北アイルランドの誇り

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

1月7日のFAカップ3回戦、アウェイでのアーセナル戦で75分に出場した20歳のコナー・ブラッドリーは、落ち着いたプレイでチームの勝ち抜きに貢献した(試合結果は2-0でLiverpoolの勝利)。今季はそれまでリーグカップとELで3試合に出場していたが、ビッグマッチに投入されて、相手の攻撃を止めまくり攻撃に繋いだブラッドリーは、一気に世間の注目を集める若手となった。

その2日後に、ブラッドリーの母国北アイルランド出身で、元WBAスーパー・IBF世界スーパーバンタム級王者であるカール・フランプトンが、「コナー・ブラッドリーは、ジョージ・ベスト以来の北アイルランド・フットボール界の名士になるだろう」と宣言して話題になった。もちろん、ビッグクラブで頑張る自国の若手フットボーラーに対して同国人ひいきが働くことは当然だが、それにしても僅か20分そこそこの活躍でベストを引き合いに出すのは行き過ぎと、イングランド人ファンやメディアは苦笑した。

しかし、偶然のタイミングでトレント・アレクサンダー・アーノルドが負傷欠場することになり、次の試合だった1月10日のリーグカップ準決勝1戦目対フラムでブラッドリーはライトバックとしてスタートし、トレントの不在中の穴埋め役を果たす意思を表明した(試合結果は2-1でLiverpoolの勝利)。結果的に6試合全てでスタートし、うち5試合目のFAカップ4回戦対ノリッジ(試合結果は5-2でLiverpoolの勝利)と、Liverpoolでの初ゴールを決めたプレミアリーグのチェルシー戦(試合結果は4-1でLiverpoolの勝利)で、連続マン・オブ・ザ・マッチに輝いた。

かくして、母国北アイルランドのボクシング界だけでなく、イングランドのフットボール界の中立のアナリストからもブラッドリー絶賛が飛び交うようになった。BBCのクリス・サットンは、「今から騒ぎ立てるのは早いかもしれないが、Liverpoolほどのビッグクラブで、怖気ることなく堂々とプレイしているブラッドリーは、堅い守りと攻撃力の両方に長けている驚異的な若手だ」と唱えた。TNTスポーツのリオ・ファーディナンドは、「ライトバックの新たなスターが出てきた。ゴールを決めた時のポジショニングはライトバックの域を超えている」と主張した。

北アイルランド西部出身のブラッドリーは、地元のクラブであるセント・パトリックスの少年チームでフットボールを開始し、ダンガノン・スウィフツのアカデミー・チームに進んだ後で、2019年にLiverpoolのアカデミーチーム入りした。1年後に17歳でプロ契約を結び、2021-22季にはカップ戦でファーストチームの5試合を経験した。翌2022-23季は3部のボルトン・ワンダラーズにローンに出たブラッドリーは、53試合に出場し、選手が選ぶ最優秀選手賞に輝く活躍を見せた。2023-24季はLiverpoolのファーストチームで開始したが、負傷のため実質的に戦力として復帰したのは年明けのアーセナル戦となった。

そして、ブラッドリーは止まることなく上昇し続けた。

初ゴールを記録したチェルシー戦の試合後のインタビューで、ユルゲン・クロップは、「休暇先で会ったボルトン・ファンの人たちから、『ブラッドリーを返してくれませんか』と懇願された。無理だ!」と、満面に笑みを浮かべて語った。

その試合のインタビューで、ブラッドリーは語った。「5歳の時から熱烈なLiverpoolファンだった。夢を見てるみたいだ」。

地元でブラッドリーを育てたセント・パトリックスの少年チームのコーチであるローリー・リンチは、「本人は夢を見ているみたいだと言うが、我々も同じだ。毎日頬をつねっている」と、ブラッドリーの言葉を引き取った。

「コナーはきっとイングランドで活躍するようになると思っていた。8歳の頃から才能は明らかだった」と、リンチは少年チーム時代のブラッドリーのエピソードを語った。アンダー11チームの大会で、試合の日に選手5人が風邪で出られなくなり、やむを得ず8歳のブラッドリーを出した。ところがブラッドリーは、期待をはるかに超えるプレイをして、最終的に大会の最優秀選手賞に輝いたという。必然的に、ブラッドリーはイングランドのビッグクラブのスカウトの目に止まるようになった。

いつもLiverpoolのシャツを着て練習していたブラッドリーは、Liverpoolからのスカウトを待っていたという。そしてブラッドリーは、Liverpoolのクラブ史上僅か4人目の北アイルランド出身の選手となり、1954年のサミー・スミス以来70年ぶりの北アイルランド出身のゴールスコアラーとなった。

「今、我がクラブに入ってくる少年たちは、私に質問してくる。コナー・ブラッドリーをコーチしたって本当ですか?と。そうだと答えると、みんな憧れの目つきになる」と、リンチは笑顔で締めくくった。

母国の少年たちの目標になったブラッドリーは、ベスト以来の北アイルランド・フットボール界の名士になる日が来るかもしれない。

RIPコナー・ブラッドリーのお父さん

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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