さようなら二人のレジェンド

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平野 圭子
LIVERPOOL SUPPORTERS CLUB JAPAN (chairman) My first game at Anfield was November 1989 against Arsenal and have been following the Reds through thick and thin

アンディ・ロバートソンとモー・サラーの最後の試合となる5月24日のブレントフォード戦の前日に、ロバートソンが地元紙リバプール・エコーに寄せたオープンレターが大きな話題を呼んだ。故郷であるスコットランドのグラスゴー市を誇りとしているロバートソンが、リバプール市に共通点を見出し、Liverpoolでの9年間で、自分の心の中で2つの都市が同居するようになった様子を語り、地元コミュニティとLiverpoolファンに心のこもったお礼を綴ったものだった。

Liverpoolファンは、「目頭が熱くなった」と告白し、「ロバートソンを失う寂しさは相当だろうと覚悟していたが、これほど辛いとは思わなかった」と、誰もが手に顔を埋めた。

ロバートソンとサラーは、Liverpoolでの最後の週に、別々に多くのメディアのインタビューに登場していた。その中の一つで、イアン・ライトが主催する番組のインタビューで、ロバートソンは、スコットランド代表チームで初キャップを与えてくれたゴードン・ストラッカンがゲストとして同席した場で、スコットランドのアマチュア・クラブであるクイーンズパークで、スーパーマーケットで働きながら週給£18で選手生活を開始し、プレミアリーグのレジェンドに上り詰めた過程を振り返った。

機動力が特長のウィングバックとして実績を積み、プレミアリーグのハル・シティでレギュラーとして身を立てた時に、ユルゲン・クロップの目に留まった。クロップから明白に言われたことは、守れないディフェンダーは使えない、ということだった。Liverpool入りして最初の2-3か月は、使ってもらえるレベルに達するために、ロバートソンはトレーニングの後で守備の特訓を続けた。クロップは、ロバートソンへのメッセージ動画で、「ロボは、悟ったかのように守りが毎日メキメキ良くなっていった」と、その時のことを振り返った。

かくして、ロバートソンは、週給£18のアマチュアから、プレアリーグの残留争いに勝ったり負けたりするチームを経て、世界有数のビッグクラブのレギュラーへと上り詰めた。クロップは、在任直後から、「チーム力を増強する手段は2つある。移籍市場だけでなく、トレーニンググラウンドが重要だ」と、常に強調していた。ロバートソンはその典型だった。

「あの時は、チーム全体が驚異的なジャーニーを進んでいた」と、ロバートソンは語った。「モー(サラー)は、ローマから来た時には『良い選手』だったが世界のベスト・ウィンガーではなかった。フィルジル(ファン・ダイク)とアリソンは、潜在的なワールドクラスだったが世界のベスト・センターバックとベストGKではなかった。みんなで必死に頑張って毎日着実に向上して、そして飛躍的なレベルに達した」。

もともとフォワードが最高値になる移籍市場では、サラーの移籍金£34mは、「良い選手」程度の評価額だった。そのサラーが、Liverpoolのクラブ記録を次々と塗り替えるプレミアリーグ史上ベスト・ウィンガーになるとは誰も予測しなかった。

そこに至る過程で、サラーはトレーニングの前後にジムで体力を鍛え、食事にもこだわりプロスポーツ選手としての体調管理を徹底的に貫いた。その上で、取りつかれたかのようにトレーニングに打ち込んだ。先日、クラブ批判と解釈されて大事件になったスタンダード発言は、サラーがそれだけ高いスタンダードを自分に課してきたという真相そのものだった。更に、その高いスタンダードを若手選手たちに植え付けるためにサラーはピッチ外でもリーダーシップを発揮した。サラーを送るメッセージの一環として、カーティス・ジョーンズは、サラーがアクサ・トレーニング・センターのカフェ内ではモバイルの使用禁止という規則を作った実話を明かした。カフェをコミュニケーションの場とすることで、チームワーク増強を図るものだった。

「全員が足並みそろえて、一人の例外もなく日々向上した。だからみんな自信満々で、試合前のトンネルで既に勝っていた。相手チームがどこであろうと、自分たちのプレイをすれば勝てないはずがないと全員が確信して試合に臨んだ」と、ロバートソンは語った。

そして、ロバートソンは、ガーディアン紙のインタビューで、ディオゴ・ジョッタを失った痛みを語った。「プリシーズンは、開幕に備えて調整するためにある。でも昨年の夏は、誰一人としてプリシーズンをまともにできなかった。選手たちだけでなく、コーチ陣もメディカル・チームも、全員がフットボールのことを考えられなかった」。プリシーズンなしで迎えた2025-26季は、ひどい成績不振に見舞われた。それは自分たちの責任だと、ロバートソンは、悲劇を言い訳にすることを拒んだ。

「開幕戦(対ボーンマス、試合結果は4-2でLiverpoolの勝利)は辛かった。20分にファンがディオゴの歌を歌った時に、痛烈な悲しみが押し寄せてきた」。試合後に選手一行が、ジョッタの歌をずっと歌い続けていたコップ・スタンドに挨拶に行った時、最後までファンに向かって立っていたサラーが涙を拭った姿が痛々しかった。

ロバートソンへのメッセージの一環で、コナー・ブラッドリーが神妙な実話を明かした。毎年3月に行われるマージサイド最大の行事であるチェルトナム競馬に、ロバートソンが指揮を執ってLiverpoolの選手たちがみんなで一緒に行った時の話だった。「昨年はディオゴも一緒に行った。だから、今年も絶対に行かなければいけないとロボは主張した。僕はひざの手術から回復中で歩行困難だったが、ロボが手配してくれて僕も一緒に行けた」と、ブラッドリーは語った。

そのようなピッチ内外のリーダーシップは、Liverpoolのチーム内でロバートソンとサラーが全員から深く慕われている実態を裏付けていた。

それは、ブレントフォード戦でスタートした二人が、74分にサラーが、83分にロバートソンが交代した時に、ファン・ダイクが主導して選手たち全員が立ち止まって見送りハグして送り出したガード・オブ・オナーが物語っていた(試合結果は1-1)。

そして、その時に、レフリーのダレン・イングランドは時間つぶしとして注意することなく見守っていたこと、ブレントフォードの選手たちも拍手してくれた様子は、二人が他チームからもレフリーからも尊重されていた真相を表現していた。

Liverpoolファンは、「この二人は、クロップの黄金時代を象徴するレジェンドだ。格安の移籍金で入って来てLiverpoolのオールタイム・イレブン入りする程の戦力になった」と、目を拭いながらうなずき合った。

さようなら二人のレジェンド

*本記事はご本人のご承諾をいただきkeiko hiranoさんのブログ記事を転載しております。

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