである。

記者会見の部屋、選手のロッカー、有名な”This is Anfield”サイン、グランド、そしてあちこちの壁に書かれている壁画とサインの数々。夢の中を練り歩きながら、私は笑みをこぼし続けた。

地味に印象に残っているのが、記者会見室の横にあるクロップのオフィスとスタッフ用の食堂を紹介された時のことである。監督・コーチ、選手、スタッフ、立場は違えど、日々ここで目の前の仕事に向き合いながら、クラブのために働いている人たちがいる。当たり前のことではあるものの、アンフィールドに訪れてその事実を実感した。そして、自分も一応働いているので少しは想像できるものの、仕事というのは中々に大変なものである。やりがいを感じる瞬間もあるものの、心にのしかかる負担に耐えながらも目の前のことに向き合わなくてはならない瞬間がある。

(スタッフ陣が使う食堂。Carlsbergの壁画がよい)

実際に、リバプール FCで仕事し、(一人一人の職種は違えど)日々フットボールに向き合っている方たちをみると、彼らと現地のファンは違う意味でリバプール FC を日常としていることが伺える。つまり、リバプール FC で働いている方に対して、現地のサポーターは(仕事ではなく)趣味や娯楽としてリバプール FC に向き合っている。これは決してネガティブな意味合いではなく、実際リバプールファンが並々ならぬ情熱をもってチームに向き合っているのはいうまでもない。ただ、サポーターと働いているスタッフ陣では、いずれもフットボールを日常の一部としているものの、その中身が異なるのである。ここで、ふと試合日からこの日にかけて出会ったスタッフの方々の多くが笑顔に溢れていたことに気が付く。思えば、クロップをはじめとする監督・コーチや選手たちも情熱に溢れる方ばかりである。少し堅い言葉を使えば、リバプールFCはきっとエンゲージメント(≒モチベーション)が高い組織なんだろうなと私は思った。そして、ファンの方も、試合日になれば、このクラブへの比類なき情熱をアンフィールドで体現してくれる。ファンの情熱とクラブスタッフのモチベーション、この両者の循環のダイナミズムがリバプールFCがリバプールFCたる所以ではないだろうか。

スタジアムツアーでアンフィールドを訪れて、私はその物理的な空間をはるかに超えるリバプールFCというクラブの巨大さに気づかされた。

音楽がもたらした魂の解放と出逢い :The Cavern Clubでの思い出

ここで、フットボール以外のリバプールでの思い出を少し紹介したい。

リバプールといえば、間違いなくあげられるのが、“ザ・ビートルズ”である。そんなビートルズゆかりの地の一つが、彼らがデビューした場所である「キャヴァーン・クラブ」である。この地では、他にもローリング・ストーンズ、クィーン、ザ・フー、アデルなど名だたるアーティストがかつてプレーした。

さて、そんなキャヴァーン・クラブは今でも老若男女問わずすべての人が音楽に身をゆだね、その魂を解放できる場所である。音楽好きな友人の表情と身振りの変化を横目にしながら、私は興奮に些かの不安が混ざった心持ちでクラブに足を踏み入れた。

クラブに入ると、まずその歴史の痕跡に目を引き付けられる。先に挙げたアーティストの写真や残した物の数々が目に入る。

スター・ウォーズのルーク・スカイウォーカー役で知られるマーク・ハミルも来たことがあるらしい

やがて、演奏が始まる。ビートルズやオアシスの曲など、知っている曲も数多く演奏される。耳をつんざくような演奏の音に耳が慣れてくると、自然と緊張も解け、音楽が自分の体と魂に与えるゆらぎを心地よく感じるようになる。
音楽にあまりにも魅入られると、どうも自分が自分じゃなくなるようである。つまり、普段の日常生活では我々は他者や周りの物体との間に絶対的な境界線があるが、音楽にすべてを委ねると、その境界線がまるでなくなってしまうかのような錯覚を覚えることになる。しかも、ここはビートルズやクィーンなど名だたる先人たちが音楽を演奏し、楽しんだ場所でもある。その事実に一度思いを馳せると、あたかも時間を超越して先人たちとともに音楽を楽しんでいるかのような迷妄に耽ることができる。キャヴァーン・クラブで音楽がもたらす恍惚感に遭遇することは、時間も空間も超越して魂が解放されることを意味する、といっても過言ではなかろう。

