人々を幸せにした監督

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

2015年10月に、ユルゲン・クロップがLiverpool監督に就任することが正式になった時に、ドルトムント・ファンがLiverpoolファンに対して警告した。「クロップが去る時が来たら、君たちは絶対に泣くよ。僕らもそうだったので確信を持って言える」と。9年近く前の記憶をたぐったLiverpoolファンは、「その通りだった」と、目を拭いながら脱帽した。

クロップの最後の試合となった5月19日のアンフィールドでのウルブス戦は(試合結果は2-0でLiverpoolの勝利)、イングランド国内でTV放送試合に選ばれた。プレミアリーグの最終戦はいつも全試合同時のキックオフとなるため、TV放送戦は、優勝や降格、ヨーロッパのカップ戦出場チーム決定などの順位争いが残っている試合が選ばれる。ところが今回は、6位争いは無視され、優勝争いの2試合と並んでLiverpool対ウルブスが選ばれた。

この試合の本当の意味を、TV局も含めて誰もが知っていた。

案の定、試合の間ずっと、主役クロップのサポート役であるスタンドのファンが、サディオ・マネ、ボビー・フィルミーノ、ジニ・ワイナルドゥム、ディボック・オリジなどクロップ在任期間を代表するヒット曲のメドレーに始まり、現役選手たちのチャントを順繰りに、そしてもちろん、クロップの歌やチャントと、絶え間なく鳴り響いた。

いつもは試合中ずっとタッチラインに立ってプレイに参加していたクロップは、この日は殆どベンチに座り、スタンドのファンの様子を目を細めて見入っていた。

「クロップの偉大さは、優勝杯の数よりも人間的な側面の方が遥かに深い」と、ファンの間で意見は一致していた。「我々ファンのことを理解してくれて、落ち込んでいた時に気持ちを底上げしてくれた。そして、我々のクロップに対する敬意を信頼で返してくれた。国家へのブーイングや、チケット代値上げに対する抗議デモなど、世間が一斉に我々を非難した時にも、『Liverpoolファンがやることには理由がある』と、クロップは理解してくれた」。

最後の試合を控えて、いろんな筋からクロップに対するお礼とお別れのメッセージが飛び交ったことは、クロップが人間としてLiverpoolのクラブと地元コミュニティに深く根を下ろしていた実態を表明していた。

ヒルズバラ遺族グループ代表者のマーガレット・アスピナルは、「クロップはスカウサーだと感じる」と語った。「初めて会った時に、クロップがヒルズバラ悲劇のこと、そして悲劇が地元コミュニティにどれほど大きな打撃を与えてきたかということを、クロップがあまりにも良く知っていたので驚いた。クロップがマージーサイドに溶け込み、誠意を抱いていることが良く分かった」。

2022年に、リバプール市がクロップに栄誉賞(フリーダム・オブ・リバプール)を授与した時の、その推薦者の一人だった地方議会議員のリチャード・ケンプは、クロップが公私に渡って地元コミュニティで果たしてきた貢献について、「クロップは、フットボール・クラブを通じて地元コミュニティを団結させた」と説明した。具体例として、2020年のロックダウン時期に、苦しむ市民を、寄付を含め様々な手段で助けた。ロックダウン中に営業していた食料や薬品の販売店のスタッフに対して、クロップの奥さんの名前で金券を贈呈したことは有名な話だった。

地元の住民で、Liverpoolファン・グループ「スピリット・オブ・シャンクリー」のスティーブン・マーフィーは、心臓を患って倒れた際に、クロップから直筆のお見舞いの手紙を貰ったというエピソードを明かした。同様の実話は多数あるという。

ライバル選手で、試合の度にLiverpoolファンから手厚いヤジを受ける元エバトンでトットナムのリシャルリソンは、試合後にクロップのハグを受けた写真に沿えて、メッセージをSNSにポストした。「ピッチ上のライバル意識はあるが、それは試合中だけのこと。クロップは僕が出会った中でベスト監督の一人だった」。

多くの人が心から語るメッセージを、Liverpoolファンは目を潤ませながら聞いた。その中で、5月16日にスカイスポーツが放送したクロップ特集番組が、ファンの間で大きな話題になった。これは、Liverpoolの新旧選手たちがクロップのことを語った動画を集めて、クロップ本人に見せて反応を映したものだった。現役選手代表として主将のフィルジル・ファン・ダイク、副主将のトレント・アレクサンダー・アーノルド、モー・サラーとアリソンが出演した。クロップと長年共に働いた元選手として、ジェームズ・ミルナーとアダム・ララーナが、そしてLiverpoolの近年のレジェンドであるスティーブン・ジェラード、ジェイミー・キャラガーという面々が登場した。

選手たちが異口同音に語ったことは、クロップのお蔭で今の自分がいる、ということと、クロップとは監督と選手という関係を超えた、人間的な関係を築いたということだった。「これほど自信と意欲を与えてくれる人は他にはない。僕が若手として育った時にクロップが監督だったのはラッキーだった」と、トレントは語った。アリソンは、自分がお父さんを亡くしてどん底の精神状態だった時にクロップが支えになってくれたと語った。ララーナは、「僕がLiverpoolのシャツの重たさに苦戦していた時に、クロップが一瞬でそれを解決してくれた」と語った。

それらの、選手たちの心のこもった言葉を、クロップはひとつひとつ頷きながら聞いていた。番組の司会者から、「選手たちの言葉を聞いた反応は?」と問われて、クロップは答えた。「全ての言葉が嬉しい。ただ、これ以上本心を語ると涙が出そうだからここでやめておく」と、クロップは目を潤ませながら笑った。

ジェラードが、「クロップは、自分を含めLiverpoolファンが暗い気持ちになっていた時にやって来て、希望の明かりをともしてくれた」と語り、キャラが引き取った。「Liverpoolのクラブ史で偉大な監督というと、誰もがビル・シャンクリーを上げるが、クロップはシャンクリーの域に近い存在だ」。

「クロップは人々を幸せにした」と、キャラは締めくくった。

ウルブス戦の試合後に、クロップは満員のスタンドのファンに語りかけた。「このクラブにはあなた方がいる。あなた方は、世界のフットボール界のスーパーパワーだ」。そして、まだ正式ではないが後任監督となることがほぼ確実とされているアルネ・スロットの名前をチャントした。

全国メディアであるBBCは、クロップの最後の試合の様子を報じた。「この試合は、Liverpoolのクラブとファンがクロップに対するお礼とお別れを告げるためだけの場だったはずなのに、クロップは後任監督に対する激励を表明した。自分だけが脚光を浴びるのはダメだと言い続けたクロップらしいお別れだった」。

Liverpoolファンは、BBCの記事に大きく頷いた。「クロップは、自分が主人公だということを拒否するかのように、このクラブの今後のことを語った」。別のファンが続けた。「クロップの在位に対する感謝とお祝い、そしてこれからはファンとして一緒にLiverpoolを見守ろうという意思がひしひしと伝わって、嬉しかった」。

クロップは、人々を幸せにした監督として永遠にLiverpoolクラブ史に刻まれた。

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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