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Netflixオリジナルのドラマ・シリーズ『アドレセンス(Adolescence)』が話題を呼んでいることをご存知だろうか。
日本での反響はまだ比較的弱いものの、英語圏を中心に世界各国で凄まじい反響を引き起こしている。本作は13歳の少年が突如殺人の容疑をかけられたことから始まる。そこから少年、学校、家族と視点を移すことで、彼を取り巻く様々な社会状況について描く。制作国のイギリスではすでに議会でとりあげられ、学校現場でも教材として上映される予定だという。
さて、本作がリバプールと深い関りをもっていることをご存知だろうか。例えば、主演俳優陣の一人でプロデューサーにも名を連ねているスティーヴン・グレアム(Stephen Graham)はリバプール出身かつリバプールFCの熱心なファンであり、弱冠15歳にして主演を務めたオーウェン・クーパー(Owen Cooper)もリバプール・サポーターである。また、グレアムの背景に合わせてか、主人公少年の一家はリバプール出身という設定で、少年の両親はリバプールの方言であるスカウス・アクセントの英語を話す。後述するが、この設定によって、本作に深みが生まれているのではないかと筆者は考える。
本作をぜひリバプール・ファンの皆様に薦めたい理由として、制作・キャスト陣やアクセントをはじめとするリバプールとの関りのみならず、本作の扱う社会問題がサッカー・ファンのあり方にも深く関わるからである。
(なお、本記事ではドラマに関するネタバレは避けている。)
1. Netflixドラマ『アドレセンス』とは
『アドレセンス』は、3月にNetflixで公開されたイギリス発の4話構成のドラマである。公開されるや否や世界的に反響を呼び、Netflixのグローバル・ランキングを何週間にもわたりにぎわせ続けた。今や、Netflixにおける英語のドラマのうち歴代3位の視聴数を誇る(『ウェンズデー』と『ストレンジャー・シングス』に次ぐ)(2025年5月15日時点)[1]。本作がこれほどの反響を呼ぶ理由はさまざまあるが、ひとえにその社会性とエンタメ性にあるだろう。SNSやジェンダー規範など極めてシリアスな現代社会の課題を扱いつつ、スリリングで先の読めない、手に汗握る展開は多くの視聴者を惹きつけた。
◆配信開始
— Netflix Japan | ネットフリックス (@NetflixJP) March 13, 2025
Netflixシリーズ『アドレセンス』(イギリス)
クラスメイトの殺人罪に問われた13歳の少年。
一体何が起きたのか? 少年の家族、心理療法士、そして事件を担当する刑事がたどり着いた答えとは。
ワンカットで撮影された4つのエピソードからなるドラマシリーズ。#アドレセンス pic.twitter.com/cF8kzGX462
本作は、13歳の少年がある日の朝、突如殺人容疑で逮捕されるところからはじまる。どうみても殺人を犯しそうにないこの無垢な少年が本当に犯人なのかと、誰もが首をかしげるであろう。本作は、すべてをワンショットで撮っているため、映像面でも迫力満載である。物々しいマシンガンをもった警察の特殊部隊が家に突入して行われた少年の逮捕から、緊張感あふれる警察や弁護士の会話、家族の動揺、そして尋問に至るまで、衝撃に満ちたシーンが次々に展開される様を、誰しもが固唾を飲みながら見守ることになるだろう。
また、のちほど改めて詳細に述べるが、SNSがいかに社会における有害な要素を増幅させ、それゆえに人々、特に子どもに悪影響を及ぼしうるかを、『アドレセンス』は痛々しく、リアルに描いている。本作が社会に鳴らした警鐘は、実に多くの人の耳に届くことになった。家族と本作を鑑賞したというイギリスのスターマー首相は、本作が描く「深刻さを増す問題」に対処せねばならないと議会で表明し、議会や学校での上映を支持した(ちなみに議会でこれを取り上げたアナリーズ・ミッジリー(Anneliese Midgley)議員はリバプールの選挙区から選出されている)[2]。それだけでなく、政府主導で学校での上映に向けて動いており、実際にNetflixもすでに学校での無料上映を許諾しているという[3]。本作が広げる波紋は今後も様々な展開となって現れそうである。
2. Netflixドラマ『アドレセンス』をリバプール・ファンがみるべき4つの理由
さて、本作が大きな反響を呼んでいる評判作であることをおわかりいただけたあとで、本作をぜひリバプール・ファンの皆様におすすめしたい理由を4つ述べたいと思う。
(1)制作・キャスト陣にリバプール関係者が多い