次に、登場したバンドが演奏する曲に私は思わず惹かれた。スタッフに聞くと、wild youthというアイルランド出身のバンドらしい。当時リバプールで開催されていた音楽の大会Eurovisionに出場するとのことで、クラブにはアイルランドからたくさんのファンが詰めかけていた。近くにいたアイルランド人に「いいバンドですね」と話しかけると、「多分本人たちがもう少しでここらへんに来ますよ」と言ってくれた。やがてバンドメンバーの一人が来ると、私は「とてもよかったです」と少し興奮気味に話しかけた。しばらく言葉を交わしていると、なんと相手もリバプールファンであることが判明した。私が当時着ていた2021-22シーズンの2ndユニに気が付いてくれたのである。幾つもの偶然がもたらした出会いに感激の念が溢れずにはいられなかった。

(wild youthのDavidさんと)

その後も他のバンドによる演奏が続いた。音楽に耳を傾けながら、クラブを歩き回る。ここは本当に、人種も、年齢も、性別も関係なく、色んな人が音楽を楽しめる場所である。色んな国出身の方と盛り上がりながら、とても楽しい時間を過ごせた。

キャヴァーン・クラブからの帰り道、なぜ人とつながる瞬間はこうも特別なのかと私は考えた。思えば新型コロナウイルスの流行により世の中は一変し、私が新卒入社した会社もリモートワークがメインとなった。人とのつながりが希薄な状態を3年間以上過ごしてきたのだ。人は他者とつながることなしには生きていけない。誰かが作ったものや提供するサービスがなくては生きていけないし、友人にせよ恋人にせよ会話する相手がいなければあまりにも人生はつまらない。つまり、生理的にも、感情的にも他者の存在は生に必要である。かつて哲学者ハンナ・アーレントが著書『人間の条件』で、人間の営みを、生命を維持するのに必要な「労働」、(人間が住む)世界を創造するのに必要な「仕事」、人間関係の網の目を創造する「活動」に分けた(*2)が、独居のうちにあっても(労働を通じて)生きていくこと自体は可能だし、社会を維持することは一応可能である(特に、リモートワークが可能な現代ではそうであろう)。それでも、独居のうちにあることは何か我々の心の重要な部分を削っていく。そして、繋がり(=「活動」)の欠落は、SNSによって生まれている政治的な分断に代表されるように、人間存在も社会も摩耗していく。ここで、私はこの旅が摩耗された自分の人間性を回復する旅でもあることに気が付く。こうして私は人とつながりたいというただの個人的な感情にもっともらしい理由をつけたのだ。そんなことを思いながら、ふとセイント・ルーク聖堂を通りかかる。聖堂の美しさと自分の内面のややこしさに耐えきれなくなり、思わず空様に大きな息を吐いた。

セイント・ルーク聖堂(St. Luke Bombed Out Church)はとてもきれいでした

2分間の叫びとA Sky Full of Stars:ブレントフォード戦での思い出

2023年5月6日。

ブレントフォードとの試合がある日である。

現地で出会った日本人サポーターの方の提案でフードバンクに寄付する食べ物を買ってから、アンフィールドに向かった。二回目ともなると、少し心に落ち着きが生まれる。まるでアンフィールドにくることが日常の一部となったかのような錯覚を覚える。

フードバンクで寄付を行った後、スタジアム周辺の壁画をめぐる。壁画はどれも美しく、立派で、感嘆の念を漏らさずにはいられなかった。血が沸き立つような瞬間を、そして自分が羨望の眼差しを向けるヒーローを、こんなにも素敵な芸術にできる画家の皆さんには感謝してもしきれない。

