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サビ
3本目は妥当にアメリか?
どんなノリだ? Homie homie
3週目はフランス映画だ
どんなノリだ? Homie homie
3本目は妥当にアメリか?
どんなノリだ? Homie homie
少数派に傾いているのは
Woo yeah 恥じらいの現れ
うーん、難解!初見だとまじで意味が分からない。まぁ、今でもよく分かってないし、これから分かることもない気がしていますが…。歌詞を見ずに曲だけ聞くと、“フランス”という歌詞が登場することもあって、〈アメリか?〉の部分が国の“アメリカ”のことだと思ってしまうのはこの曲のあるあるの一つ。“アメリ”とは間違いなく2001年に公開されたフランスの映画『アメリ』でしょう。ちなみに“映画”と“配給”と言われると日本の映画配給会社である「GAGA」を思い浮かべる人も多いかもしれません。まぁこの会社の読み方は「ギャガ」だし、アメリを日本で配給しているのは「アルバトロス」ですが、遊び心で掛けている可能性は高そうです。
で、〈3本目は妥当にアメリか? どんなノリだ? Homie homie〉と〈3週目はフランス映画だ どんなノリだ? Homie homie〉にどういう意味が込められているかですが、個人的には意味は特にないと思っています。考察を諦めたわけではないんですけど、この部分は歌詞以上に音やリズムを優先している気がしてなりません。
ここでちょっと話が逸れるんですけど、少しお付き合いください。ここまで歌詞の考察をしてきて今さらなんですが、個人的にはサウンドさえよければ歌詞なんて正直どうでもいい、みたいなところはあるんですよね。まぁどうでもいいって言うとちょっと言葉がよろしくないですが、歌詞に意味がなくてもリズムが心地よければ全然好きになれる。逆に言えば、歌詞まで好きになれる曲に出会えると超嬉しいけど、自分にとって好きになる音楽や曲の条件に歌詞のよさ含まれていません。
ところで、僕はサカナクションってバンドも好きなんですけど、彼らの好きな曲の一つに『キャラバン』というものがあります。
そして、この曲(というかこの曲が収録されたアルバム)に関して作詞・作曲者の山口一郎が自ら解説するSpotifyの企画がありまして、その際に語っていたものが正に我が意を得たりと言いますか、まぁ見ていただいた方が早いのでちょっと長いんですが、引用させていただきます。
(今回)けっこう韻も踏んだんですよね。韻も勉強して。ニューウェーブ短歌っていうのが最近の僕のブームなんですけど、ニューウェーブ短歌を研究していく中で、韻を踏むっていうことはその短歌の中にあんまりないんですけど、ナチュラルに踏んでしまっている韻と、狙って踏んでる韻って全然違うじゃないですか。僕はそのナチュラルに踏んでしまった韻っていうのを今回コンセプトにして、この作品だけじゃないですけど、けっこう書いてきましたね。
――たしかに韻は踏んでますね。そうしてくることによって歌詞ってなにが変わってくるんですか?
やっぱりリズム、意味よりリズムが上回りますよね。
――意味よりもリズムが大事なこともある?
リズムがいいと、意味なんてどうでもよくなるときがありますよね。だからリズムが意味を上回る瞬間っていうのは自分の中で一個跳ねる瞬間というか。
――意味を持たせたくなる自分っていうのもそこにいるわけでしょ?