まず、本作に携わった制作とキャスト陣の顔ぶれをつぶさに見ていくと、リバプール出身者もしくはリバプールFCのサポーターが数多く見当たる。
本作で容疑者少年の父親を演じ、脚本とプロデューサーにも名を連ねるスティーブン・グレアムは、リバプール出身であり、かつリバプールFCの熱心なファンとしても知られている。『スナッチ』『This is England』『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなど名だたる映画やドラマに出演してきた名優のグレアムはかつてSky SportのSoccer AMに何度も出演し[4]、FA Cupの公式Youtubeチャンネルでマージ―サイド・ダービーについて語ったこともある[5]。実は、フットボールは彼が本作を制作する上でインスピレーションも与えている。グレアムはリバプールの試合を観戦している最中に、自身が演じる父親役の名前を、ともに観戦していた家族の一人である叔父にちなんでエディー(Eddie)と名付けようと思い至ったという[6]。とあるインタビューでグレアムは自身の育ち、および自分の世代と現在の若者が置かれた状況の違いへの省察が、本作の構想に大きく影響したと語っている[7]。そのため、家族と一緒に観戦する最中に自身の役名を思いつくというのは、彼にとって重大な意味があることが伺える。そんなリバプール大好きなグレアムだが、今年のカラバオ・カップ決勝前に出演した動画では、忙しいすぎるせいで最近はあまりスタジアムで観戦できていないことを語った[8]。彼が再びスタジアムで大好きなリバプールの試合を観れる瞬間が一刻も早く訪れることを願うばかりだ。
No matter the role, Stephen Graham will pull out all the stops and break our hearts. #Adolescence pic.twitter.com/3p3wpH9Ff0
— Netflix UK & Ireland (@NetflixUK) March 16, 2025
(ドラマ『アドレセンス』で心揺さぶる演技を見せる名優グレアム)
本作は他にもリバプール出身者が関わっている。容疑者少年の母(つまりグレアムが演じる男性の妻)を演じるクリスティーン・トレマルコ(Christine Tremarco)もリバプール出身である[9]。ただし、彼女が特定のサッカー・チームを応援しているという情報は見当たらなかった。
さて、リバプール出身ではないものの、リバプールFCの熱心なファンである出演者がいる。主人公の少年を演じたオーウェン・クーパーである。なんと彼は本作で俳優デビューだそうだ。クーパーは、初の芝居とは思えない幅広い演技力で、複雑な主人公を見事に演じてのけた(特に、臆病さと鋭さ双方を併せ持った彼の目つきが印象的だ)。そんな彼は、オーディションでリバプールがお気に入りのサッカー・チームだと答えている[10]。本作で名をあげたクーパーは夢のような機会を手に入れることになる。リバプールの2024/25シーズンの優勝が決まったトッテナム・ホットスパー戦で、試合前に、同じくリバプール・ファンで知られる女優のミリー・ボビー・ブラウン(Millie Bobby Brown)とともに、公式インスタに登場し、試合の盛り上げに一役を買った[11]。まだ弱冠15歳のクーパーが今後どんな活躍を見せるのか、楽しみでならない。
Somehow #Adolescence was Owen Cooper’s first ever on-screen role and he absolutely nailed it. pic.twitter.com/ElNXK3KU6x
— Netflix UK & Ireland (@NetflixUK) March 15, 2025
(ドラマ『アドレセンス』で多彩な演技を見せるオーウェン・クーパー)
本作の制作陣や俳優陣にはまだまだリバプール出身者もしくはリバプールFCのサポーターがいる可能性があるものの、筆者が調べた範囲だけでも、これだけリバプールに関係する人がいることがわかった。サッカーで盛り上がるだけでなく、リバプールに関わる者の活躍する姿を楽しむのもリバプールを応援する醍醐味の一つ。ぜひ、ドラマ『アドレセンス』で彼らの努力と才能の結晶を観てほしい。
(2)作中にリバプール関連のモチーフが登場する
さて、本作にはリバプールFCのファンならだれが見ても「あっ!」と驚くモチーフが登場する。ここでは、著名なものを一つ取り上げる。ただし、ゼロから自力で見つけたいと思う方は、ここのセクションを読み飛ばしてほしい。ちなみに、筆者は作品の展開にあまりにも夢中で、この部分をみて一瞬「あれっ」と思いはしたものの、すぐに物語に注意力を戻した。のちに種明かしを受けたときに、どれだけ悔しかったことか。。。。。。