再度スタジアムに戻った後、私はヒルズボロの悲劇の記念碑に花を添えた

その後、会う約束をしていた現地在住の日本人サポーターの方に会う。普段Twitterでツイートを目にすることはあるものの、実際に会うのは初めてである。ほかにも日本人サポーターがたくさん駆けつけてきた。リバプールのことや互いのことについて話しながら、インターネットでは繋がりがあるものの実際に会うのは初めてな方の声を聴くことの不思議さに気づかされた。普段インターネットで接する相手の言葉と、実際に耳にする相手の言葉は、その内容に関係なく、全く異なる印象をもたらす。当たり前のことであるものの、真剣に考えてみるとなかなかに不思議なことである。異国の地で同じリバプール・サポーターの日本人と出会えたことを嬉しく思いつつ、振り返るとあの場に飛び交っていた聲の形はとても素敵なものであった。

別れを告げた後、ラウンジに入る。行き交うKOPたちが醸し出す愉快な雰囲気に浸りながら、ふとボビーが今回の試合でもベンチに入っていないことを残念に思った。その日は9番のユニフォームを着ていたが、彼との来たる別れがその重みをより一層際立たせた。

座席に足を踏み入れる。二回目ともなると足取りには軽やかさと安心感が伴うようになる。一方で、それは来たる別れに意識を向けたくなかっただけなのかもしれない。

試合結果は1-0の勝利、得点者はサラー。この試合は審判のジャッジがとても気になった試合でもある。テレビと違って映像を見返すことはできないから、本当のところジャッジがどうなのかはわからない。それでも、このチームのためにと思い、私はチャントと同じくらいブーイングで声を張り上げた。アンフィールドが作り出す鴻大な巨人に自分も加わることができた気がする。少なくとも少しは。

体感時間がとても長い試合だったため、試合後は胸をなでおろした。結局、自分が現地で見たい試合は2つとも勝利に終わった。この時点ではまだCLの希望が残っていた。試合の余韻に浸りつつ、起こりうる奇跡への期待に胸を膨らませつつ、やがて別れに直面しなくてはいけない時間がやってきた。

ひとしきり写真を撮った後に、スタジアムを去る。最後に流れた曲は、coldplayの”A Sky Full of Stars”。星は見えなかったものの、色んな思い出が愛しい輝きを放ちながら心の中に残っていた。目元に少し熱さと湿っぽさを感じながら、スタジアム外に足を運んだ。

そういえば、この日の試合で特に印象に残ったシーンがある。この日は新国王チャールズ3世の戴冠式がおこなわれた日でもある。戴冠式を祝い、試合前に国歌斉唱が行われたが、つんざくようなブーイングとチャントをリバプールのサポーター達は発したのである。リバプールとイングランドのエスタブリッシュメントの間には根深い対立の歴史がある(*3)が、それが表出した瞬間を私は興味深く眺めていた。一方で、この瞬間は面白いだけでは済まされないような深刻さも孕んでいる。ジャガイモ飢饉で故郷から逃げてきたアイルランド系住民、サッチャー政権下で見捨てられた労働者たち、そして不当な扱いを受けてきたヒルズボロの悲劇の被害者とその家族、数えきれない人々の苦しみが顔をのぞかせた瞬間でもある。3分間程度にわたる耳をつんざくようなブーイングの裏側には人々の切実な叫びがあったのだ。そして、それらの苦しみや叫びの裏側には、その人たちの「日常」における境遇がある。