意味を持たせすぎるとやっぱりただの日記になったりブログになったりするじゃないですか。わからない部分があるからこそ考えてもらえるし、自分にもわからない部分には根拠が必要になるんですよ。その根拠って部分を補佐してくれるのがやっぱりリズムになると。この意味って自分でもよく分からないけどリズムがいいから気持ちいい、気持ちいいってことで許せたことに対して、違う意味が生まれていくというか。なんかけっこうそういう風に作っていくこと多いですけどね。
――歌詞の細かいところを逐一意味を説明しろと言われても出来ないかもしれないけど、でもそこはリズムとメロディの整合性みたいな部分でちゃんと語っていると。
僕らってやっぱり洋楽を聴いてきて育ったんで、当時英語なんて分からないから。ただ英語のリズムの気持ちよさだったりに反応してたわけじゃないですか、意味じゃなくて。だから僕はその世代なんで、その日本語を生み出すときにも日本語の意味だけではなくてリズムも気持ちよくないとそれをチョイスしないわけですよ。そのリズムが気持ちよすぎて意味が成してないときもある。でもその意味が成してない部分が、最終的に採用されることで跳ねるときがある。根拠があるってことですよね。
いかがでしょうか。「リズムが意味を上回る瞬間」、かなり好きな言葉です。これを好きなアーティストが言ってくれている嬉しさ。もちろん歌詞は大切だし、歌詞から先に曲を作る人も多いと思います(所謂、詞先)。でも、全ての歌詞に意味があるわけじゃないし、無理に持たせる必要もない。話を戻しますが、『GAGA』のサビの部分もそれに当たるんじゃないかと考えています。韻やリズムをより大事にしていて、歌詞そのものには特別深い意味はない。変に考察するよりも、こんな感じでシンプルに考えた方が少なくとも私は納得というか、すっきりします。
とはいえ、〈少数派に傾いているのは Woo yeah 恥じらいの現れ〉には流石にメッセージ性を感じますよね。この「少数派に傾いている」人は、1番や2番を歌っていた人物でしょう。「みんなこうしているから~」と簡単に多数派へ迎合することを“恥”であると考えていて、その“現れ”として少数派に傾いている。「多数派に靡くなんて恥ずかしい!」という雰囲気からはそこはかとなく若さゆえの勢いも感じますが、逆に素直で真っ直ぐな気持ちを感じます。若気の至りってやつでしょうか。
ラスサビ
3本目は妥当にアメリか?
どんなノリだ? Homie homie
3週目はフランス映画か?
どんなノリだ? Homie homie
3世紀後はお前もLegalize
どこへでもゆく火星やJapanでも
少数派に傾いているのは
Woo yeah 恥じらいの現れ
ここで初めて出て来る〈3世紀後はお前もLegalize どこへでもゆく火星やJapanでも〉という歌詞。〈お前もLegalize〉が〈御守り代わり〉に聞こえると私の中で話題ですが、その“Legalize”という英単語にまず注目したいところ。Legalizeには「(現時点では合法ではないものを)合法化する」、「法律上正当と認める」と言った意味があります。つまり「3世紀後はお前も(法的に)認められているよ」といったところでしょうか。3世紀というと300年ですから、かなり先の未来ですね。でも、実は3世紀後にLegalizeされた人が歴史には存在するんです。そして、これから紹介することこそ、この記事で私が本当に書きたかったことだったりします。
「Suchmosの『GAGA』、ガリレオ・ガリレイ説」
ちょっと都市伝説みたいなテイストですね。まぁこれから書くことは本当にそんな感じで、全て私の妄想が爆発したものなので、こういう解釈もあるのか程度に留めて楽しんでいただけると幸いです。
まず、ガリレオ・ガリレイがどんな人物だったのか簡単に紹介しておきましょう。1564年にイタリアで生まれたガリレオは数学、物理学、天文学、哲学、芸術などに長けた学者で、その数々の功績から「近代科学の父」とも呼ばれることもあります。有名な功績の一つが『落体の法則』の証明で、「重たいものが先に落ちる」という常識が根付いていた時代に、ピサの斜塔から質量(重さ)の異なる玉を同時に落とし、それが同時に着地することによって「落下速度は質量に依存しない」ということを証明してみせたというものです(まぁピサの斜塔での実験は作り話という説が有力ですが…)。