さて、種明かしをしよう。3話で容疑者少年と心理カウンセラーの長い対話が登場するが、そこのテーブルの上に落書きで「LFC > MUFC」と書かれているのである。いうまでもなく、これはリバプールがマンチェスター・ユナイテッドよりも優れているという意味だ。リバプール・ファンであれば、満面の笑みがこぼれるような内容である。これはリバプール・ファンであるクーパーが書いたものであることが明らかになっており、なんとリバプールFCの公式ホームページでも取り上げられている [12] 。
さて、これを知ったあとに、筆者は思わず考えた。「他にも見逃しているリバプール関連のモチーフがあるのだろうか」と・・・。これから鑑賞する方にはぜひ画面の隅々まで目を凝らしていきたい。
(3)スカウス・アクセントがたくさん聞ける
本作において「アクセント」、つまりイギリスの各地の訛り/方言も注目点の一つである。
グレアムとトレマルコ演じる少年の両親は、いずれも彼らの出身地であるリバプールの方言を作中で話す。そして、明確に彼らの演じるキャラクターがリバプール出身であることを明確に示す台詞が作中で登場する。実際に、彼らのスカウス・アクセントはかなりはっきりしており、これは筆者も本作を鑑賞する際に非常に気になった部分である。ちなみに、主人公の少年を演じるクーパーは、かなり訛りの強い英語を話すものの、彼の出身地であるチェシャー地方(Cheshire)のウォリントン(Warrington)の方言だそうだ(ちなみにこれはクオンザー選手の出身地でもある)。本作は意図的に俳優陣に自分たちの本来のアクセントを話すことを許すことで、様々な訛りが混ざった作りとなっている(ちなみに撮影地はクーパーの地元)[13]。

訛りがイギリス国内において重要な要素であることは、リバプール・ファンであれば知っておいてもよいだろう。リバプールの方言であるスカウス・アクセントがかなり独特であることに加え、このアクセントゆえにリバプール出身者が様々な差別を受けてきた歴史があるからだ[14]。劇中で、主人公の少年の逮捕により彼の家族があらぬ中傷を受けながらも、グレアム演じる父が「リバプールには帰らない」と決意を語るシーンがあるが、リバプール人にまつわるこれらの背景を知っていると、このシーンはとてつもない重みを帯びているように感じられる。
This shot from episode 3 of #Adolescence… chills. https://t.co/YkC4aOJEb4 pic.twitter.com/VaHFdRFRwM
— Netflix UK & Ireland (@NetflixUK) March 14, 2025
(『アドレセンス』3話の一コマ)
また、主人公の少年が3話で心理カウンセラーに向かって、「あなたはポッシュ(posh)ね」と吐き捨てるシーンがある。ポッシュは大ざっぱに言えば「育ちがいい」「上流階級の」という意味を持つ形容詞だが、イギリスが階級社会であることを考えると大きな意味を持つ。筆者もイギリスのアクセントに精通しているわけではないものの、女性の心理カウンセラーを演じるエリン・ドハティ(Erin Doherty)は西サセックス地方(West Sussex)のクローリー(Crawley)という町の出身で、ロンドンなどの労働者階級が話すコックニー(Cockney)・アクセントを話す[15]ため、厳密な意味でポッシュと言えるかはわからない。一方で、彼女はNetflixの『クラウン』などでアン女王など、上流階級の役を演じてきた経験も多い。そのため、このシーンにおける「ポッシュ」は、彼女の(脚本の設定にある)役柄の所作や育ち、またはクーパー演じる少年の単なる一方的な印象、に言及しているのではないかと推察される。本作はスクール・カーストをはじめ、人に劣等感を抱かせるヒエラルキー的な観念を取り扱うが、主人公少年が吐いたこの台詞は、まさに彼と心理カウンセラーの間にある大きな隔たりを指し示しているであろう。
ドラマ『アドレセンス』はリバプールの訛りを数多く聞けるのみならず、方言が浮き彫りにするイギリスの社会の一面について考えさせられる作品でもある。
(4)社会問題からサッカー・ファンのあり方を考えられる
本セクションの最後にいささか突拍子もなく聞こえるが、本作が取り扱う社会問題について触れたい。これらに触れるのは、本作の魅力を伝えたいという筆者の個人的な思いのみならず、これらの問題がサッカー・ファンのあり方を考える上で重要な観点を提起しているからでもある。