テキーラショットと王室:リバプール港の労働者との思い出

この度で人々の日常における境遇に迫った(と自分が思えた)瞬間がもう一つある。

リバプールではホステルに滞在したが、ルームメイトにリバプール港で働く労働者の方がいた。非常に愉快な方で、初対面から会話が盛り上がった。楽しい会話ではあったものの、「労働者は大変だよ」「誰も我々のことを気にかけてくれないんだ」といった発言が途中であった。当然気にならずにはいられなかった。その後、友達とキャヴァーン・クラブに出かけ、かなり遅い時間にホステルに帰ってきた。0時半くらいだっただろうか、その方からいきなり飲みに行こうぜと話しかけられた。おもわず心の中で「なんでやねん」とつぶやいてしまった。しかもその方、朝の5時には起きなくてはいけないようである。よくわからない心持ちではあったものの、愉快さに押されて、私は夜のリバプールの街に再び繰り出した。同行していた方にオーストラリア出身の観光客がいた。唯一の英語非ネイティブとして、ひどく心細い思いを抱えながら、私は付いていった。

結果として、非常に愉快な時間を過ごせた。テキーラのショットの飲み方を教えてもらい、港であった笑い話や幽霊話を聞き、目元と口元にしわができそうな時間を過ごせた。

ふとその場にいる人の全員が君主制の国の出身であることに気が付く。

「そういえばイギリスもオーストラリアも新しい国王が即位しましたね。新しい国王はどうです?」

すると、イギリス人の方は、「なぜあいつを気にしなきゃいけないんだ(*4)。自分のことを気にかけないやつを気にする必要ないだろ。」と話した。オーストラリア人の方も、地理的な距離のせいもあって、新しい国王を自分たちの王だと思えないと話した。ここで、イギリス人、オーストラリア人という風に彼らを形容しているが、もちろん彼らがそれぞれの国を代表できる立場にあるとは思っていない。彼らと出会ったときに自分がまず注目する彼らの属性に過ぎない。一方で気を付けなくてはいけないのは、彼らは決して〇〇人に還元されないような個別性を持っているということである。つまり、彼らの発言を、「〇〇人が△△と言った」という風に私は紹介しているものの、彼らの意見は決して「〇〇人」という属性のみならず、彼らがそれぞれ自分の生活で実際に置かれた状況によって生まれているということである。そして、彼らの置かれた状況と一言にいっても、受けてきた教育、身の回りの人の価値観、経済的な状況など、数えきれないほどのたくさんの要素がそこには含まれている。それらの無数の要素が彼らの「日常」を作り上げ、彼らの人間性と価値観を作り出す。そのため、彼らの意見を単に「〇〇人は△△と言った」という風に消費するのではなく、その裏側にある彼らの個別の背景、換言すれば「日常」、に極力迫りたいと私は思った。そのあとも君主制関連の様々な話題に及んだ。王室が奢侈な生活を送る一方で貧しい境遇にある人が大量にいること、王室メンバーは罪を犯しても放免されること(*5)、他の英連邦国家にとってはイギリス国王は遠い存在であること(*6)、様々な話が上がった。一方で、飲み会あるあるではあるものの、真剣な話題もいつの間にか変な冗談に変わり、それ以上私は2人にこの話題を迫れなかった。

最後に、テキーラショットをもう一度やり、我々は宿に帰った。 口の中でまだ残っていた塩とライムの余韻、そしてリバプールの街のそよ風は、なんともいえない情緒を心の中に搔き立ててくれた。リバプールの街並みにも少しは見慣れてきた。この街に当初向けていた非日常的な羨望の眼差しに少しずつ、日常的な安堵が混ざり始めた。旅というのは、同じ場所に長く留まれば留まるほど、非日常と日常の間にある確固たる線が揺らぎ始めるのである。そしてもしここに滞在する期間がさらに長くなれば、あるいは住むことになったら、その線は完全になくなるだろう。そのような変遷の中に心を委ねることは、なんと人間らしいことではないだろうか。
宿に戻るとまだ眠らぬ人が何名か共有スペースにいた。眠れぬ夜に終止符を打つのは少し心寂しいものの、”Good night”とお互いに言い、眠りの途についた。

結び:リバプールに愛をこめて

リバプールでの滞在期間は4日間と短かったものの、少しは現地の方の日常に私は迫れたのだろうか。自分の旅の次の目的地であるスコットランドに向かう列車で、羊たちを眺めながら私は考えた。

