リバプールFCが誕生した 「1892年」 はどんな年だったのかを振り返る

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画像出典:LFC公式サイト

「1892年」はリバプールFCのサポーターにとって特別な年ですよね。リバプールFCのクレスト(エンブレム)にも刻まれているように、1892年はリバプール・フットボール・クラブが誕生した年です。今年、2017年はそんなLFC創立125周年ということもあり、復刻版ユニフォームや、アニバーサリー・イヤーに相応しいシャツやスニーカーといったグッズが数多く作られています。

画像:NewBalance公式Twitter

しかし、今から125年前の日本は明治25年。私たちには少々昔のことで、この時代はどんな年で、なにが起きていたのか、知っている方は少ないのではないでしょうか。筆者は現在大学生で、ヨーロッパの歴史や文化などを学んでいるのですが、つい先日、古代オリンピックと近現代オリンピックについての講義を受けた際、その資料として配布された年表に、「1892年:ピエール・ド・クーベルタン(古代オリンピックを現代に復活させた『近代オリンピックの父』と呼ばれるフランス人)が古代オリンピックの復活を提唱」と書かれており、「リバプールFCが生まれた年じゃないか!」とすぐに隣で講義を受けている友達に話を振ってしまいました。

はい、ここまでは2017年の私が書いたものです。いや懐かしすぎないか?大学一年生だぞ…。今は5年経った2022年の6月3日、リバプールは今日で創立130年となりました。大学生に戻りたい…。まぁ叶わない夢を言ってないで、本題に入りましょう。

今回は1892年に世界や日本でなにが起きていたのか、というのをご紹介していきたいと思います。サッカー要素はゼロに等しく、社会や歴史の話になってしまいますが、小難しい話もほとんどありません。リバプールFCが誕生した1892年になにがあったのか、少しでも興味があるという方は是非続きをお読みいただければと思います。

 

月毎に、日本または世界で起きたことを一つずつ選んでみました。今回はこの中から半分ほど選び、紹介していこうと思います。

 

1892年2月27日

その名を知らぬ者はいない、超一流ファッションブランドのルイ・ヴィトン。このブランドの創始者である、ルイ・ヴィトン氏が亡くなったのがこの日になります。

1821年にフランスのコンティ地方で生まれたルイ・ヴィトンは、家出をして14歳のときにパリへ。そこで、今でいうスーツケースを作る仕事に就き、30歳の頃には評判の良い腕利きの職人となります。そして1854年にはパリに自分の店を構えるほどになりました。

そんなヴィトンは時代の流れを読む慧眼を持っていました。彼は馬車から船や機関車が交通手段の主流になると予想し、雨水を弾くための蓋の丸いトランクから、室内で積み上げられるように平らなトランクを作りました。素材も防水加工にするなど、彼の作るスーツケースは軽くて丈夫だと高い評価を得ます。そして私生活でも充実していた彼には1857年に、後の二代目社長ジョルジュ・ヴィトンが生まれます。

彼のスーツケースは国内外で評判となり需要が増えたため、1859年にパリ近郊のアニエール=シュル=セーヌに工場を作り、さらに1885年には国外初のショップをロンドンでオープン。ただ、この頃からルイ・ヴィトンの偽物が出回り始め、以降はコピー商品との戦いの毎日でした。そして1892年2月27日に70年の生涯を終えます。彼の死後、息子のジョルジュが社長に就任すると、ルイ・ヴィトンは世界的なブランドへと発展することになりました。

 

1892年3月1日

小説『羅生門』や自身の名を冠した「芥川龍之介賞」などで知られる、作家の芥川龍之介。彼が生まれたのがこの日になります。

東京で牛乳販売製造業を営む新原敏三とフクの元に生まれた彼は、7歳の頃に母の実家である芥川家に預けられ、養育されることになります。その後、芥川家の養子となり、姓も芥川と名乗るようになります。1923年に東京帝国大学(現・東京大学)に入学し、在学中に菊池寛や久米正雄らとともに『新思潮』を刊行します。そして1915年に自身の代表作である『羅生門』を発表。同年、夏目漱石の門下となります。

彼の作品はその多くが短編ですが、特に『羅生門』は高校の国語の教科書の題材となっているため、皆さんも一度は読んだことがあるのではないでしょうか。1927年7月24日に服毒自殺をし、わずか35歳でこの世を去った際には社会に衝撃を与えましたが、彼の死後に親友の菊池寛が『芥川龍之介賞』を創設しました。

リバプールFCと同い年の芥川龍之介。なにか本を読んでみようかな、と思ったときは、芥川賞を受賞した本を選ぶのもまた一興ではないでしょうか。

 

1892年4月15日

“発明王”と知られるトーマス・エジソン。そんな彼が設立した電気照明会社が合併を繰り返し、誕生したのがゼネラル・エレクトリック(略称:GE)。世界最大のコングロマリットが誕生したのがこの日になります。

ゼネラル・エレクトリック社は、前述の通り世界最大のコングロマリットというだけあって、その事業内容は多岐に渡り、家電製品、鉄道機器、航空機エンジン、産業用ソフトウェア、重機器、発電・送電、水処理機器、石油・ガス、医療機器、製薬、金融、不動産など数えきれないほどの幅広い分野で業務を展開しています。

また、アメリカにおけるGEの歴史は、ダウ平均株価の構成銘柄のうち唯一残存する企業であり、欧米と中国における特許取得数は世界一です。そのため、GEの歴史は現代アメリカの歴史そのものと言っても過言ではありません。

日本にも日本GEがありますが、こちらは主に医療、金融、不動産がメインとなっています。典型的な外資企業で実力主義、調べた限りやはりお給料もいいようです。リバプールFCと同じ年に歩み始めた世界屈指の大企業。転職をお考えの方で我こそはという方はぜひ一度GEを検討してみてはいかがでしょうか。

 

1892年8月1日

明治・大正・昭和・平成の4つの元号を生き、“きんさんぎんさん”の愛称で親しまれた双子の姉妹である、成田きん・蟹江ぎんが生まれたのがこの年です。

画像出典:スポーツ報知

彼女たちは1991年に数え年で100歳を迎えた際、その長寿の祝いが新聞で報じられたことによって世間に知られることになり、ダスキンのCMに出演したことによって国民的な人気を得ました。

きんさんは2000年1月23日、ぎんさんは2001年2月28日にそれぞれ亡くなりますが、今でも平成の歴史を振り返る番組などで彼女たちが取り上げられることも少なくありません。そのため、Z世代の方でも彼女たちをテレビで見たことがある、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。今度テレビで彼女たちを見かけた際、「そういえばリバプールと同い年じゃん」というどうでもいい情報を思い出していただければ幸いです。

 

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