リバプールFCの歴代No.9まとめ

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ロバートソンが好きな人です。 ロボの影響でスコットランド代表も追ってます。 リバプールについて多角的に掘り下げていきます。 決して詳しくは無いですが、フットボールのビジネス的な側面にも興味があります。
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ロビー・ファウラー

画像出典:LFC公式Twitter

  • 名前:Robbie Fowler 
  • 生年月日:1975年4月9日
  • 国籍:イングランド
  • 身長:175㎝
  • キャリア:リバプール(ENG/93-94~), リーズ(ENG/01-02~), マンチェスター・シティ(ENG/02-03~), リバプール(ENG/05-06~), カーディフ(WAL/07-08~), ブラックバーン(ENG/08-09~), ノーザン・フューリー(AUS/08-09~), パース・グローリー(AUS/10-11~), ムアントン・ユナイテッド(THA/11-12)

ファウラーは、スカウサーであり多くの輝かしい成績を残した、リバプールの9番を語る上で欠かせない存在である。175cmと体格に恵まれているわけではなく、傑出したスピードを持っているわけでもなかったが、並外れたゴールへの嗅覚を武器にどんな状況でもゴールを生み出せる稀有なストライカーだった。リバプールの選手として通算100得点を挙げる(これはファウラーに加えジェラード、オーウェン、サラーの4人しか達成していない)など素晴らしい結果を示し、なによりもその憎めない人柄や行動でKOPから愛された選手である。

ルイス・スアレス、マリオ・バロテッリをはじめ数々の悪童が在籍したリバプールだが、彼もまたその一人であった。酒場で乱闘騒ぎを起こし、鼻を骨折してジェラール・ウリエ監督に大目玉を食らったり、相手サポーターの「ファウラーは薬中だ」という横断幕に反応してコカイン吸引パフォーマンスを行いFAに処分を食らったりと、彼の問題行動は枚挙にいとまがない。しかし、処分の危険を顧みず、ゴールパフォーマンスでリバプールの湾岸労働者のストライキを支援するTシャツを掲げる(当然FAには処分されたが、リバプールの労働者階級からは熱い支持を得た)、自らが得たPKについて審判に「あれはファウルじゃないからPKを取らないでくれ」と申告するなど、悪事ばかりを働いているわけではない。彼がKOPから愛された理由であろう。

1975年、リバプールで産声を上げたファウラーは、リバプールの下部組織で育った。1993年9月25日のチェルシー戦に18歳の若さで出場しプレミア・デビューを果たすと、そのシーズンは12得点を記録。注目を集めた次シーズンは25得点。さらに次は28得点と、目覚ましい成長を見せ活躍した。その後も1994年のアーセナル戦ではわずか4分33秒でのハットトリック、96-97シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは得点王に輝くなど、数多の記録を作り出し、リバプールのエースストライカーとして確固たる地位を築いた。

しかし、そんな彼もオーウェンの台頭により出番を減らすと、ある日、アシスタントコーチを叩きベンチから外されてしまい、結局そのままリーズに放出されてしまう。しかし、2005年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝では、当時所属していなかったにも関わらずイスタンブールのスタジアムまで足を運ぶなど、クラブを去った後も変わらぬリバプール愛を見せた。

その後は様々なクラブを渡り歩き、2006年にリバプールへ復帰している。なお、2007年の退団時にもキャンプの打ち上げでイェジー・デュデク、ジャーメイン・ペナントを引き連れ、酔って大暴れするという騒動を起こしている。

数々の問題行動を起こし、現ユルゲン・クロップ政権に在籍していたらすぐさま干されてしまいそうな彼だが、リバプールでの公式戦369試合出場、183得点50アシストという素晴らしい成績は、今なお語り継がれている。

ジブリル・シセ

画像出典:LFC公式Twitter

  • 名前:Djibril Cissé
  • 生年月日:1981年8月12日
  • 国籍:フランス/コートジボワール
  • 身長:182㎝
  • キャリア:オセール(FRA/98-99~), リバプール(ENG/04-05~), マルセイユ(FRA/06-07~ loan), マルセイユ(FRA/07-08~), サンダーランド(ENG/08-09~ loan), パナシナイコス(GRE/09-10~), ラツィオ(ITA/11-12~), QPR(ENG/11-12~), アル・ガラファ(QAT/12-13~ loan), クバン・グラスタノール(RUS/13-14~), バスティア(FRA/13-14冬~), サン=ピエロワーズ(FRA/15-16), イヴェルドン=スポール(SUI/17-18~), PAOシカゴ(USA/20-21~)

