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以下は、本日(12/5)のリバプール・エコー紙の記事です。
■クィビーン・ケレハーが長年の後にリバプールを去った決断について語る
クィビーン・ケレハーは、この夏にリバプールを出て£12.5mでブレントフォードに移籍しました。故郷のコーク(アイルランド)から2015年にリバプール入りしてまる10年間を過ごしたクラブを去って、No.1として毎試合に出られるクラブを選んだのでした。
リバプールでは2019年のCL優勝から昨季のプレミアリーグ優勝(ケレハーは2回目)まで、全ての優勝杯を獲得したメンバーの一人となりました。
そのリバプールを出た決断について、ケレハーは語りました。これは元GKベン・フォスターのインタビュー番組でのことです。
「リバプールを出ることは、正直、ものすごく大きな決断だった。ただ、タイミングが僕にとって合っていた」と、ケレハーは語りました。
「僕はリバプールに10年いた。16歳の時にアカデミー・チームに入ってからずっと。ファーストチームには5年くらいだと思う」
「だけど、僕は一度もローンに出たことはなかった。だから、試合を経験したのはリバプールだけだった。ほとんどNo.2として」
「リバプールを出るのは感情的に苦しかった。僕はリバプールで素晴らしい友人をたくさん作ったので。リバプールではいい人たちに囲まれていたし。ただ、フットボール面だけに限ると難しい決断ではなかった。それは正直なところだ」
「(アリソンの控えをやっていた時に、メディアがいろいろ言ったことについて)ちょっと気にした。控えの選手が試合に出るチャンスを得て、良いプレイをした時には『レギュラーとして試合に出るべきだ』とか言われるのは普通のことだと思う」
「ただ、僕がいやだったのは、人々がそれを簡単なことのように言ったことだ。リバプールを出て他に行けばいいじゃないか、ということをいかにもすぐに実行できるかのように」
「僕が良いプレイをしたら、すぐにリバプールのクラブに対して『さようなら。僕は出てゆきます!』と言えるかって?そんなことはあり得ない」
「No.2でいるということは大変なことだ。試合に出られる機会はものすごく少ないし、その時が来たら良いプレイをしなければいけない。そして、僕はそれをなんとかこなせたと思っている。リバプールで」
ブレントフォードでは、ケレハーは今季プレミアリーグ14試合全てにスタートしています。その中でクリーンシートは2です。
リバプールの方はと言えば、新No.2のギオルギ・ママルダシュビリは、アリソンの負傷欠場があったため、既に10試合(全大会の合計)に出ています。ただ、その間リバプールは最悪の成績を続けました。
*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

















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