SNSが社会にある有害な要素を増幅させてしまう現象について本作が取り上げていることはすでに述べた。クーパー演じる主人公少年の容疑を掘り下げていくと、実に大人たちにはなかなか理解できないインターネット世界の複雑さや陰湿さが見えてくる。ここでいう有害な要素というのは、大ざっぱに言えば人に劣等感を抱かせるような、社会にある様々なヒエラルキー的な要素である。例えば、スクール・カーストもその一つである。SNSで、クラスのイケている男女の投稿をみたり、彼らからSNSでもいじめを受けたり、はたまた第三者がイケている人とそうでない人について訳知り顔で語る様子を見たりすると、コンプレックスがさらに肥大化してしまうのは容易に想像つくであろう。数多くある有害な要素のうち、とりわけジェンダーに関わるものに本作は着目している。
(出典:Wikimedia Commons)
ここで本作を理解する上で重要なキーワードについていくつか解説する。いささか関係のない話題にみえるが、迂回してサッカー・ファンのあり方につなげる。まずは、「有害な男らしさ(toxic masculinity)」がある。社会的に「男らしい」とされる要素はいくつかあるが、その中でも個人のつらさやコンプレックスを助長させるようなものを指す。これは人によっても感覚が違うので、なかなか一概に論じづらいが、たとえば「男性は一家の長として家族を養うべきだ」とか「男性は他人に対して泣き言を言ったり弱音を見せたりするべきではない」とかがあげられる[16]。
その中の一つが女性への差別的な視線や言動で、いわゆる「ミソジニー(misogyny)」と呼ばれるものだ(和訳すると「女性嫌悪・ 蔑視 」といったところだろうか)。つまり、女性を見下し、軽々しく扱うことが男らしい行動とされることがあるのだ[17]。日本語でもX(旧称Twitter)などで女性の口説き方やナンパの仕方を説くポストを多数見かけるが、その中には女性をぞんざいに扱うことを主張するものも多い。このようなミソジニーを含めた有害な男らしさにこだわる言説は「マノスフィア(manosphere)[18]」と呼ばれ、(特に英語圏では)「レッドピル」「20/80の法則」といった言葉がよく取りざたされる[19]。「レッドピル」というのは映画『マトリックス』に登場した赤い錠剤に由来し、世界の不都合な真実を知ることを指す言葉だが、マノスフィアでは女性うち8割は2割の男性に惹かれる(ゆえに上位2割に入れない男性は淘汰される)という「20/80の法則」を知ることを指す。当然これは科学的な根拠があるわけではないが、多くの人々に受け入れられている。
このような、様々な点で世の「男らしさ」になじめず、淘汰されたとされる男性(例えば女性にモテず、社会的な地位もない独身男性)を日本語圏では「弱者男性[20]」と呼ぶことが多く、英語圏では「インセル(incel)」という言葉がよくつかわれる。インセルは、「不本意な禁欲主義者(involuntary celibate)」の略称で、様々な原因で女性と関係を結べずに、不本意な形で禁欲を強いられた男性たちを指す言葉である。この言葉は当然男性を攻撃する際の言葉として使われ、このような言説の跋扈によって多くの男性が劣等感をさらに募らせている現状がある。従来、ジェンダー論やフェミニズムは、社会における女性への構造的な差別を取り扱ってきたが、近年はこのような「弱者男性」をめぐる現象も扱われるようになり、「男性学[21]」という分野もある。実際、男性をめぐる問題はかなり深刻であり、たとえば自殺者に占める男性の数は概して女性よりもはるかに高い[22]。
興味深いことに、男らしさからあぶれた「弱者男性」もしくは「インセル」が逆に「男らしさ」に固執する現象はかなり数多くみられる。コンプレックスゆえに、自身を苦しめる規範にさらに取りつかれてしまうということだ。読者の中にもこのような劣等感やジェンダー規範を内面化してしまっている方がいるかもしれない。また、子どもを持つ方であれば、子どもがこのような言説の影響を受けないか心配に思う方も多いだろう。ドラマ『アドレセンス』はこれらの問題を深刻な形で真正面から取り上げた意欲作でもある。
“One of our aims was to ask, “What is happening to our young men these days, and what are the pressures they face from their peers, from the internet, and from social media?’” Adolescence star Stephen Graham says.