そんなガリレオにまつわる最も有名なエピソードは、やはり『地動説』でしょう。地動説とは、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが著書『天球の回転について』で提唱した「地球はその他の惑星と共に、太陽の周りを公転している」という説です。しかし、コペルニクスやガリレオが生きていた時代は「地球は宇宙の中心で静止しており、太陽を含む全ての惑星は地球の周りを回っている」という『天動説』が絶対であるとされていました。

アンドレアス・セラリウスが描いた「コペルニクスの地動説図」
そしてこの時代のヨーロッパはあらゆる分野がキリスト教の支配を受けており、それは科学の世界も同じ。キリスト教の宇宙観は天動説であり、それを否定する地動説を唱える者は異端とされていました。しかし、そんな地動説をガリレオは正しい説であると考え、観測によってそれを実証。とはいえ地動説は異端であるので、ガリレオは宗教裁判(異端審問)にかけられることになってしまいます(ちなみにこの裁判の担当判事はロベルト・ベラルミーノという枢機卿で、名前があまりにもロベルト・フィルミーノに似ている…)。
裁判の結果、ガリレオは死刑こそ免れたものの、自説の発表は禁止されることに。しかし、ここで諦めないのがガリレオという男。研究を続け『天文対話』という著書を発表します。この著書で改めて地動説の正しさを説きますが、当然の如く再び宗教裁判をかけられることに。結果的にガリレオは終身刑を言い渡され、『天文対話』は教会の禁書目録として出版禁止に。そして異端者のまま、1642年に77歳でガリレオはその生涯を終えました。
さて、ここまでガリレオという人物を見てきましたが、彼は「少数派に傾いている」と言えるのではないでしょうか。多数派が盲目的に信じていた天動説に異を唱え、周りに流されることなく自らの信念に則って行動し、圧倒的少数派でありながら地動説を唱え続けた。ガリレオの生き様は、『GAGA』という曲の世界観を表していると言えます。
そして、前述の通りガリレオは「3世紀後にLegalizeされた人物」です。1642年に異端者として彼は亡くなりましたが、350年後の1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がガリレオを有罪とした当時の教会の判決を誤りであったと認め、ガリレオの名誉が正式に回復。つまり、3世紀後にガリレオはLegalizeされたというわけです。
また、〈どこへでもゆく火星やJapanでも〉は「自分が信じる道ならばどこへでもゆく」という決意を感じさせる歌詞ですが、この歌詞もガリレオとのリンクを感じます。ガリレオは天体望遠鏡を著しく発展させた人物で、例えば当時は完全なる球体とされていた月に実際は凹凸(クレーター)があることを発見したり、後に「ガリレオ衛星」と呼ばれる4つの木星の衛星(イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)を発見したり、土星の環や太陽の黒点を観測したり、この時代においてガリレオは世界中の誰よりも宇宙に迫ることができました。つまりこの歌詞からもガリレオの存在を感じ取ることが出来ます。
そしてなにより、「Galileo Galilei」という彼の名前を略すと「GAGA」になるという点も、運命めいたものを感じます。
おわりに
Suchmosの『GAGA』には、今この時代を生きる人たちに対して、「周りに流されることなく、自分が本当にしたいことをしよう、自分の考えをちゃんと持とう」というメッセージが込められていると私は考えています。後半の『ガリレオ・ガリレイ説』は完全に私のこじつけです、書き進めている中で「ああ、都市伝説ってこうやって作られていくんだな」って思ってましたし。「ガリレオ・ガリレイを略すと『GAGA』になる!」とか書きましたけど、メンバー本人が「『GAGA』というタイトルに特に意味はなく、響きがいいからという理由で名付けた」と語っていますしね(笑)。
とはいえ、『GAGA』は自分にとって本当に大切な曲ですし、この曲の歌詞に向き合って意味を考察する時間はとても有意義で楽しいものでした。今回私が書いたものはあくまで私個人の解釈でしかないので、皆さんにとっての『GAGA』がきっと存在するはずです。この記事の考察や解釈を全て真に受けるのではなく、自分にとってどういう曲なのか是非考えてみて下さい。では、ここまでお読みいただきありがとうございました!また別な記事で!
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