ダルウィン・ヌニェスのプレースタイル/プロフィール解説|リバプール選手名鑑

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エピソード・小ネタ

画像出典:ダルウィン・ヌニェス公式Twitter

◆「Darwin(ダルウィン)」という名前はイギリス起源であり、意味は「最愛の友人」といったところ。英語読みだとダーウィンとなる(「進化論」で有名な自然学者チャールズ・ダーウィンと同じ)。また、「Nunez(ヌニェス)」という姓はスペイン語圏では非常に一般的であるものの、その由来や言葉の意味がなんなのかは明らかになっていない。

◆ブラジルとの国境沿いに位置するアルティガス出身。アルティガスは米の生産が盛んとのこと。ちなみに、米といえば我らが日本人の主食だが、そんな日本語版Wikipediaに載っていた「ヌニェスは日本食が大好きで、毎日寿司を食べている」という情報はおそらくデマであり、現在その記載は削除されている。とはいえ、多分寿司は好き(個人的願望)だと思うので、ぜひオフシーズンには来日して美味しい寿司を食べていただきたい。

◆ダルウィン・ヌニェスは非常に貧しい家庭で兄のジュニア・ヌニェスと共に育った。建設作業員である父の収入だけでは足りず、母はペットボトルや瓶を集めては売って家計を助けていた。しかしそれでも食べ物を買えず、兄弟は空腹のまま寝る日も多かったという。ただ、ダルウィンは「もっと最悪だったのは僕たち以上に母が食べずに寝ていたこと。自分がどこから来たのか決して忘れない」と語っている。

◆ダルウィンの才能を発見したペニャロールは彼をスカウトした。ペニャロールはウルグアイの首都モンテビデオに本拠地を構えるクラブである。大きな都市を見たことのなかったヌニェスは、バスでトレス・クルーセスに降りたとき恐怖を覚えたという。またホームシックも味わい、一度アルティガスに戻っている。しかしながらダルウィンの才能を失いたくないペニャロールの懸命な説得によって徐々に適応した。

◆兄のジュニアもペニャロールのアカデミーでダルウィンと共にプレーしていたが、家族の問題(母の病気)によってアルティガスに戻らなければならなくなった。しかし兄が「サッカーを辞めて戻るのは自分だけでいい。お前には未来があるからここに残りなさい」とダルウィンに言い、サッカーを続けさせてくれたという。

◆ペニャロール時代に二度の大怪我を経験している。まず十字靭帯を負傷し、手術とリハビリを乗り越えて復帰したものの、今度は膝蓋骨を骨折した。膝に二度の大怪我を負いながらも現在これだけのアスレティックなプレーを披露しているのは驚異的と言わざるをえない。

◆2017年11月22日にプロデビューを飾ったダルウィンだが、その試合で途中出場した彼の代わりに交代で下がったのは元リバプールのマキシ・ロドリゲスである。

◆同胞の先輩であるルイス・スアレスは、彼がスペインのアルメリアでプレーしていた際、バルセロナに彼を注視するよう提言したものの、あまり相手にされなかったという。

◆フィルジル・ファン・ダイクは2022年5月のインタビューで「最も対戦するのが難しかったFW」に5人を挙げており、セルヒオ・アグエロ、リオネル・メッシ、キリアン・エンバペ、アーリング・ハーランドと共にダルウィンを選んでいる。

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