嵐の中を歩く時

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin
平野 圭子

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プレミアリーグの2024-25季はシーズン終幕に差し掛かり、優勝と降格が既に確定し、ヨーロッパのカップ戦出場権を争っている10チーム以外は実質的に残日程は消化試合になった。その中で、残り全勝しても全敗しても順位が変わらないのは最下位確定のサウサンプトンと優勝決定のLiverpoolの2チームのみだった。

かくしてイングランド中から羨望のまなざしで見上げられているLiverpoolが、常にプレミアリーグ優勝を狙うべく本来の位置に復帰した、その重要なジグソーパズルの最後の1ピースはGKのアリソンだったということは、Liverpoolファンはもちろん中立のアナリストも指摘していた。

それは、5月11日の対戦相手だったアーセナルのGKダビド・ラヤが試合前に語った言葉とも同期を取っていた。現在の世界のベストGKはと問われて、ラヤはアリソンを上げた。「アリソンが常に一対一で勝つのを見るとひたすら驚愕する。どうやったらあんなことができるのかと不思議でたまらない」。その言葉を裏付けるように、試合前のウォームアップで、ラヤが真っ先にコップエンドに走って行き、アリソンとGKコーチのクラウディオ・タファレルを始めLiverpoolのGKチーム全員に優勝祝いの挨拶をする姿がすがすがしかった(試合結果は2-2)。

アリソンが、優勝決定の2日後の4月29日に、「嵐の中を歩く時(When You Walk Through a Storm※)」と題してプレイヤーズ・トリビューンで明かした話がファンの間で大きな話題になった。

※You’ll Never Walk Aloneの最初の一節

GK一家で育ったアリソンは、3歳の頃からお父さんと5歳年上のお兄さんと一緒に、家の中でミニ・フットボールを始めたという。お父さんが「私はタファレル(現LiverpoolのGKコーチで1994年W杯優勝GK)だ。絶対得点させない」と言ってゴールに仕立てたソファの前に立ち、お兄さんとアリソンが順にシュートを打つ、というものだった。お兄さんが「僕はリバウドだ/ロナウドだ」と、スター選手の名前を上げてボールを蹴り、アリソンはお兄さんと別の選手の名前を選ぶ。「弟だからいつも選択肢が限られていたことが不満だった」と、アリソンは笑った。

歴史は繰り返し、今のアリソンのご家庭で2人の息子がアリソンを相手にミニ・フットボールをする時に、上の子が「僕はモー・サラーだ」などと先に好きな選手を選び、弟は不満そうに別の選手を選ぶ。「30年近く前の自分を思い出し、その頃のお父さんを思い浮かべている」と、アリソンは語った。

その大好きだったお父さんを、ブラジルの自宅付近を散策中にダムに落ちて溺死するという悲劇的な事故で失ったのは2020-21季のことだった。世界中がコロナウィルスのパンデミックに見舞われていた時で、Liverpoolのチームはトップ4を目指して苦戦していたシーズン真っただ中のことだった。奥さんは出産を控えており、感染リスクが高かったブラジルに行くのは無理だとドクターストップがかかった。では単身でと思ったところ、帰国後に2週間の隔離が義務付けられていたため、そんなに長い期間、奥さんを一人にすることはできないと、アリソンは葬儀に行くことを断念せざるを得なかった。

「お父さんは常に家族を第一に考える人だったから、家族を守ることが最大の追悼だと思ってくれるだろうと、辛い決断を下した」。葬儀の間中、お兄さんがFaceTimeでアリソンを遠隔参列させてくれたという。「画面を通じてお父さんにお別れを告げた」。

その悲劇の時に、アリソンは人々の温かさに心を打たれたと語った。「フィルジル(ファン・ダイク)、ロボ(アンディ・ロバートソン)、チアゴ…チームメートから続々とカードを添えた花束が届いた。10分置きにドアベルが鳴り、配達の人が花束を持って現れた時に、こんなに大きなものだと実感した」。チームメートだけでなく、ペップ・グアルディオーラとカルロ・アンチェロッティら、外部の人々もお見舞いの手紙をくれたという。

「ユルゲン(クロップ)は、現役時代に、僕と同じくらいの年齢でお父さんを亡くしているので、本当に親身になってくれた」。更に、GKコーチから電話が来て、アリソンがいつでもブラジルに行けるようにとチームメート全員が自費を出し合ってプライベートジェットをチャーターしたと伝えられたという。

トレーニングに復帰したアリソンは、チームメートが自分のことのように悲しみ、いたわってくれる中で次第にフットボーラーとしての生活を再開できるようになったと語った。「この人たちがいなかったら不可能だった」。

「お父さんが亡くなった3か月後に息子が誕生し、その6日後にアウェイでWBAと対戦した、その試合で不可思議なことが起こった。1-1で残り数秒の時にコーナーを得た。GKコーチが僕も攻撃に参加するよう叫んだ。全力疾走してボックス内に到着した時にトレントが蹴ったボールに頭を当てた。その後は、気が付いたらチームメートのハグ攻勢を受けていた。チアゴとロベルト(フィルミーノ)は泣いていた(試合結果は1-2でLiverpoolの勝利)」。

「天国のお父さんに報告しようと見上げた時に、雨交じりの曇り空に光が見えた。その時、このクラブの歌の冒頭の一節の深い意味を初めて実感した。フットボールの歌は何千もあるが、この歌は最もパワフルな意味を持っている」と、アリソンはYou’ll Never Walk Aloneの歌詞を唱えた。「誰もがいつかは大好きな人を亡くすという、人生で最も悲しいことに遭遇する。そして、嵐の中を歩く時(When You Walk Through a Storm)、人々の思いやりに触れて、決して一人で歩くことはないのだ(You’ll Never Walk Alone)と知る」。

目を拭いながらアリソンのトリビューンを読み終えたファンがポツリと言った。「ピッチ上はもちろんだが、人格的にもアリソンは重要な存在だということが改めて分かった」。

ファンの言葉を裏付けるかのように、「あのヘッダーは素晴らしい実話だ」と、タファレルがESPNブラジルのインタビューで語った。

「サウジアラビアから破格の条件の話があったことは聞いた。でもアリはこの実話の中での生活をずっと続けたいと希望している。このクラブの人たちに恩返しするためにも、と」。

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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