— Netflix Tudum (@NetflixTudum) March 18, 2025
Read more: https://t.co/vIbLIzN5qx pic.twitter.com/JLC3nh1Zk3
さて、忌憚なくいえば、サッカー・ファンの中には(特に男性)、このような「有害な男らしさ」を併せ持っている方が多いのではないだろうか。中には、「弱者男性」と分類されうる方もいれば、そうでない方もいる(また、女性の中にもこのような規範を内面化し、男性の劣等感を助長する、もしくは女性を軽視する言動を繰り返す方がいるかもしれない)。特に、従来より男性が相対的に多かったサッカー・ファンのコミュニティでは未だに女性への差別や軽視が根強く残っている。
例えば、2021年にリバプール・サポーターズクラブ日本支部が実施した女性ファンへのアンケート調査では、実に多くの女性が「イケメン選手が好きなだけでしょ?」や「オフサイドわかるの?」、「女の子なのにサッカー見るの?」といった発言を受け、無視・マウントを受けた経験があることがわかった[23]。また、Xなどで、女性への侮辱的な発言や男らしさに固執した言動を繰り返すユーザーを目の当たりにしてきた方も多いのではないか。

リバプールの街に限定しても、このような現象・事件は多く見られる。例えば、本作のモデルとなった事件の一つとされるものに、2023年1月にリバプールで発生した17歳の少年が3名の女児を突き刺して殺した事件がある[24]。サッカー関連でも、暗いニュースがいくつもある。2021年に当時のクロップ監督を「ロックダウン中ずっとホームで負け続けた」と揶揄したポストがSNS上であったが、そのポストでDV(家庭内暴力)を受けた女性の写真が使われた。これにより、被害者女性はトラウマを刺激され、警察が介入する事態となった[25]。また、2021年にリバプールFCの女性チームでプレイしていたリンソラ・ババジデ(Rinsola Babajide)選手が人種差別・性差別的な投稿をされる事件が発生し、クラブ公式が抗議の声明を出す事態となった[26]。人種差別もまたSNSで増幅された社会の有害な部分である。2021年にマネ、ナビ・ケイタ、トレント・アレクサンダー=アーノルド選手が人種差別的な投稿を受けたことがまだ記憶に新しい方も多いのではないだろうか[27]。これらの事態に対し、クラブ公式も様々な取り組みを行っており[28]、2021年当時のキャプテンであったジョーダン・ヘンダーソンもイニシアティブを取った[29](これはリバプールFCラボでも過去に取り上げられている[30])。
また、リバプールは労働者階級が多い街として知られるが、労働者階級と「有害な男らしさ」は密接な関係にあり[31]、そのためジェンダーにまつわる問題はリバプールの街にとっても悩ましい問題であろう[32]。
このように、SNSと社会の有害性、とりわけジェンダー規範にまつわる問題、がリバプールにとって、ひいてはサッカー・ファン全体にとっても、向き合わなくてはならない問題である。社会問題というとどうしても遠くのものに感じてしまう人も多いかもしれない。しかし、それが「社会」の問題であるのは、我々も社会の一部で、それが我々の身近で起こりうるからである。ドラマ『アドレセンス』はこれらの社会問題を実に痛々しい仕方で正面から描いている傑作である。ぜひ多くの方にみていただきたい。
3. むすび
本記事では、「制作・キャスト陣のリバプール関係者」「作中に登場するリバプール関連のモチーフ」「スカウス・アクセント」「社会問題から考えるサッカー・ファンのあり方」という4つの観点から、ぜひリバプール・ファンにNetflixドラマ『アドレセンス』を観てほしい理由を語った。
本作では、リバプール出身者やサポーターの活躍を堪能できる。演技から脚本の執筆、ドラマの制作まで幅広い活躍をみせ、現代社会の問題に対しても鋭い考察を加えるグレアムはまさにリバプールの街とサポーター・コミュニティの誇りといえよう。初芝居でありながら、話題作の主役という大役を見事にこなしたクーパーが今度どんな活躍を見せるのか楽しみでならない。いずれは、ブラッド・ピットやダニエル・クレイグ、リーアム・ニーソンらに並ぶ世界的なリバプール・ファンの俳優となるのも夢ではない。
また本作では、リバプール関連のモチーフや方言にも数多く触れることができる。愛するチームのある街の訛りを聞くとともに、それの背後にあるイギリス社会の複雑な階層といった要素についても考えを巡らせることができる。加えて、本作が取り上げる、SNSを通じて可視化された社会の有害な部分は、リバプールFCの、ひいてはサッカー・ファンを続けていく上でも、考えなくてはならない問題だ。これらの問題にきちんと向き合わないでいると、悪気のない言動で、自分が本来大切にすべき選手、チーム・スタッフ、仲間のファンを傷つけてしまう可能性がある。
すでに数多く指摘されてきたことだが、どうやらSNSによって人間性の悪い部分がさらに目立つようになってしまった感がある。何かと他人をカテゴライズし、自身の優越感(もしくは劣等感からの逃避)のために、他人を見下したり、挑発的な・侮辱的な言動を行ったりする光景は、ネット空間に満ちている。もともと現実(オフラインの世界)にもあったこれらの光景は、オンライン空間の登場によって、さらに人々を追い詰めている。つまり、他人といるときのみならず、1人でいるときですら、これらの圧力や暴力に見舞われるようになった。しかし、他人に向けられた刃は自分にも跳ね返ってくる。一時的な優越感や承認のための言動が、刃となって自分に跳ね返り、さらなる劣等感と自己否定につながるというパラドックスに気付かない人は何と多いことだろうか。しかし、そもそも何が刃になるのかというのは実のところ難しい。その刃を本記事では社会の有害な要素と表現したが、それが他人や自分に向かわないようにするためには、絶えず学び、考え続けるしかない。
よりよいリバプールFCのサポーター、ひいてはサッカー・ファン(もしくは1人の人間)になる上で何が必要か、それを考える材料を数多く提供してくれる傑作ドラマ『アドレセンス』をぜひ多くの方に観てほしい。
【注・引用】
[1] https://www.netflix.com/tudum/top10/most-popular/tv, https://toyokeizai.net/articles/-/876373?display=b