04-05シーズンから2シーズンに渡り9番を背負ってプレーした。2つの国籍を持っているが本人はフランス代表を選択し、A代表で41試合に出場している。

98-99シーズンにキャリアをスタートした彼は、フランスのリーグ・アンにて01-02シーズンに22得点、03-04シーズンには26ゴールを挙げ、一躍ビッグクラブ注目の選手となった。そして2004年7月1日、以前から移籍の噂が取り沙汰されていたリバプールに移籍。しかし、プレミアリーグの高いインテンシティや当時の指揮官ラファエル・ベニテスの戦術への順応に苦しんだ。さらに12月には左足腓骨及び脛骨の同時骨折の重傷を負い、戦線から遠ざかる日々が続いた。05-06シーズンに怪我から復帰すると、期待されていた本来の姿を取り戻しつつあったが、2006年のドイツW杯前、中国との親善試合でまたも骨折。次のシーズンからはローンで母国フランスのマルセイユへ移籍し、結局このままリバプールを去ることになった。

その後は様々なクラブを渡り歩き、40歳となった今でも現役を続行している。最近はドラマ出演や香水ブランドの立ち上げなど多方面で活躍しているという話がある。

エル=ハッジ・ディウフ 

画像出典:thisisanfield

  • 名前:El-Hadji Ousseynou Diouf
  • 生年月日:1981年1月15日
  • 国籍:セネガル/フランス
  • 身長:181㎝
  • キャリア:ソショー(FRA/98-99~), レンヌ(FRA/99-00~), RCランス(FRA/00-01~), リバプール(ENG/02-03~), ボルトン(ENG/04-05~ loan), ボルトン(ENG/05-06~), サンダーランド(ENG/08-09~), ブラックバーン(ENG/08-09~), レンジャーズ(SCO/10-11~ loan), ドンカスター(ENG/11-12~), リーズ(ENG/12-13~), サバ(MAS/14-15)

2002年の日韓W杯でベスト8と大きく躍進したセネガル代表。その中でも一際輝きを放ったのがエル=ハッジ・ディウフである。MVP投票においてベスト4以下の選手として最も高い7位に入賞した。現在リバプールに所属するサディオ・マネは、母国セネガルは日韓W杯で大盛り上がりだったこと、セネガル代表のスターに憧れていたことをのちに語っている。マネの少年時代、彼の熱い視線の先にいたのはディウフだったのかもしれない。

大会後、彼は鳴り物入りでリバプールに入団し、02-03から2シーズン9番を背負ったがいずれもインパクトを残すことはできず退団した。そればかりか退団後には、リバプールのレジェンドであるジェラードが自身の自伝において「ディウフは私が嫌いなチームメイトの最上位だった」、「フットボールやリバプールのことを全く気にかけていない」と彼のことを痛烈に批判している。これをきっかけにメディア越しの舌戦を繰り広げたこともあった。

ニコラ・アネルカ 

画像出典:LFC公式Twitter

  • 名前:Nicolas Anelka
  • 生年月日:1979年3月14日
  • 国籍:フランス
  • 身長:185㎝
  • キャリア:パリ・サンジェルマン(FRA/96-97~), アーセナル(ENG/96-97~), レアル・マドリー(ESP/99-00~), パリ・サンジェルマン(FRA/00-01~), リバプール(ENG/01-02~ loan), マンチェスター・シティ(ENG/02-03~), フェネルバフチェ(TUR/04-05~), ボルトン(ENG/06-07~), チェルシー(ENG/07-08~), 上海緑地申花(CHN/11-12~), ユヴェントス(ITA/12-13 loan), WBA(ENG/13-14~), ムンバイ・シティ(IND/14-15~15-16)

彼はパリ・サンジェルマンでキャリアをスタートした。18歳の時、50万ポンドでアーセナルに移籍した彼は65試合23ゴールの活躍で評価を高めた。しかし、次に移籍したレアル・マドリーでは結果が残せず、その後は不振でフランス代表からも遠ざかる日々が続いた。なお、アネルカはフランス代表に縁がなくW杯の代表選考では3回も落とされている。

彼は01-02シーズンにリバプールの9番を背負った。PSGからのローンでやってきたが20試合4ゴールと大きなインパクトは残せず、1シーズンで退団している。

その後様々なクラブを渡り歩き、プレミアリーグ得点王に輝くなど活躍を見せたチェルシー時代には、ディディエ・ドログバとの2トップを組み、抜群のコンビネーションを発揮した。ドログバとの共演を志願したのはリバプール時代にオーウェンと組んでチャンスメイクの楽しさを知ったからだ、と語っており、リバプールでの経験はキャリアにしっかりと生かされている。