冷静に考えるとたかが現地のサッカーチームのファンにすぎないのに、現地の人の生活に迫りたいと思う(しかも数日間で)のはかなり図々しいことなのかもしれない。それでも、現地のことをもっと知りたいし、人々の生活にももっと迫りたいと思う。思えば、リバプールFCというチームはリバプールという町から生まれたのである。リバプールという町を知ることは、自分の愛する対象を知ることでもある。ハンナ・アーレントを引用するまでもなく、人々の繋がりという網の目に入り、その網の目が織りなす模様を知り、さらに自分もその一員になることは極めて自然な人間の営みであり、歴史を紡ぐ原動力でもある。

…とこんな風にもっともらしい理由をつけてみたが、本当はこういうのもいらないのかもしれない。個人的な願いであり、夢である。それだけでいいのかもしれない。残りの人生でどこまでこの夢が叶うかはわからないものの、またこの地を訪れてさらにこの地の歴史と人々の暮らしに迫りたい。

その後、スコットランドでの個人的な旅を終えて、私は日本に帰った。帰途の飛行機の上で、日常と非日常を結びつけるものとは何かについて考えた。これは抽象的でとりとめもない問いのように見えるが、要は日常を生きる現地住民と非日常を生きる観光客がいい感じで共存するにはどうすればいいかということである。10時間にわたる飛行であれこれ考えてみたが、最終的には呆れるほどシンプルな結論に辿り着いた。「優しくなる」ことである(*7)。より正確に言えば、日常を生きる人に対しても、非日常的な空間で非日常的な感情を経験している人に対しても、優しくなることである。

日常→非日常でいくと、往々にして異なる環境からやってきたよそ者としての観光客はうっとうしい存在である。現地の習慣やルールがわからず、奇妙な行動をしてくる。日本で言えば、中国人観光客のマナーの悪さや「爆買い」がしばしば軽蔑・嘲笑の対象となる。しかし、これは冷静に考えてみれば当たり前のことである。よそからやってきた者が現地の習慣やルールをちゃんと理解していなくても全く不自然ではない。もちろんちゃんと現地のことについて調べてほしいとは思うが、それでも限界はある。そこで外部からやってきた方に優しく接することで、生まれる幸せがある。思えば、私も旅行中様々な場面で現地の方に助けられた。電車の時間や場所から、現地の文化まで、色んな方から色んなことを教えていただいた。そして、大抵の場合、「Thank you.」といえば、「You’re welcome.」を優しい笑顔で返された。この「笑顔」が何より重要で、こちらの心が安心感で満たされる。

非日常→日常でいえば、よそ者が慣れない場所での出来事に眉を顰めることはしばしばである。ここでは省いたものの、私も宿の施設の悪さ(*8)や不可解な現地人の行動(*9)に何度もため息が出たものだ。しかし、少し時間が経てば「まあいいっか」と気持ちを切り替えた。思えば、文化も価値観も違う環境にいる中で、誤解やすれ違いを完全に避けることは不可能である。それなら誤解もすれ違いも、学びの機会としたほうがよい。それに、自分もきっと自分がいる国・地域で、よそから来た人にそういう不快感を生み出している(加えて、生まれる国・地域が異なれば、今の自分がまさに経験している不快感を生み出す側になっているはずである)。そう思えば、その誤解やすれ違いで苛立つことは、人間の感情の一部だから仕方ないものの、それを乗り越えて手を差し伸べたほうがはるかにいい。