[2] https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2025/mar/22/netflix-from-the-police-to-the-prime-minister-how-adolescence-is-making-britain-face-up-to-toxic-masculinity, https://www.bbc.com/news/articles/cd7ew52d2y3o
[3] https://www.advanced-television.com/2025/03/31/netflix-makes-adolescence-available-to-all-uk-secondary-schools/?utm_source=chatgpt.com, https://www.youtube.com/watch?v=IP7ijznn3Ss
[4] 出演回の例としては、2016年10月10日のOn Soccer AM: Stephen Graham, Stephen Tompkinson and Craig Davidがある。
[5] https://www.youtube.com/watch?v=Z0mwELYKeik。ちなみに本動画で当時監督として再登板したものの批判に晒されていたケニー・ダルグリッシュへの信頼を語っており、彼が忠実なファンであることが伺える。
[6] https://www.liverpoolecho.co.uk/news/tv/stephen-graham-made-huge-adolescence-31269127
[7] 具体的には、SAG-AFTRA財団のイベントで、自身がかつて両親を責めていたこと、そしてインターネットにより現代の若者が以前の世代よりもはるかに多くのコンテンツにさらされるようになったことへの省察などが本作を制作する上で大きな役に立ったと、グレアムは語った。詳しくは、主に以下の動画の13:00以降で確認できる。
https://www.youtube.com/watch?v=1B5DXCR-344&t=1243s
[8] YoutubeチャンネルtalkSPORTの下記の動画の
4:17あたり以降。ちなみに、アドレセンスで共演し、本動画にも一緒に登場している俳優のアシュリー・ウォルターズ(Ashley Walters)はアーセナル・ファンであり、違うチームのファン同士である2人が少し火花をまき散らしているのも見どころである。https://www.youtube.com/watch?v=e8QizzFf1zA
[9] https://www.liverpoolecho.co.uk/news/showbiz-news/netflix-adolescence-fans-wowed-just-31232792
[10] https://www.youtube.com/watch?v=iKhyDaUSkhw
[11] https://www.instagram.com/reel/DI9GJz-tV3W/?igsh=bTVhbXQ5dTV2eWZr
[12] https://www.liverpoolfc.com/news/revealed-story-behind-hidden-lfc-message-episode-adolescence
[13] https://thetab.com/2025/03/17/the-accents-are-a-mix-of-everything-but-where-is-adolescence-on-netflix-actually-set?utm_source=chatgpt.com
[14] この点に関しては、日本語でもすでに高い質のコンテンツが数多くあるので、詳しくはそれらを参照いただきたいが、ここでは筆者の管見の限りの中でいくつかを紹介する。まずは、リバプールFCラボで掲載されているヒルズボロの悲劇に関する記事(前編、後編)が、ヒルズボロの悲劇後に発生した虚偽報道や中傷、それらがいまでも消えていないことを知る上でよいコンテンツである。この事件の悪影響がいまだに続く中(つい先日、 U-NEXTにおけるプレミアリーグ第32節・対ウェストハム戦の配信で、事実誤認に基づく実況があったことは多くの人の記憶にまだ新しいのではないだろうか)、特徴が際立つスカウス・アクセントは当然差別や偏見の対象になりやすい。より広い歴史的な背景を知る上では、解説者のベン・メイブリーさんがJ SPORTSのYoutubeチャンネルで語った動画がおすすめである。19世紀中葉に発生したジャガイモ飢饉から現在に至るまで、リバプールとイングランド主流の複雑な関係は実に長い歴史を持つ。
[15] https://luxurylondon.co.uk/culture/erin-doherty-interview-the-crown/
[17] 日本語であれば、上野千鶴子の『女ぎらい:ニッポンのミソジニー』がよい入門書だ。本作で女性への差別的な・蔑視的な言動や女らしい行動をとる男性の排除がいかに男同士の絆やヒエラルキーを決定するかについて克明に描かれている。
[18] ちなみに世界的に「マノスフィア」の影響力はすさまじく、トランプ現象の背景としても指摘される。https://www.usatoday.com/story/life/health-wellness/2024/11/18/trump-gen-z-bros-maga-voters/76337571007/
[19] https://www.asahi.com/articles/AST4Z0QB3T4ZULLI002M.html, https://s-scrap.com/12503?selected_cat_id=70
[20] https://s-scrap.com/11622?selected_cat_id=70
[21] 参考として、評論家の藤田直哉の連載記事「フェミニズムでは救われない男たちのための男性学」、男性学の研究者である多賀太へのインタビュー記事「実は男だって生きづらい……。」、同じく研究者の田中俊之へのインタビュー記事「男女の生きづらさはコインの裏表」をあげておく。
[22] 例えば、厚生労働省の統計によると、令和4年の自殺者のうち、男性は14746人と、女性の7135人の2倍以上である。
https://www.mhlw.go.jp/content/r5hs-1-1-03.pdf
[23] https://www.liverpoolsc.jp/posts/18729462/