マイケル・トーマス 

画像出典:thisisanfield.com

  • 名前:Michael Thomas
  • 生年月日:1967年8月24日
  • 国籍:イングランド
  • 身長:178㎝
  • キャリア:アーセナル(ENG/84-85~), ポーツマス(ENG/86-87~), リバプール(ENG/91-92~), ミドルスブラ(ENG/97-98~ loan), SLベンフィカ(POR/98-99~), ウィンブルドン(ENG/00-01)

アーセナルの下部組織でユース年代を過ごした彼はそのままアーセナルでデビュー。その後、91-92シーズンから7年間リバプールに所属したトーマスは95-96シーズンから9番を身に着けてプレーした。他に背負った番号としては11番があげられる。ちなみに、9番はFWの選手が身に着けることが多いが、彼の本職はMFであり、リバプールでも主に中盤の選手としてプレー。合計124試合に出場している。

余談だが、アーセナルに在籍していた88-89シーズンには、当時のイングランド1部リーグに当たるEFLディヴィジョン1の最終節にドラマを起こしている。試合がこのまま終わればリバプールの優勝が確定するという場面で、トーマスがゴール。その結果アーセナルが劇的な逆転優勝を飾ることになり、KOPにとってはなんとも苦い思い出となってしまった。なお、この逆転優勝劇は『89』という題名で映画にもなっているが、リバプールファンの皆さんは見る際に少し覚悟を決めておくといいかもしれない。

背番号固定制について

ここまで紹介してきたのは、1993-94シーズンに背番号固定制が導入されて以降に9番を背負った選手たちである。この制度が導入される以前は1~11番を付けた選手が試合に出場するシステムだった。そのため、本来の9番の選手が何らかの理由で欠場する際にはリザーブメンバーの誰かが9番を付けて出場した。

背番号固定制導入前の選手を全員紹介すると前述の制度の都合上、膨大な数になってしまうので、ここからは9番として名を馳せた、特に有名なレジェンドを紹介するに留めたいと思う。

イアン・ラッシュ 

画像出典:LFC公式Twitter

  • 名前:Ian Rush
  • 生年月日:1961年10月20日
  • 国籍:ウェールズ
  • 身長:183㎝
  • キャリア:チェスター・シティ(ENG/79-80~), リバプール(ENG/80-81~), ユヴェントス(ITA/87-88~), リバプール(ENG/88-89~), リーズ(ENG/96-97~), ニューカッスル(ENG/97-98~), シェフィールド・ユナイテッド(ENG/97-98~ loan), レクサム(WAL/98-99~), シドニー・オリンピック(AUS/99-00)

660試合出場、346得点。このクラブレコードをもってして、彼をリバプールの9番史上最も優れた選手だと結論付けて差し支えないのではないだろうか。

チェスター・シティでデビューした彼は1980年に当時の10代としてイギリス史上最も高額な移籍金である30万ポンドでリバプールにやってきた。その頃のリバプールはかの名将ボブ・ペイズリー氏が監督を務めていた。リバプール移籍当初は出場機会に恵まれず、ラッシュは移籍を志願したが、彼の才能を見抜いたペイズリーは移籍を許可しなかった。

彼の読みは的中し、リバプールに移籍してきて1年が経過した81-82シーズンにはラッシュはチームに完全にフィット。49試合で30ゴールを挙げると同時に、これが伝説の幕開けとなった。83-84シーズンには47ゴールを挙げ、英国人として初めてのゴールデンブーツ賞を受賞。さらにチームとしても三冠を達成し、ケニー・ダルグリッシュらとともにリバプールの黄金期を築き上げた。

リバプールで不動の9番として君臨していたラッシュだったが、87-88シーズンにユヴェントスに移籍した。当時、彼を慰留するために「Rushie Must Stay」なるキャンペーンも開催されたそうだ。そんな働きかけも虚しく、イタリアに旅立ってしまった彼だったが、一年後すぐにマージーサイドへと帰還する。

リバプールに戻ってきたラッシュは89年にエヴァートンのレジェンドであるディキシー・ディーンを抜きマージーサイド・ダービーで最もゴールを決めた選手になり、さらに92年にはクラブの歴代最多得点記録を打ち立てた。彼の残した記録、そしてトロフィーの数々は、今後もKOPの間でレジェンドの偉業として永遠に語り継がれていくことだろう。

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