この「優しくなる」をあえて別の角度から言い換えると、「少しいい加減になる」となる。今回のイギリス旅行で感じたが、日本は良くも悪くもすべてが「しっかりしている」社会なのである。街や施設の綺麗さから人々の振る舞いまでが、様々な明示的・暗黙的なルールに縛られている。それは間違いなく日本社会のよさなのだが、少しでもルールから外れた人が有象無象の圧力にさらされやすい点に日本社会の心地悪さがある。爆買いをする外国人がいたら優しく見守り、そしてその方の買い物袋が通行の邪魔になっていたら指摘し、それに対して相手が謝れば「大丈夫ですよ」と笑顔で返す、それくらい度胸の広さがあってもいいのではないか。それはつまり、自分たちのルールへの過度な拘りを捨て、少しいい加減になるということである。

思えば、私自身旅先で出会った様々な方の優しさa.k.a.いい加減さに支えられてきた。非日常的な興奮に溢れる空間から自分が元々いた日常に帰ったあとは、この優しさa.k.a.いい加減さを忘れずに、色んな場所で発揮したい。今、海外から日本に遊びに来る外国の方が数多くいる。もし困っている外国の方がいたら、ぜひ手を差し伸べ、そして微笑みかけみてはいかがでしょうか。

最後に改めて、旅を共にした友人、旅先で出会いお世話になった方、旅先について様々な情報をくださった方、そしてリバプールの町に心より感謝の念を申し上げたい。おかげさまで、夢が思い出となった素敵な時間を過ごせた。これまで叶った夢を振り返りつつ、今度はまたリバプールの地を訪れることを夢として生きていきたい 。

(*1)以前LFCラボやリバプール雑談ラジオで扱われたように、『ザ・バットマン』は紛うことなきリバプール映画であるため、全KOP必見である。

(*2)厳密にいえば、「労働」「仕事」「活動」は人間の「活動的生活」の分類である。「活動的生活」に対置されるのが、思考といった「観照的生活」である。

(*3)リバプールとイングランドの対立関係は、ベン・メイブリーさんのこちらの動画に詳しい。

(*4)英語を日本語に訳すときに付きまとう、人称をどう訳すかという問題、つまりIやYouといった言葉をどの言葉に訳すべきかという問題に、ここで私は行き当たった。結果として、himをこのように訳したのは完全に私の主観であることをここで明言しておきたい。

(*5)これはアンドリュー王子の性加害問題に触れた発言である。
(参考記事)

(*6)念のための注釈だが、イギリス国王は現在も旧植民地であるカナダ、オーストラリア、ジャマイカといった国の君主を務めている(但し、これは英連邦王国”Commonwealth realm”のみであり、インドのような英連邦王国非加盟国は含まれない)

(*7)いうまでもなくこれは映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)から着想を得ている。本作は、マルチユニバースを跨いだ戦いが繰り広げられるSFおふざけアクション映画なのだが、実は人生の意味は何かという深遠な問いにアプローチしている。詳細はぜひ本作をみてほしいが、それに対して出た答えの一つが「優しくなろう」ということである。頭のいい方であれば気づくと思うが、「何か?」に対して「どうするか」という方法で答えているという点でこの答えは本質的ではない。しかし、このずれが実は人生の意味を見出す重要な契機となるのである。なぜか変な映画評論が始まってしまったが、いずれにせよここでは自分の思考にとって不可欠な参考となった映画『エブエブ』への敬意と感謝をここに記したい。

(*8)例を挙げれば、ホテルの洗濯機があまりにもぼろすぎて洗濯から乾燥まで4時間かかったことがある。もちろんひどく苛々したものの、嘆いても仕方ないので、フロントに「さすがに改善すべきでは」と伝えて、あとは寝ることにした。

(*9)例を挙げれば、宿のパブリックスペースを離れて飲み物買いに行くとき、読んでいた本を椅子の上に置くと、なぜか必ず誰かがその本を手に取って、食べかすが残る汚い机の上に置いていく。なぜ!なぜ本を手に取る!!しかもなぜ元の場所に戻さず、汚い場所に置くのだ!!!まあこれはきっと習慣や衛生観の違いによるものだろうと思い、ミッキーみたく「ははっ」と笑って済ますことにした。異国での旅の秘訣は、心のなかにミッキーを飼うことにあるのかもしれない。

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