[24] https://www.thewrap.com/adolescence-netflix-true-story/, https://www.france24.com/en/live-news/20250123-uk-teen-faces-sentencing-over-murders-that-sparked-riots
[25] https://www.bbc.com/news/uk-england-merseyside-56334556
[26] https://www.bbc.com/sport/football/56688983
[27] https://www.theguardian.com/football/2021/apr/07/liverpool-anger-after-alexander-arnold-and-keita-racially-abused-online
[28] https://www.liverpoolfc.com/news/lfc-takes-decisive-action-tackle-discrimination-and-unacceptable-fan-behaviour
[29] https://www.thisisanfield.com/2021/04/jordan-henderson-takes-social-media-stand-against-horrendous-racist-abuse/
[30] https://lfclab.jp/club/player/22068
[31] https://s-scrap.com/12503?selected_cat_id=70
[32] 実際に、リバプールにおける労働者階級と「(有害な)男らしさ」の関係について調べたPat Ayersの”Work, Culture and Gender: The Making of Masculinities in Post-War Liverpool”といった研究がある。
【参考文献】
朝日新聞「話題ドラマ「アドレセンス」とマノスフィア 男らしさを求める背景は」(2025/05/02)
https://www.asahi.com/articles/AST4Z0QB3T4ZULLI002M.html
上野千鶴子『女ぎらい: ニッポンのミソジニー』(2015)朝日文庫
厚生労働省「令和4年の主要な自殺の状況」
https://www.mhlw.go.jp/content/r5hs-1-1-03.pdf
田中俊之「男女の生きづらさはコインの裏表 男性学研究者の田中俊之さん『男子が10代のうちに考えておきたいこと』」(2019/10/08)好書好日
https://book.asahi.com/article/12760909
東洋経済Online 「Netflix歴代5位「アドレセンス」 アマプラが不採用、Netflixで大ヒット 「現実的な物語」がなぜここまでウケたのか」(2025/05/11)
https://toyokeizai.net/articles/-/876373?display=b
日本財団ジャーナル「実は男だって生きづらい……。男性学から考える『ジェンダー平等』の意義とは?」(2024/03/26)
https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2024/100417/gender
藤田直哉「『弱者男性』──男性には『特権』があるのか、それとも『つらい』のか」(2024/11/20)晶文社スクラップブック
藤田直哉「『アドレセンス』と「女だけの街」──なぜ「男らしさ」にこだわるのか」(2025/05/04)晶文社スクラップブック
ベンジャミン・クリッツァ―「フェミニズムは『男性問題』を語れるか?」(2021/04/05)晶文社スクラップブック
リバプールFCラボ「リバプールファンが『ヒルズボロの悲劇』に関する虚偽報道をした英紙『ザ・サン』を根絶しようとしている理由(前編)」(2020/10/21)
リバプールFCラボ 「リバプールファンが『ヒルズボロの悲劇』に関する虚偽報道をした英紙『ザ・サン』を根絶しようとしている理由(後編)」(2020/11/19)
リバプールFCラボ 「我らがキャプテン、ヘンダーソンの行動は、SNSでの誹謗中傷被害に一石を投じられるか」(2021/04/14)
リバプール・サポータズクラブ日本支部「『Her Game Too』女性サッカーファンへのアンケート結果」
https://www.liverpoolsc.jp/posts/18729462/
Advanced Television “Netflix makes Adolescence available to all UK secondary schools”
https://www.advanced-television.com/2025/03/31/netflix-makes-adolescence-available-to-all-uk-secondary-schools
BBC “Drama shines light on ‘growing problem’ – PM” (2025/03/20)
https://www.bbc.com/news/articles/cd7ew52d2y3o
BBC “Liverpool FC: Domestic abuse victim photos used in ‘sick’ football post” (2021/03/09)
https://www.bbc.com/news/uk-england-merseyside-56334556
BBC “Liverpool’s Rinsola Babajide speaks out about racist abuse” (2021/04/09)
https://www.bbc.com/sport/football/56688983
FRANCE 24 “’Evil’ UK child stabbing spree killer jailed for life”
https://www.france24.com/en/live-news/20250123-uk-teen-faces-sentencing-over-murders-that-sparked-riots
ITV News “Prime Minister says Netflix’s Adolescence will be shown in schools across the UK” (2025/04/01)
J SPORTS “リヴァプールのサポーターは何故、国歌に大ブーイングするのか?◆ベン・メイブリーのフットボール語りまっせ!”
Liverpool FC “LFC takes decisive action to tackle discrimination and unacceptable fan behaviour” (2022/08/12)
https://www.liverpoolfc.com/news/lfc-takes-decisive-action-tackle-discrimination-and-unacceptable-fan-behaviour
Luxury London “Erin Doherty: By royal appointment” (2022/09/26)
https://luxurylondon.co.uk/culture/erin-doherty-interview-the-crown/
Netflix Japan “オーウェン・クーパーオーディション | アドレセンス | Netflix Japan” (2025/04/05)
talkSPORT “’Are You ACTUALLY Saying That?!’ Stephen Graham SHOCKED By Ashley Walters’ Liverpool Snub” (2025/03/14)
The Guardian “From the police to the prime minister: how Adolescence is making Britain face up to toxic masculinity” (2025/03/22)
https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2025/mar/22/netflix-from-the-police-to-the-prime-minister-how-adolescence-is-making-britain-face-up-to-toxic-masculinity
The Guardian “Liverpool angry after Alexander-Arnold, Keïta and Mané racially abused online” (2021/04/07)
https://www.theguardian.com/football/2021/apr/07/liverpool-anger-after-alexander-arnold-and-keita-racially-abused-online
The Tab “The accents are a mix of everything, but where is Adolescence on Netflix actually set!?”
https://thetab.com/2025/03/17/the-accents-are-a-mix-of-everything-but-where-is-adolescence-on-netflix-actually-set
The Wrap “The Terrifying Truth Behind Netflix’s ‘Adolescence’”
https://www.thewrap.com/adolescence-netflix-true-story/
This is Anfield “Jordan Henderson takes social media stand against “horrendous” racist abuse” (2021/04/08)
https://www.thisisanfield.com/2021/04/jordan-henderson-takes-social-media-stand-against-horrendous-racist-abuse/
Liverpool and Owen Cooper “Checking in with Millie and Owen ahead of kick-off”
https://www.instagram.com/reel/DI9GJz-tV3W/?igsh=bTVhbXQ5dTV2eWZr
Liverpool Echo “Netflix Adolescence fans wowed as they just realise star’s iconic TV past” (2025/03/19)
https://www.liverpoolecho.co.uk/news/showbiz-news/netflix-adolescence-fans-wowed-just-31232792
Liverpool Echo “Stephen Graham made huge Adolescence decision after attending Liverpool game”(2025/03/24)
https://www.liverpoolecho.co.uk/news/tv/stephen-graham-made-huge-adolescence-31269127
Liverpool FC “Revealed: The story behind a hidden LFC message in an episode of Adolescence”
https://www.liverpoolfc.com/news/revealed-story-behind-hidden-lfc-message-episode-adolescence
Pat Ayres, “Work, Culture and Gender: The Making of Masculinities in Post-war Liverpool”, Labour History Review, 69:2 (2004)
https://www.liverpooluniversitypress.co.uk/doi/10.3828/lhr.69.2.153
Sky News “Adolescence writers invited to parliament to discuss show’s themes with MPs, Sky News understands” (2025/03/22)
https://news.sky.com/story/adolescence-writers-invited-to-parliament-to-discuss-shows-themes-with-mps-sky-news-understands-13332399
Sky Sports “On Soccer AM: Stephen Graham, Stephen Tompkinson and Craig David” (2016/10/10)
https://www.skysports.com/football/news/11095/10598093/on-soccer-am-fabio-borini-stephen-graham-stephen-tompkinson-and-craig-david
USA TODAY “Here’s what red pill, misogyny and other manosphere terms mean” (2025/04/17)
https://www.usatoday.com/story/life/health-wellness/2025/04/17/red-pill-meaning-manosphere-misogyny-and-other-terms-explained/83098716007/
USA TODAY “The rise of Trump bros and why some Gen Z men are shifting right” (2024/11/18)
https://www.usatoday.com/story/life/health-wellness/2024/11/18/trump-gen-z-bros-maga-voters/76337571007/
WIRED 「Netflix『アドレセンス』のクリエイターが語る“マノスフィア”の深層──その引力に潜む危うさ」(2025/04/04)
https://wired.jp/article/adolescence-creator-went-very-very-deep-in-the-manosphere-its-appeal-scared-him/
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